08



「お袋」
 ハッとして後ろを見ると、重そうな扉から高見が入ってきたところだった。高見の次に、知らない女性が続く。愛を抱えている高見は、普通の私服だ。
「優!なんて格好で――」
「うるせえ、誘拐犯。俺はこの店に来たくて来たわけじゃねえよ。愛ちゃんに変な格好させやがって」
 え、変なんだ…。愛は少しへこんだ。
 それに気付いたのか、高見が慌てて言葉を付け加えた。
「いや、可愛いけどな」
「おねーちゃん、かわいーよ?」
「……」
 少し不貞腐れた愛に、高見が苦笑いする。
「お母さま!優さんが私と結婚して、大学にも入り直すというご決意をなされましたわ」
 勝ち誇ったように、荒井が宣言する。愛は嘘、と顔を青ざめさせながら、高見を見上げた。しかし、うざったさそうに、顔を顰める高見は、ばあか、と吐き捨てた。
「嘘に決まってるだろ、相変わらず単純だな。お前は」
「な…ッ!そんな!」
「愛ちゃんを助けに来るために適当に合わせたに決まってるだろうが」
「う、嘘吐いたの!?」
 怒りで頬を紅潮させた荒井は、ギッと愛を睨みつけた。
「あんた、どういうつもりなの!高見さんに纏わりついて!迷惑なのよ!」
 個室とはいえ、高級レストランでどなり散らす彼女の行動は、どう見てもマナー違反だ。ドアが叩かれ、従業員がお辞儀をしながら入ってくる。お客様、お静かにお願いします。そう注意された荒井はお門違いに愛を責め立てた。
「あなたのせいよ…全部!」
『お前のせいだ…全部!』
 荒井の言葉が、いつかの父の物とかぶる。あの時は、何も言えなかった。けれど、今は違う。はっきり反論する力を、愛は持っている。
「怒鳴ったのはあなたの意志で…私のせいじゃありません。それに、高見さんに文句を言われても、あなたに言われる筋合いはありません」
 俯きながら、恐る恐る言った愛に、高見は口元を緩めた。
「言うな、愛ちゃん。こいつは馬鹿なんだよ、許してやれ」
「ば…ッ!?」
「そろそろ帰るぞ。買い物まだしてないしな」
「は、はい…」
 愛が立ち上がり、そして黙ったままのリサを見た。唇をぎゅっと結び、高見を睨みつけている。
「…お袋、俺はあんたの言う通りには生きない。言ったよな、家を出るとき」
「本当にそれでいいっていうの…?低所得者と呼ばれるような、職業について…ろくな生活できてないんでしょう?」
「荒井と一緒だな。いいか、決めつけるな」
 愛が今迄聞いた中で、一番低い高見の声。抱きかかえられている蒼が、びくりと震えた。
「俺の幸せは俺が決める。…それに、俺はこんな女ごめんだ」
 高見が荒井に向き直り、言った。
「俺は、手取り10万代でも、安アパートに住んでても、文句言わねえで俺自身を好きになってくれる女と結婚する。お前みたいに金に目がくらんだ奴は御免だ」
 ぐい、と愛の手首が引かれた。
「帰るぞ」
「…、はい…」
 高見は振り返る事もなく、ずんずん廊下を歩いて行く。
「あ、服が…」
「いい、貰っとけ。よかったな、外行きの服代浮いたぞ」
 愛が今着ているのは、肌触りのいいふわりとしたワンピースだ。リサの指示で着せられたものだが、高そうな割に普段着にも使えそうだ。
「ったく…あの店に入るには、この服着ろだのなんだの…要するに一緒に歩く自分がみっともねえから嫌ってだけじゃねえか」
「あの、高見さん…」
 ぶつくさ文句を言う高見に、愛はくすりと笑う。
「高見さんって、御曹司だったんですね…」
「……ぽくなくて悪かったな。昔の話だ」
 むすっ、と不機嫌そうな高見はバス停前で立ち止まる。すぐにバスがやってきた。まだ昼なのでまあまあ乗客がいた。乗り込んで、一番後ろの多人数座れる席に腰掛け、蒼を真ん中に座らせる。愛もそれに続いた。バスが発車すると、しばらくして、愛が小さな声で、高見に尋ねた。
「…あの、高見さん。もうちょっと詳しい説明もらえます…?」
「…だよな…。愛ちゃん、高見製薬って会社知ってるか?」
 高見製薬。風邪薬から本格的な医療用の薬まで幅広く扱う日本では有名な製薬会社だ。
「俺の父さん、つーか、うちの家代々その会社の社長でな。祖父さんが創立した会社で…一人っ子だったから、当然俺も跡継げってなってな」
 小学・中学と私立に通わされ、成績はトップ3に入らなければ厳しい説教。
 あなたは将来、会社を継ぐんだから。
 そんな母親の押し付けに耐えきれなくなった高見は、母親に相談せず、勝手に公立高校への進学を決めた。みっともない、なんて言ったくせに、トップ入学を果たした高見が新入生代表挨拶をした際には周囲の保護者に自慢していて、そんな母親に情けなさを感じないわけが無い。
 公立高校がみっともないだとか言った癖に。
 お前は何さまだ、という話だ。むしろ、金があることを良い事に、他人を見下すお前がみっともねえよ。
そんな風に考えるくらいに、高見は母が嫌いだった。
 部活には入らず予備校に行きなさい。
 自由なんてものがまるでない、青春なんてできそうにない。それを理解した時から、母の命令に高見は従わなくなった。出来るだけ、家に帰るのが遅くなる部活に入ろう。そんな決意から入部したのが演劇部だ。
 下校時間ぎりぎりまで練習する時もあれば、男ばかりのノリで部室で馬鹿やっていたりして、家に帰る時間は遅かった。
 配役が女役ばかりだったことを除けば、楽しい高校生活だった。
「お袋の押し付けが嫌で、半ば家出で就職した。そしたら逆鱗に触れたってほどじゃねえけど…最初の一年は帰って来いだの大学行けだの、毎日アパートまで来てどなり散らしてきたんだ」
「…けど、高見さんは」
 高見さんは恵まれてる。
 自分からしたら、将来のことをきちんと考えてくれる人が身近にいたというのは、なんて羨ましい話だろう。
 ただ、少しベクトルは違うのかもしれないけれど。
「…愛ちゃんが思うようなもんじゃない」
「え…」
 愛の表情で、心中を察したらしい高見が苦笑いする。蒼が高見の膝に頭をのせたので、そのまま甘えさせて、頭を撫でた。
「お袋が心配してるのは会社と自分の財産だけだ。俺はそのための道具だった。その証拠に、俺が今普通に生活できてても、押し付けてくるだろ」
 そうしたほうが、絶対いいだとか。ためになるだとか。ふさわしくないだとか。そんな押しつけが嫌になるのは時間の問題だった。だからこそ、両親に反発し、勘当同然の気持ちで家を出た。そして気付いていた、本当は自分の選択が間違っていた事も。
 きちんと、お袋とも話して。親父を説得して――自分のやりたいことを認めさせる。それが、客観的に見て、「ハッピーエンド」につながる道だと、今ではわかってるんだ。
 けど、俺はそうはしなかった。説得する、なんて簡単に言えても、実際は物凄く難しいからだ。
「それは高見さんを心配して…」
「……愛ちゃんはそう思うか」
 高見にも、そう思いたい時期があった。けど、何度ちゃんと生活できているからとつっぱねても、しつこく食い下がる母に対し、いつまでもいい感情なんて、続く筈が無い。
「ねえよ、あの人は、私腹を肥やしたいだけの、傲慢な人間だ。…そうじゃなきゃ、俺だって」
 普通に親孝行な息子になっていたかもしれない。母に却下され、笑い飛ばされた将来の夢だって、かなえられたかもしれない。そう言った高見の顔は、苦虫を噛み潰したようで。
 見ていられなくなった愛が、話をふる。
「高見さんは…将来の夢、なんだったんですか?」
 叶えたかった、夢。母親に笑われた夢。
 けれどそれは、高見には大切なものだっただろう。もしかしたら、今も。
「…何だと思う?」
「……アイドル?」
「なんでだよ…」
 要するに愛の答えは高見が美青年だから、という安直な考えから来たものだった。高見は自分がアイドルをしている光景を思い浮かべ、笑ってしまった。少し恥ずかしそうな愛の頭をぽんぽんと叩き、高見はカミングアウトした。
「実はな、ずっと演劇の役者になりたかったんだ。…最初は帰りが遅い部活なら何でもよかったんだが、演劇部入ってから芝居が楽しくなったから」
「…そう、なんですか」
「愛ちゃんは」
「え…」
「愛ちゃんは、何になりたい?」
 現在形で訊かれ、戸惑う。自分にはもう、夢をかなえることなどできないだろうに。
「……しょ」
「しょ?」
「小説家…とか…」
 父から貰ったものは、きっと愛が思った以上にたくさんある。暴力もその一つだったが――嬉しかったものの中で一番だったのは、分厚い本だった。愛の母が置いていったもので、美しい幻想的な世界で主人公が成長していく、そんなストーリー。それから、紙に手書きで小説を書くのが楽しくなっていた。家に帰らず学校に残って書いたり、昔は友達に呼んでもらったりもしていた。
 小学生までは、本気でなりたいと思っていた。いつだったか、諦めてしまったけれど。
「…けど、もう…」
「頑張れよ」
「え…」
「小説家とか、学歴もいらないし。指導してくれるやつもいる」
「指導…?」
「傳田さん。そこそこ売れてる小説家…らしい。自称だからわからないけど。文章の書き方とか、相談に乗ってくれると思う」
「そう…だったんですか」
 愛は傳田が少しだけ苦手だった。何せキャラが強烈だ。けれど、自分たちと一生懸命話そうとしてくれて、気にかけてくれて、温かい、とてもいい人だ。
「傳田さん…小説家だったんですね…」
「ああ、見えないだろ」
 失礼だとは思ったが、少し似合わない。なんだか、小説家は物静かなイメージがあった。傳田だと真逆だ。
「俺から頼んどく。傳田さん、愛と蒼は気に入ってるからな。それに礼の事もあるし」
 高見の言う礼の事、とはバスジャックの実行犯のことだ。傳田に急に「やれ」と言われ、犯罪の片棒を担がされたのだから、愛のことくらい頼んでも大丈夫だろう。
 勿論ここで口にはしないが。
 高見が、絶対引き受けてくれるから、と念を押すと愛は嬉しそうに笑った。
「私…頑張って、みます」
「ああ、頑張れ」
 高見の夢はもうかなえる事ができそうにないが、愛はまだ間に合う。頑張れよ、と言いながら、愛の頭を軽く撫でた。
 愛の顔は真っ赤だ。
「高見さん、あの――」
「全員動くな!」
 愛のか細い声は、突然バス内に響いた野太い声にかき消された。乗客から悲鳴が上がった。高見は反射的に蒼を窓側に移動させ、体を前にやり隠す様に座る。愛の顔は、先ほどまでと打って変わって、真っ青だ。
「てめえら!動くんじゃねえぞ!」
 バスの通路で吠える男は、下校中らしい、制服を着た小学生を脇に抱え――拳銃をつきつけていた。
「なっ……」
 高見の表情が険しくなる。
「てめえら、こいつが死ぬところを見たくなけりゃ、大人しくしな!」
 それはまぎれもないバスジャックであった。
      
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