01-2



「今からバス停が『瑞穂浦』に着くまでに三千万円用意してくださあい!できなかったらあ…人質は無事じゃないしぃ、『1230』を公表しまあす」
 結果だけ言えば市長に連絡はついた。どういった経路だったかはわからないが、教えられた電話番号に、乗客の携帯電話で電話をかけたようだ。22時という、残業もいいところな時間だったので、心配はしていたが、市バスが走っている以上は交通局には必ず誰かいるはずだ。山内は交通局のことをあまりよく知らないので、そのあたりの事情はぼんやりしている。
「はあ?無理ぃ?何いってんのぉ?はあ?あっそーじゃあいいんだあー?宮村さんとかー斉藤さんが困るんじゃないかなー?」
 どうやら、市長は要求をのめない――というよりは、こんな遅い時間に三千万もの現金は用意できるはずがないと主張したようだった。バスジャック犯は少女に携帯を持たせ、自分は包丁を持ち少年を抱えたまま通話をしている。女性の力でまだ小さいとはいえ子供を長時間抱えていられるのは大したものだった。
「もっと名前あげよぉかあ?」
 どうやら彼女は、相手に『1230』のことを詳しく知っている、という事実をつきつけるため名前をあげているらしかった。山内や乗客には『1230』が一体なんなのか、このときは勿論わかっていない。
もう3分ほどバス停に停まったままだが、この時間、その上まだ駅から遠いこの車道は普段から車は少ない。乗客もみな固まったように動かない。電話中の犯人なら隙があるのだし、取り押さえられそうなものだが、その位置にいるのは犯人の背後にいるカップルの青年だけだ。山内は彼が動かないか期待していたがそのそぶりは一切ない。
「『瑞穂浦』バス停、わかります?ビジネス   ホテルを出て一分のとこですよ?クラウンっていう――ああ、そうそう。今から30分ほどで着きますから、くれぐれもお願いしますねー?」
 市長は最終的に、相手の要求をのんだ。
「よかったねえ、皆。市長さんが三千万払ってくれるってー」
 マスクをしているのでわからないが、女性は笑っているのだろう。刃物を突き付けられている少年は、この時間だ、眠そうに瞼を半分閉ざしていた。
「あ、ごめん。寝ていいよ?眠いでしょ?」
 バスジャック犯にあるまじき言動だが、女性は少年を気遣った。携帯を持ち、犯人の耳元にあてていた少女は携帯を袋に戻し、おろおろしている。
「袋、とりあえずそこにおいといてー」
 指差した先は、前の方にある優先座席だ。女性は自分もそこに座ると、少年を寝かせるように抱いて、包丁を持っていない方の手で背中をぽんぽんと叩いた。少年はそのまま目を閉じ、しばらくしたら眠ったようだ。まだ幼く、事態がわかっていないとはいえ見上げた根性だと思った。将来大物になりそうだ。
「運転手さーん、バスだしちゃってくださァい」
 先程よりも声を落とした彼女はそう言い、山内は返事を返した。出刃包丁はすやすやと安らかに眠る少年の頭上にかざしたままだった。
        *
「……少年は眠ったんですか?」
 三原刑事は少し不思議そうな顔をしながら、山内に尋ねた。
「はい、まあでも時間が時間でしたし…」
「包丁を突き付けられるという、緊迫した状況で…?まあ、子供っていうのはマイペースなもんですからね」
「あ、わかります。それ。うちの娘も昔からどこででも寝ましたし…」
 あの頃は可愛かったなあ、なんて思うはずがない。今も可愛い。父親の心境というのは子供が小さいころから対して変わらないものだ。だからこそ拒絶された時はつらい。
「それにしても少し気になったので御聞きしますが…」
「はい?」
「少女と少年、中年男性は本当に親子に見えましたか?」
「え…?」
 聞かれてしまうと、どうだろうか、と肯定することを躊躇してしまった。肉付きのいい、でっぷりとした体格の男性に反し、少女は男の山内から見てかなり痩せていた。今時の女性は標準体重以下でも「ダイエットしなきゃ」「太っているから」などと口癖のように言うもので、本人出ない限り体格の基準はわからないが――。
「顔はよーく見えたわけでは…運転中でしたしバックミラーとか、たまにちらりと振り返って…。体格は少女も少年もかなり痩せているほうで…あぁ、そういえば」
 一度、自分の隣までやってきた少女の服装はおかしかった。真冬なのにもかかわらず、薄いTシャツにジーンズだけ。少年はもう少し着込んでいたような気がしたが、極度の緊張を味わったせいで記憶が曖昧だ。無駄なところばかりはきちんと覚えているのに。
「その中年男性、見つかってないんですよ」
「は……?」
 三原の言葉に驚くのは何度めだろうか、いや、バスジャック事件に関する事実に対して、だ。
「その若いカップルからは通報があったので、履歴から連絡がついたんですが。男性からは通報もなく…報道されてからも音沙汰ないんですよ」
「そんな馬鹿な…」
 いくら実質的な被害がなかったとはいえ、最初に包丁を突き付けられたのは男性だ。真っ先に通報してもおかしくないだろうに。まさか警察に言えば復讐されるとでも思ったのだろうか。
「それに、…その少女と少年からも、通報がありません」
 その一言に山内は固まった。
 ――もしかしたら被害者はゼロじゃないかもしれない、と、考えてしまったからである。
「要するにまだ犯人に解放されていない可能性があります」
         *
次のバス停が『瑞穂浦』であることをスピーカーから流れた自動音声が告げる。犯人は包丁を持ち、眠っている少年を膝に乗せたまま、近くに座る少女に視線を向けた。
「ねえ」
「は、はいっ」
 あわてて少女が返事をする。
「君、降りてお金受け取ってきてくれる?」
「えっ……」
 当然の要求だった。自分で取りに行けるはずがない。
「運転手さんは逃げられちゃこまるしー、そこのオジサンはなんかにぶそー!君はだいじょーぶだよねえ?弟君、置いて逃げたりしないよねぇ?」
 何故そこでカップルに触れないのだろう、と山内は思ったが犯人を下手に刺激できない。何をいうこともなく、バスを走らせた。
「っ!…当たり前、です」
 か細い声で返事をした少女は、強い意志を持った目で犯人を睨みつけた。今度は言葉に違和感は感じなかった。
「そ、よかった。あ〜着いたっぽいね」
 そう、問題のバス停に着いた。心臓がばくばくと忙しない。それはきっと、山内だけではないだろう。
「じゃあ運転手さん、ドア開けて?」
 ドアを開けた瞬間、警察が立っていたらどれだけいいだろうと考えつつ、山内はドアの開閉ボタンを押した。
 少女が席から立ち上がる。ドアを開けた瞬間、バス内に外の冷気が立ち込めた。今年の冬は寒い。比較的温暖である銀山市も、今年は身が凍えるような寒さに包まれていた。そんな中、少女は秋でも少し肌寒いだろう薄着のまま、少しだけ躊躇したように竦んでから、ドアから一歩を踏み出した。
「おっ、早かったねー」
 ほんの二分ほどで少女はアタッシュケースをひきずり、バス内に戻ってきた。
「あけて。あ、運転手さんはドア閉めて、早く!」
命令された少女がケースを開く。山内もあわててドアを閉じた。開けてだの、閉めてだの、ややこしい命令がとぶ。
 山内がバックミラー越しに見れば、アタッシュケースの中には大量の札束だ。
――うわ、こんなもん、生ではもうお目にかかれないだろうな…。不謹慎にも山内はそんなことを考えていた。
 次はどうすればいいの?と言わんばかりに少女は犯人を不安そうに見た。
「…じゃ、そのケースからそれ出して」
「え?」
その言葉に少女がきょとんとした。
「で、中身、そこの…お…あたしのバッグに入ってるエコバッグに詰めて。あー、運転手さんはバス、出しちゃって」
「は…はい」
 エコバッグ持参(それも携帯をいれたものと含めて二枚だ)とは環境にいいことだが、その行動に山内も首をかしげる。後々考えれば、発信器、要するにGPSなどをケースにつけられた可能性を考えたものだろうが、現金用意までに与えた時間は20分弱と少なく、その間に発信器の準備ができたとは到底思えない。抜け目がない、犯人の行動。口調に反して頭は回る女性だと嫌でも思わされる。
「…つめました」
 少女がエコバッグに三千万円分もの札束を詰め終わる。
「はいはーい、オッケー、手際いーねー」
「あ、あの…どこに、向かえば」
 上機嫌で少女を褒める犯人に、山内が尋ねた。当然のことだが、この後犯人は逃走するわけだ。ならば、正規のルートを通らせるとは考えにくい。
「え?いいよ、普通のルートでえ。ただ、銀山駅二個前のバス停に停まってねえ」
 あたし降りるから。
 その言葉に、カップルが安堵したように身を寄せ合った。その気持ちは山内も同じだったので、そのまま黙ってバスを走らせた。これから警察に通報し、営業所、交通局に事情を話すことを考えれば胃が痛いが、とりあえず無事に帰り、娘の顔は見ることができる。それで十分だ。
「わかりました…」
 ただ、この時山内は、犯人が一人で降車すると思っていた。あまりの出来事に混乱していたことも要因だが、深く考えられなかった。   
身代金を受け取った後の犯人の行動を――。
 ワイドショーなどで犯人がよくとる行動を、頭に浮かべることすらしなかった。
        *
「では、本当に受け取ったんですね?三千万」
「はい、確かです」
 今朝のニュースでは、『身代金を要求された市長は即席の偽物を使い犯人の目を欺き、人質を救出した』とでていた。しかし、現実は本物の金を引き渡した揚句、捜査すらろくにしていない事態だ。
「偽物ということは?」
「…三十分で偽札を用意する方が難しくないですか」
「そうですね。俺もそう思います」
何でもないように言って、三原は小さく、三千万か…、と呟いた。
「三千万って意外と重くないですよ、重量的な意味では」
「えっ、そうなんですか?」
「所詮紙ですから。百万円の束が三十束あるってだけです。ひと束約100グラムとして、3キロくらいですね。多分重たい教科書背負って学校行く中学生や高校生ならもろともしないでしょう」
「はあ…そういうもんですか」
「そういうもんです、今日日の中学生は教科書全部持って帰らされる学校もありますから。部活でいる道具、ラケットとか…そういうものも合わせればかなりの重量ですしね」
「俺は三千万なんて想像もつかないくらいの金額で、重さも、あー重いんだろうなーくらいにしか考えなかったんですけど…」
 刑事は何千万という大金がらみの事件にも慣れているのだろうか、それとも刑事の予備知識なのだろうか、特に表情も変えず淡々と言ってのけた三原を、山内はすごいなあ、と思いながら見つめた。
「…20分か…」
「え?」
「あ、すみません…では続きをお願いします」
「はあ…」
「…その先が最も重要ですから」
        *
「はい、みなさんお疲れさまでしたぁ〜」
のんびりと言ったのは犯人の女性だ。
「私はここでおりまーす。携帯は一番前の座席にあるから後はご自由に〜」
 犠牲者が出ることなく、事は終息しようとしていた。山内も、乗客も安心しきっている。中年男性の顔にも生気が戻っていた。
「ただ悪いけど、この子にはもうちょっと付き合ってもらうからあ」
 ただ、その一言で山内は硬直する。そりゃあそうなのだ。身代金を受け取った後の犯人の行動なんてそんなもんだ。今更気づいて、心臓が跳ねる。
 犯人のいう「この子」はいまだに眠っている少年だ。
 人質。
 そんなものは、事件につきものじゃないか。
「ほらあ、いつケーサツが来てもおかしくないしい、保険は必要じゃん?運転手さんもーこの子が殺されたっていうニュース見たくなかったら、あたしが降りた後このバス、銀山駅までちゃあんと運転して、誰も下ろさないでね?」
 首をこてん、とかしげ「お願い」のポーズをとる犯人だが、端から山内に選択肢はなかった。抵抗すれば、包丁が少年に――まだ熟していない幼児の体に鋭い刃物が抉り込む様子はできることなら見たくはない。
「待って下さい!弟は放して!私が行きますからっ!」
 バスから降りようとした犯人に、少女が食い下がる。
「おい!下手に刺激すんなよ!せっかく――」
 カップルの男性から最低な野次がとんだ。
せっかく?折角なんだ。折角犯人が去ろうとしているのに、とでも言うつもりだろうか。――少年が人質にとられ連れて行かれようとしているのに?
 少女が弟を助けようと声を張り上げたことは何らおかしくはない。勇気ある行動を、自分の保身のために否定した男性に、犯人は一瞥してから、バスジャックをしているとは思えない程に穏やかな声を出した。
「――わあ、サイテー」
 その言葉に真っ赤になったのは男性の恋人、カップルの女性の方だ。自分が付き合っている男性が、少年を見捨てるような行動をとったことを、犯人に言われることは屈辱的だっただろう。
「そんな男別れちゃえば?…お姉ちゃん、おいで。そこのバッグもって。運転手さんドア開けて」
「は、はい…」
 犯人は包丁を持つ手をコートの内側に滑り込ませ、見えないようにすると、少年を抱えなおす。眠って力をぬいている少年がずり落ちそうになるのを、何度か態勢を変え防ぐと、犯人は身代金の詰まったバッグを持たされた少女を先におろし、次に自分が降りた。
「無賃乗車すみませ〜ん、今度倍払うから勘弁して下さい〜」
 その言葉を最後に、バスジャックは終息した。
 その後カップルは携帯を取りに来、その場で喧嘩を始め――なんであんな小さい子を見捨てるみたいなこと言うのよ――仕方ないだろ、犯人刺激したらあの子だって危なかったんだ!――そういう感じじゃなかったじゃん!もうっ、あんたが代わりに人質になる、くらい言えないの!?――何、お前俺に死ねっていってんの!?――うるさい!そんな意気地なしだとは思ってなかった――最終的に銀山駅に着くころにが男性が折れる結果となった。
余談だが、山内は両手をついて謝っている人間を初めて見た。
 到着し、バスを車庫に戻すため走らせている際、営業所や交通局へ連絡をすべきか悩んだが、警察に連絡した場合少年の命が危ない。追いかけてきた警察を見て、犯人が包丁をぐさり――なんてことになったら。考えるだけで恐ろしい。ならば他の場所に知らせても同じだろうと、踏みとどまった。
その後、帰宅したものの娘の誕生日には当然間に合わず、12月31日を迎えていた。
しかし、そんなことよりも人質にと連れて行かれた少年少女の安否がわからず、山内は意味もなく徹夜した。翌朝、プレゼントを開けたらしい娘からのメモに書いてあった「たまには休めば」という言葉にまた打ちひしがれる。
そして、朝一番の12月31日のニュースに、バスジャック事件の内容が放送されることはなかった。
*
「昨日ニュース見たとき、なんだ夢じゃなかったんだ、とようやく思えてきましてね…」
 一週間前のことを振り返ると切なくなる。職場の人間はおろか家族にも相談できなかった。しかし、三原の顔が渋いままなので若干どきりとした。
「な、なにか…」
「…あ、いえ…なんでも。…犯人の女性は、人質を気遣う素ぶりが目立ちますね」
「あ、ああー…はい。そういえば」
「…最初から殺す気はなかったでしょうね」
「は?」
 何故そう言いきれるのかわからずにいる山内を放置し、三原はペンで手帳に何やら書きこむと、立ち上がった。
「これで事情聴取は終わりになります。お疲れさまでした」
「え?あ、はい。お疲れさまでした…」
「またご連絡することになると思いますが宜しくお願いします」
「はい…できれば仕事の都合がつく日にお願いします」
 結局、捜査の内容を殆ど聞かされなかった。当たり前のことだが、バスを運転していた山内としては色々と腑に落ちないことを残したままだ。
しかし、この取り調べではっきりとわかったこともある。
 犯人の女性が要求した三千万円は十中八九――『1230』の不正金。つまりは横領された税金。山分け会のあるビジネスホテルから一分のバス停が金の引き渡し場所だったこと。12月31日に三千万円もの金を現金で市が有していると――横領されていたと犯人が知っていたこと、『1230』の詳細を知っていたこと。これらの要素から間違いないだろう。刑事達もそれを事実として流し、詳しい説明はせずに終わった。
 『1230』のグループの誰かが裏切ったとしたら、人を使って不正金を独り占めしようとしたのだとしたら――辻褄は合うのだが。ただ引っかかっていることがある。
「三原さん」
「はい」
「…お聞きしてはだめですか」
「……」
 山内の問いに、三原が笑みを浮かべる。
「なんでしょうか?」
「今回急に横領が発覚したのは…何故ですか?」
現在の市長になってから毎年繰り返されていたという横領。それが何故、今になって発覚したのか。
「…山内さんって勘いいですね、いえ、まあそう思わない方がおかしいんでしょうけど」
 その答えが指しているものは――
「山内さんが思われている通りです。今回の横領疑惑が浮上したのはどうも例のバスジャック犯の手柄のようです」

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