理性と本能の境目は

その日の戦闘は久々に骨のある海賊団が相手だった。数年前から二、三度衝突を繰り返しているらしく、クルー達は好き好きに準備をしながら好戦的に笑い、ぎらぎらと眩い太陽の光をものともせず、仁王立ちで敵を待ち構えていた。

「お頭、今回は若い奴らはどうする」

敵船を見据えながらシャンクスにそんなことを聞いたのは名実共に赤髪海賊団のナンバー2であるベン・ベックマンだった。

「ちと荷が重いか?でもいーい経験になるとは思うんだがなァ…」

「…下がらせたほうが良いと思うか?」

ナマエは目を閉じ、神経を研ぎ澄ませながらその会話を聞いてた。大がかりな戦闘ともなれば、敵味方共に大量の血が流れるだろう。そうなった時に理性を失わない為にこうして戦闘前に瞑想をするのはいつものことになっていた。

真っ赤な血の残像は、理性で抑えていてもいつでもナマエに纏わりついている。目を閉じていても、真っ赤な太陽が瞼を透かして眼裏を赤く染め上げていた。じわりと首筋から汗が垂れていくのが分かる。

(こっそり敵の血が飲めるといいんだが)

うだるような暑さの中で、ナマエはそうっと息を吐いた。

「幹部にフォローさせるか」

「いや、あいつらもそろそろ発散させねェと」

「…ならおれがフォローに回る。前回は暴れさせてもらったしな。あんたは先に存分に発散してくれ、お頭」

どうやら船長と副船長の話もまとまったらしいところで、敵船の動きが変わるのが分かった。ナマエがすっと目を開くと、それに気づいた船上のクルー達の空気も変わった。

「……来る。」

いつでも真っ先に敵の動きに気付くのは人一倍気配を読むのに長けたナマエだった。

「っし、行くぞ!野郎ども!」

ナマエと目をを合わせて軽く顎を引いたのを合図に、シャンクスが鬨の声を上げた。それに呼応するように船上が雄叫びに満ちる。そして、戦闘が始まった。



―――ナマエ!」

接舷され、船上に敵味方が入り乱れるようになった時のことだった。
油断していた訳ではないが、ナマエの体がぐらりと傾いだ。
――――しまった。

どうやら夏島の夏であるらしかった。夏至の太陽の南中は、吸血鬼であるナマエには流石にきつかった。ぐらりと立眩んだと同時に、さっきまで相手をしていた敵がどこにいるのかが分からなくなった。

若いクルーに助太刀をしてやっていたはずのベックマンの焦った声を聞いた次の瞬間、ナマエの視界は真っ赤に染まった。

「うっ…」

小さな呻き声が聞こえた。とたんに当たりに広がる、噎せ返るような濃厚な血の匂い。
耐えられず、意識がホワイトアウトした。



「うっわー…ナマエさんが切れんの初めて見たな」

「おーおー、あいつ瞳孔開いてんじゃね?」

レッドフォース号での戦闘は一区切りがつき、そこにいたクルーたちはみんな敵船上のナマエの見物に回っていた。

普段は好戦的という性格とはかけ離れた海賊であるナマエが、箍が外れたように暴れまわっているのだ。武器を持たないスタイルで戦うナマエは、普段、どちらかといえば敵を攪乱するだけに留まり、とどめは他の誰かに任せることが多いが、今回は一人で敵をなぎ倒していっている。まるでイワシの群れの中にサメが混じったかのような荒れようだった。

「何があったんだ?副船長怪我してるんじゃねぇか、あれ」

「庇ったのか?でもナマエピンピンしてるよな」

少し離れたレッドフォースからでは何が何だかよく分からないが、滅多に暴走しないナマエが珍しく我を失っているということだけは分かった。クルー達が珍しい光景に見入っていると、不意に敵船上のシャンクスが部分的に覇気を放出したのが分かった。敵にというよりはナマエに向けられたらしい覇気にも、まだナマエの暴走は止まらない。ついにはシャンクスがその首筋に手刀を入れて、ようやく動きを止めたらしかった。

「あ、ナマエ、お頭にオとされてら」

そして海上に再び平穏が戻ってきた。



「…私、…私は何をしたんだ?」

目を覚ましたナマエが問うと、近くにいた船員が笑った。

「何って…まあ無茶苦茶暴れてはいたけど、何お前、記憶までトんだのか?そーとー切れてたんだなー」

「あ、ああ………」

途中で記憶が途切れている。ナマエはやや顔を青ざめさせつつも、どうにか頬を持ち上げ、ぎこちなく笑いながら船員との会話を続けた。

「…噛みついたりとか、しなかったか」

「は?」

「いや………興奮するとかみつく癖があるんだ。ほら、ついやらないか?セックス中に盛り上がって首筋にかみついたりとか」

「あーあるある!なんだお前興奮してたのかよ!別にかんだりはしてなかったぜー?」

「おれもあるなぁ。戦闘後とか気ィ立つしな」

どうにかごまかす。
それにしても、意識が飛ぶほど切れたというのにそれでも血は吸わなかったなんて鉄壁の理性にもほどがある。どうせなら少しは飲んでおきたかった。道理でまったく渇きが満たされていないわけだ。



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