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 高見が渡辺達にあることないこと話している真っ只中。自宅で満足げにパソコンを見ているのは、言わずもがな傳田である。
 市長達が志方に罪を擦(なす)り付けようとしていることを、渡辺から聞いた傳田は即座に行動を開始した。インターネットカフェに、変装し、更に偽名使用で入室。動画サイトに、音声をアップして、テレビ局にURLを送信した。つい先ほど帰宅したところだが、動画サイトを見ればそれなりの再生数になっている。
 タイトルは、『銀山市市長ら横領グループの会合音声』――内容は、志方に歳出記録の不審点を指摘されたことや、それによってグループに誘った事、半ば脅迫じみたことをし、志方を自分たち側に引き入れたこと、三千万の現金を口止め料にすることなど、横領グループがべらべら喋っているものだ。
 傳田は、高見がバスジャックを起こした時、ホテルにいた。市長らが予約した部屋にあらかじめレコーダーをしこみ、バスジャックの対応に追われている間に回収。バスを追おうとした場合にそなえ、市長らの車を使用できないよう、カラースプレーで落書き。そしてバスジャック犯として警察に提供した『1230』中の映像は、色仕掛けでおとした警備員に睡眠薬を盛り、そのすきにデータを取り出した。
 何気に、実行犯の高見よりもスリリングな役割だ。しかし、それをケロリとした顔でこなしてしまうのが、傳田である。
「これで藤原も終わりかなー…」
 自分たちの行いは決して正義とは言えない。関係のない一般市民を巻き込み、どうこうする権利を、四人は持ち合わせていないからだ。犯罪を起こし、犯罪を起こす行為は、勧悪懲悪と言われようと、なんだろうと、正しくはない。
「…高見君大丈夫かなー」
 正義感の塊のような青年。
 昔から人一倍、曲がった事が嫌いだった。OBとして、高校の演劇部に顔を出した際、茶らついた学生(進学校だろうとなんだろうと、少し柄の悪い生徒はいる。それでいて成績がいいのだから不思議なものだ)に絡まれていたときも、助けてくれたものだが。
「…ま、何はともあれ、志方さんはこれで大丈夫かな…」
 少しは叩かれるかも知れないが、少なくとも志方は横領を「する」ことに肯定はしていないし、その証拠もない。ましてや、黒幕であるなど、言語道断だ。
 これで傳田の役割はすべて終了だ。
「あとは愛ちゃんと蒼君の問題だけね、高見君…」
 傳田は、見慣れた天井を仰ぎながら、呟く。彼女たち姉弟が只ならぬ事情を抱えている事位、渡辺も傳田もわかっている。まさかそれが、市長の子供であり、虐待されていたからだと言う事をこの段階で傳田は知らない。
 今後父親が『DV父親』として、『横領した市長』として、世間を騒がせることになる愛と蒼のことなんて、考えられるはずがなかった。
         *
 事情聴取が始まって、愛達が市長に虐待されていたことと、それに伴う証拠――バスジャック直後にとった、愛の体の打撲痕の写真――を見せ終わったところで、ひたすらメモをとっていた三原が顔をあげた。
「あの、大丈夫ですか」
「……はい」
 相変わらず、高見に縋りつくようにしている愛。蒼は泣きつかれて寝てしまっていて、よりかかられている高見としては辛い。こんな心理状態で、自分が虐待されていたことを、他人から言われることなど苦痛だろう。だが、自分で言うのはもっと苦しいに違いない。そう思うと、三原は何も言えなくなってしまった。
「え…と、それで…バスジャックの時の話を聞かせて貰いたいんだけど…藤原愛さん…?今、大丈夫…かな」
「…高見、お前聞いてるんだろ。話せ」
「あ、はい…」
 肩がびくりと跳ねた愛に、高見の口が重くなる。しかし、言わなければならないだろう。
「実は――」
「私が話します」
 涙声で、しかしはっきりと申し出た愛に、三人とも目を剥いた。
「愛ちゃん…けど」
「大丈夫、ですから…」
 自分で話したい。
 そんな強い意志と、父親と決別する決心が、目に宿っていて高見は何も言えなくなってしまった。
 大丈夫、私は高見山にふりなことなんて、言わない。ちゃんとできる。
「私と、蒼は…12月31日…、家出したんです」
「家出…」
 耐えきれなかった。
 12月31日に近づくにつれ、父の機嫌は悪くなっていき、毎日のように暴力が愛を襲う。横領という犯罪行為を始めたのは蒼の母を助けたかったから――だから、彼女亡き後、横領を続けることなど苦でしかなかったのだろう。しかし、今更止めることもできなかった。
 愛はそんな事情は、ぼんやりとしか知らなかったが――たとえどれだけ立派な理由があろうと、自分を殴ってくる相手と過ごす事が、苦でない筈が無い。
 逃げ出した。
 中学卒業後、ろくに出かけもしなかった愛の着る事が出来る私服は少なく、真冬だというのにコートも着る事が出来なかった。家に現金は置かれておらず、蒼と二人、夜の街をただひたすら歩いていた。
 そんな時、一人の中年男性に声をかけられた。親切そうな声色で、困っているならお金をあげる、ついておいで、そんな風に言われ、怪しく思いながらもバスに乗り込んだ。世間知らず、と言えばそうなのかもしれない。
 その誘いが援助交際を指していることに、愛は全く気付かなかったのだ。
 バスに乗ってから、自分の体を撫でまわす男の手に、どれくらい耐えただろう。それほど時間は経っていなかったのに、長く感じた。いやだ、誰か――そう言いたいのに、声が出ない。別の座席に座る蒼はもちろん、自分の事情など知らない。
 そんなとき。
 バスに乗り込んできていた、少し身長の高い女性と目があった。眼鏡の奥の瞳は、自分の向こう側に座る中年男を睨みつけていた。
 そして出刃包丁が、中年男性につきつけられる。その瞬間、愛の中でなにかがふっきれそうになった。目から涙が出そうになるのを必死で耐える。
「はあい、皆注目ぅ」
――ヒーローだ。
 恥ずかしげもなく、そんな風に思った。
 バスジャック犯は、自分を助けてくれたのだ。自分たちを、中年男性から引きはがしてくれたのだ。
 だから――人質にされようと、何をされようと、内心怖くはなかった。

「…バスを降りた後はすぐ、解放されました。その後、家には帰れないし、どこにも行けなくて…警察に行ったら、連れ戻されるかもって…思って」
「そうなんですか…。それで高見さんに?」
「はい…高見さんが、私たちを助けてくれて…。虐待のことは、すぐ…私たちから」
 本当は、バスジャックの後志方の車で、アパートに送ってもらっていた。その最中、後部座席で高見は女装をとき、男に戻った。全く気付いていなかった愛は驚き、蒼は起きて開口一番「だあれ?」と目をこすりつつ言ったものだ。
 虐待のことは連れて帰ってもらったアパートで高見にすぐ指摘された。この寒さの中の薄着、それに手首に残った痣からだ。
「バスジャック犯のことはあまり知らないんですけど…このほかで何かありますか」
 うまくできたかな。
 心配に思いながら高見を見上げれば、微かに口端を吊り上げていた。
「愛ちゃん、頑張ったな。辛かっただろ」
「……ッ!」
 高見の手が、愛の頭を撫でる。
 高見の言うとおりだ。自分が虐待されていた記憶は、あまりに辛く、苦しい。思い出すことは、出来る事ならしたくなかった。
 それに、自業自得とはいえ、中年男に厭らしいことをされたことも。
「ひっ…っう…」
 再び涙腺が緩む。高見がハンカチで拭ってくれるが、それではたりない。鼻水や涙が、どんどん吸収されていく。
「高見、ほらよ」
「あ、ありがとうございます」
 見かねた渡辺が、ボックスのティッシュを投げた。高見はティッシュを何枚か重ね、愛の鼻に押し当てる。
「ほら、鼻…」
「っ、も、いいですから!自分でやります」
 好きな男に鼻水をぬぐわれるなんて見っともなさすぎる。涙までならセーフだが、鼻水は駄目だ。恥ずかしい。
 高見は高見で、好きな女が泣いているところを放っておけるような男でもない。
 そのまま二人がティッシュをめぐり、小さい攻防を続けていると、三原がぽつんと呟く。
「二人ってやっぱり…付き合ってるんじゃ」
「三原、黙っとけ」
「…はい…」
 結局銀山市バスジャック犯の有力な手掛かりは得られず、刑事一課はがっかりしたが、人質二人の問題は、解決した。
「あの二人、これからどうするんですかね…」
「あ…?」
 三原の言っている事がわからないほど、渡辺は馬鹿ではない。父親の逮捕がほぼ核心的なものとなった今、彼女たちが帰る場所はない。たとえ祖父母の家に避難したとしても、マスコミに嗅ぎつけられるのは時間の問題だろう。既に藤原市長の実家はおさえられている。
「…しらね」
「えー…」
「施設に入るなりなんなりあるだろ」
「…助けてあげないんですか」
「刑事の業務内にそんなもんはない」
 きっぱり言い切った渡辺に、この冷血漢、と三原が呟く。
「じゃあお前がどうにかしろよ」
「えー!」
「…あの、心配しなくても俺が何とかしますから」
 ようやく落ち着いた愛を離し、高見が立ち上がる。正直言えば、手取り16万そこそこの高見に、愛達を養うだけの経済力はない。
 しかし、あてはある。
「…じゃあ、そういうことで。また着て貰わねえと駄目な時は連絡するか、こっちから行くぞ」
「はい、わかりました」
 渡辺は高見達に退室を促すと、納得のいっていない三原を引きずり、部屋を後にする。刑事一課に戻る際、かち合ったのは今日取り調べを受けていた志方だ。
「志方さん…」
「渡辺君、こんにちは」
「……」
 マイペースな志方はのんびり挨拶をし、こちらに歩いてきた。二枚目なのに、なにかがずれている。傳田が以前漏らした感想だが、あながち間違ってはいない。
「取り調べ終わったんですか?」
「ああ…なんだか、例の横領の会合の音声が流出したようだよ。それで僕の取り調べはまた後日になってね」
「音声が…?」
 傳田の仕業だ。
 確信した渡辺は深く息を吐く。
「…そうですか、じゃあ俺はこれで」
「渡辺」
「っ!」
 肩を叩かれ振り返るとそこにいたのは、一課課長の河野だ。
「課長…どうかしましたか」
「どうもこうもねえ。アホが」
「アホ…」
 河野は今日捕まったバスジャック犯の取り調べ帰りのはずだが、えらく不機嫌だ。
「銀山市バスジャックの模倣犯ってとこだな。本人もワイドショーで見た手口を真似たといっているが、たいして実行はできてねえな」
 河野の言う通り、今回のバスジャック犯はすぐに高見に撃退されたため、ろくに「バスジャックらしい事」はしていない。
「とりあえず、拳銃の入手経路を調べ次第、動く事にする。それより今は『1230』の件だ。人質二人はどうだった」
「バスジャック犯にはすぐ解放されたようです。藤原の家に帰らなかったのは本人たちが望んだことと、虐待を受けていたから、らしいです」
 答えた渡辺に、河野が胡散くさそうな顔をした。
 一番の障害がこの課長であることくらい、渡辺もわかっている。――どう丸めこむか。
「それで、横領については何か知ってたか」
「いえ…何も知らされていなかったようで」
「まあ、いい。行くぞ」
「はい」
 丁度戻るところだったらしい河野とともに一課に帰る。課内は皆パソコンを食い入るように見ており、音量がギリギリまであげられたそれから、市長達の声が漏れていた。
 これで横領の件はかたがつくのも時間の問題だろう。そうなれば、最後の心残りは愛達の今後だ。
 口ではああいった渡辺だが、あの二人を心配していないというわけではない。高見は金銭的に養うのがきつい状態であるし、だからといって藤原市長の実家に帰ればマスコミに追われ周囲から迫害される可能性もある。
 ああ、どうしたものか。
 そんな風に思っていた、矢先。デスクの電話が、着信を知らせる。
「はい」
 渡辺が受話器を取ると、事務からつながってきたものだった。
「藤原市長の関係者という方からお電話です」
「……つなげてください」
 つながった電話。相手から発せられた声は、年寄りだとすぐわかるものだった。
「もしもし、私―…」

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