12



「おにーちゃん、ここなあに?」
「動物園だ」
「くまさんいる?」
「…多分いない」
 渡辺、傳田と都合があった今日。高見達は以前約束していた通り動物園へやってきていた。志方はまだ横領の件で取り調べなどあるらしく、泣く泣く欠席。土産はリスのぬいぐるみで!と念をおした彼は小動物愛好家だ。
「高見くーん、はいチケット」
「ありがとうございます、傳田さん。愛ちゃん、行こう」
「はい…」
 先日、高見の母に連れて行かれた時着せられた服を着ている愛は、傳田に髪を巻かれたせいでお嬢様チックだ。
 あの、変じゃないですか。
 今朝、顔を真っ赤にしながら高見に尋ねた愛は、文句なしに可愛らしかった。
「今日、晴れてよかったです」
「おひさま…」
 愛の言葉に会わせるように、蒼が空を指さす。最近は曇りが多かったので蒼もはしゃいでいるようだ。
 今日はこうして、出掛けられるがそれも最後だ。今週中には、愛達は木村夫婦に引き取られる。銀山市外に住む彼らのもとに住むとなれば、頻繁に会う事は難しいだろう。
 それでも高見は、それが愛達のためになると痛いほど分かっている。自分では、二人を養うことはできない。
「おい、早く行くぞ」
 仏頂面の渡辺に急かされて、入場ゲートをくぐった。チケットを蒼に渡させてやると、きゃいきゃい喜ぶ。小さい子供が楽しいと思うことは大人にはよくわからない。
「わぁ…」
 入ってすぐの、フラミンゴのコーナーを見、愛が目を輝かせた。しかし、特有の匂いに高見は顔を顰めるばかりだ。
「愛ちゃん、もうちょっと奥行こう」
「え?どうしてですか?」
 愛は匂いが気にならないらしい。志方が無いので、フラミンゴに近づきたがる蒼も一緒に傍によった。ピンク色の羽が綺麗ではあるが高見はあまり鳥類が好きではない。子供の頃、公園でパンを食べていたらつつかれたことがあるからだ。
「くまさん…」
 フラミンゴを見終わると、蒼の興味がくまに移った。だが、くまはいない。
「高見君、ホッキョクグマならいるわよ」
「え、本当ですか」
「ええ、あっち。私たち、ライオン見に行くからいってきなさい」
 傳田の別行動宣言に動揺したのは渡辺だ。どういう風の吹きまわしだ、と思ったが、どうせ只単に高見達を三人にしてやりたいだけなのだろう。納得すると、高見に行ってこい、と声をかけ傳田の手を取った。
「え、ちょっと」
 強引に引っ張って歩き出す。傳田がなにやら五月蠅いが、とりあえずライオンのコーナーまで来た。人気らしく子供が多い。
「どうしたの、渡辺さん」
「どうしたのじゃねえよ。高見達を三人にしたかったんだろうが」
 意味をくみ取って行動してやったと言うのに何故そんな、ぽかんとした顔をされなければならないのか。
 不満に思い、渡辺がため息を吐くと傳田が苦笑いした。
「そう思ったんだ」
「あ?それ以上になにがある」
「二人きりになりたいとか、そういうんじゃないかって思わなかったの」
 渡辺の肩が僅かに跳ねる。
――落ち着け、この女はまた俺をおちょくってるだけだ。腹黒だ!
 自分に言い聞かせ平静を装った。
「本当のことだろうが。あいつらに気使ったんだろ」
 そもそも二人きり、なんてシチュエーションが傳田の口から出てくる事自体不気味だ。
 それに渡辺と傳田が二人きりになることなんて、今迄多々あった。
 こういった、いかにもなスポットに来るのは初めてなのだが。
「渡辺さん…そんなんだからモテないんですよ」
 急に余所余所しい話し方に変えた傳田が不機嫌そうな顔をした。
 いや、騙されてたまるか。
「モテねえってなんだよ」
「だって、私と初めて会った時も彼女居なかったし、それからだって一人もいないじゃない」
 傳田と渡辺が初めて会ったのは、渡辺が高校三年生、傳田が高校二年生の時だ。脚本が不在で困っていた時、文学部から無理やりひっぱってきた人材、それが傳田だった。
 当時部長の渡辺は、傳田に頼みこみ、文化祭の脚本を書いてもらった。それが始まりだ。
 そして何より、渡辺が彼女を作らなくなった原因だ。
「お前に会ったからだろうが…」
「はぁ…?」
 当時から傳田はぶっとんでいた。先輩にも偉そうに指示する彼女は、練習でも容赦がなく、いっそ彼女が部長といっても過言ではない状態だった。結局脚本の仕事が気に入った彼女はそのまま演劇部に居座り、次の部長の座についたのだった。
 そんな無茶苦茶な傳田だったからこそ、渡辺は魅かれた。傳田がタダの美人だったとしたら、こんな感情は持たなかっただろう。
「お前のせいでこちとら10年くらい片思いだ」
 聞こえているかわからないくらいの、小さな声で呟いたにもかかわらず、傳田の耳にはしっかり届いていたようで。
 驚いたように目が見開かれたかと思えば、がっと肩を掴まれた。
「何――」
「今度その台詞小説で使わせて!!」
「あァ!?」
 自分へ告白した相手に普通そんなこと言うか!?第一声がそれなのか!?
 信じられない気持ちでいると、傳田が嬉しそうに笑った。
「何よ、これって褒め言葉よ。小説に書いちゃいたいくらい、嬉しかったし、素敵だったんだから」
 言って微笑む傳田に、渡辺が固まる。
 くそ。
 なんで俺はこの女にリードできない。
「それで返事は」
「え?うん、いいよ」
 あっさりとした返事に、渡辺が脱力する。10年の片思いの末がこれって、どうなんだ。
「渡辺さん、遅すぎ」
「は…?」
「私だって、10年片思いしてたから婚期が遅れたんだから」
 声が出ない。
「ま、まさか…」
「そのまさか」
 お互いリョウオモイで10年ぐだぐだやっていただなんて。正直、時間がもったいなさすぎる。しかし、今の二人があるのも、その10年のお陰だ。
「それで、いつ籍入れる?」
「お前…、気が早すぎないか」
 そもそも、両思いだったとして、これは付き合ったことになっているのか。付き合っているとして、まだ交際時間は数分だ。
「10年もお互いつるんできて、嫌なとこもいいとこも分かってるのに、これ以上時間必要?」
 確かに、一理ある。傳田に関して自分が知らない事なんて、あるのだろうか。
「……そうだな」
 結婚するか。
 何気なしに呟くと傳田が嬉しそうに笑いながらも不服そうな顔をした。
「プロポーズはもうちょっとひねらないと」
 うるさい。
         *
「…行っちゃった」
 傳田達が行ってしまった後、愛が呆然としながら呟く。
 残された高見達は、ホッキョクグマを見るべく移動を始めた。
「傳田さん…一緒にお土産みるって言ってたんですけど」
「あ―…いや、あの二人は、いいだろ」
「?」
「蒼、足いたくないか?」
「うん…くまさん、まだ?」
「おう、もうすぐだ」
 ホッキョクグマのコーナーもやはり人気なようで、込み合っていた。小さな蒼が蹴飛ばされそうで不安な高見は、蒼を抱えあげ肩車をする。高いところが楽しいのかはしゃぎ出した蒼に、愛も笑みがこぼれた。
「重くないですか?」
「全然平気だ。愛ちゃんでも全然持ち上げられる」
「えっ…それはちょっと」
「冗談だよ」
 顔をあからめた愛に高見が笑う。
「クマ見えるか?」
「くまさん、しろいよ?」
「おー、ホッキョクグマだからな」
「ほっきょく?」
 ついでにセイウチなどを見て回った後は、小動物のふれあいコーナーに向かう。ふわふわしたウサギが気に入ったのか、蒼は隣にしゃがみ込んで背中をなでていた。愛も嬉しそうにウサギを抱き上げる。
「かわいい…」
 俺はお前が可愛いと思う。なんて臭過ぎる台詞は吐かない。自分が気色悪くなる。
「高見さんも、だっこします?」
「…いや、俺はいい。ちょっと飲み物とか買ってくるから、蒼見ててくれ」
「あ、はい」
 高見が売店に行くからとその場を離れてすぐ、近くにいた女子高生の集団から話しかけられた。
「ねえ、藤原じゃない?」
 びく、と震える。
 そこにいたのは、中学時代、愛と同じクラスだった同級生。イマドキっぽい服に身をつつんだ彼女たちはばっちり化粧をした顔を愛に近づけた。
「久しぶりじゃん」
「…あ、うん」
 正直、どうしていいかわからず、蒼に目を走らせる。ウサギを触るのに夢中らしく、こちらには気づいていない。
「お父さん大変だったね?」
 嫌みを含んだ声色。悪意を隠そうともしない彼女の言葉。一緒にいた友達が、なになに?何の話?と騒ぎ出す。
「さっき一緒にいたの誰ぇ?もしかして彼氏とか?紹介してよ」
「た…高見さんは」
「へえ、高見さんっていうんだーあの人」
「かっこよかったよねー」
 愛はどうこたえていいかわからなかった。彼女たちに、どう言えばいいのか、さっぱりわからない。
 だって、自分は高見の何でもない。
「ねえ、紹介してくれるよね」
 でないと、あんたの事、ここで話すから。
 言われて、恐怖する。
 ここで自分が、横領をした藤原市長の娘だなんて言われたら――高見にも迷惑がかかる。
「それは…」
「彼氏じゃないよね?釣り合ってないもん」
 釣り合っていない、確かにその通りだ。高見は格好よくて勇敢で優しくて。それに比べたら自分は――突出したものが、何もない。
「どういう関係?」
 そんなの、わからない。
 自分が高見の何なのか、全然わからない。
「愛ちゃん?」
 いつも優しく自分を呼ぶ、その声が妙にとがっていて、愛は驚いた。
「高見さん…」
 片手に売店の袋をぶら下げた高見は、愛の同級生を睨みつけた。
「愛ちゃんの友達?」
「はい、私、藤原さんの中学の同級生です」
 にっこり笑いながら言う彼女に、高見は興味なさげにふうん、と鼻であしらっただけだった。
「随分、品が無いな」
「なっ――」
「行くぞ、愛ちゃん。蒼、おいで」
「…うさぎさん」
「うさぎさんはまた後でな」
 蒼を抱き上げ、愛の片手を掴む。そのままふれあいコーナーを出ようとしていた高見達に、愛の同級生が叫ぶように言った。
「その子は藤原市長の娘なのよ!?」
 その言葉に周囲がざわつく。
 愛の顔は真っ青になっていた。しかし、高見は何一つ動じない。
「知ってる」
 それだけ言って、高見は歩き出す。
 愛は最後に、呆然としている元同級生を見た。

「あの手の女は大っきらいだ」
 動物園の展示コーナーまで来た高見は、近くにあったレストランに入った。席に着くと、とりあえずドリンクバーを注文する。
「荒井もああいうタイプだ。自分に自信があって、相手を馬鹿にするのが大好きな」
「…えっと。私」
「気にしてないとかいうなよ。気にしろ。でないと、駄目だ」
「…はい、あの、もう帰りますか…?」
 同級生に言われた事が、愛の心に重くのしかかる。自分は高見のなんだろうか。自分にとって高見はヒーロー…あるいは王子様?だとして…、高見にとっての自分はなんだ…?
「絶対やだな」
「えっ」
「もしかしたら暫く出掛けられないかもしれねえのに、こんなことで捨ててたまるか」
 暫く、ということは、愛が木村夫妻に引き取られたあとでも、出掛けてくれると言う事だろうか。愛は少し期待してしまった自分を叱咤して、口を開く。
「…高見さん、もう無理に私に付き合ってくれなくても大丈夫ですから」
「…何?」
 今迄は、愛が藤原から逃げたくて高見の家に居座っていただけだ。高見には迷惑だったに違いない。何度高見が、そうではないといっても、愛にはそうとしか考えられない。
 そんな愛の様子に高見は何度溜息をついたか。
「愛ちゃん、聞いてくれ」
「は、はい」
「…俺が劇団に入るのは知ってるな」
 先日、高見は見事テストに合格し、傳田の紹介した劇団に入団を果たした。今後は大きな公演に向けての練習があり、さらに準主役に抜擢されたため忙しい。
 しかし、これは大きなチャンスだ。
 高見はバスジャックで犯人を捕まえたことから(自分も銀山市バスジャックの犯人だが)表彰を貰う事になっており、小さくだがテレビで取り上げられるかもしれないとのこと。
 そうなれば、高見のいる劇団の話題性がぐんと上がる。高見にとってこれ以上ない機会だ。
「はい…それが、何か…」
「俺がもし、有名な俳優になれたら」
 結婚しないか。
 言った高見も、言われた愛も、真っ赤だ。
「え…えぇ…?」
 驚きすぎて、声がでない愛に対し、高見はコーラをぐいっと喉に流し込み、咽る。
 蒼はそんな二人を見ながらオレンジジュースをストローでちびちび飲んでいた。
「な、何言ってるんですか高見さん…」
「ああ、悪い。うん、中間飛ばしすぎた…」
 俺と付き合ってくれ。
 高見の言葉に、愛はまともに顔があげられない。どうしたらいいの、こんなの。
 わからなくて、どうしようもなくて――嬉しくて。愛は黙ったまま頷いた。
 高見は力が抜けたようにふにゃふにゃ笑い、よかった、と何度も呟いた。
 そんな高見に愛は、自分のばくばく高鳴る胸が苦しくて仕方が無かった。

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