03



銀山市バスジャック事件は、事が起こってから一週間近く経過した後、ようやく事件として認識されることとなった。今迄バスジャックは事件が起こっている最中に対応することが当然であったため、銀山署内は少々混乱している。勿論、混乱の原因はバスジャックが誰にも知られることなく終息していたこともあるが、更に重要な事がバス内の証拠という証拠がすべて消えていたことである。犯人が受け取った金がはいっていたアタッシュケース、それに乗客らの指紋、毛髪、その他に至っても一つのこらずすべて。
「なんなんでしょうね、この事件」
 事件を担当している刑事、三原は捜査ファイルを睨みつけた。刑事一課の中ではまだ新入りと呼ばれる三原だが、今迄様々な事件を担当してきた。世の中、平和そうに見えて中々淀んでいる。デスクの上に投げたファイルを一瞥し、三原は前の机に座る先輩刑事へと視線を向けた。
「先輩、どうですか。山内さんの発言に何かひっかかるところは」
「お前、あの運転手を疑っているわけじゃないだろうな」
「えっ」
 素っ頓狂な声をあげた三原に、先輩と呼ばれた刑事――渡辺光が眉間に皺をよせる。
「先輩、疑ってないんですか?」
 自分よりも経験も実績も上を行く先輩刑事が自分の考えを否定する様な意見を言えば、心配になるに決まっていた。見るからに情けない顔になった三原に、渡辺は深くため息を吐く。後輩の足りていないところは自分で補うしかない。
「俺は逆にお前がどうして山内を疑うのかさっぱりわからん」
「えー…、いや、ほら。バスの証拠が」
「いいか、バスの中をキレイさっぱり、証拠ごと掃除したのは運転手じゃねえよ。第一、あのおっさんは素人だろ。あんな犯罪グループ並みに完璧に、しかも誕生日だった娘ほっぽりだして隠ぺい工作なんざするか」
「…そんなもん、わからないじゃないですか」
バスの中を自由に細工できる人間は限られてくる。山内がバスを運転していたのなら、乗車後の点検と称せば可能だ。犯人と共謀している可能性も低くはないと、三原は考えていた。しかし、自分の尊敬する先輩刑事は、それは間違った憶測だという。
「…ちょっと付き合え」
 渡辺に促されるまま、三原はデスクから立ち上がる。ずんずん廊下を歩いていく渡辺に、少し気後れしながらついていった。どうにも、嫌な予感がする。課内で話せないような話とくれば、説教かよほどのことだけだ。
「…えっ、ちょ…先輩!」
「入れ」
 連れて来られた先の喫煙室には、部下にも犯罪者にも決して優しくない課長が一服しに来ていて、三原の度肝を抜いた。まさか、課長に説教されてしまうのだろうか。山内の取り調べの時に色々余計なことまで話してしまったからだろうか。縋るように渡辺を見たが、相変わらずの無表情。
「先輩…あのー、課長が」
「いいから入れ」
「は、はい…」
「課長、連れてきました」
 連れてきた、ということは渡辺が課長に命令され、ここに三原を連れてきたのだろう。それを理解した途端、三原の顔がひきつった。課長の説教は彼女にふられるよりも恐い。
「おー、御苦労。三原ぁ、顔に似合わずどうも猪突猛進らしいな」
 河野順平。銀山署刑事一課の課長であり、三原達の上司だ。配属三年目になった今でも三原は河野が苦手だ。がっしりした体格で強面の河野は、女子職員にも遠巻きにされている。そのせいで、婦警連中に騒がれる容姿の三原は、河野や独身の先輩刑事達にやっかまれることも少なくない。それは決して悪意のない、からかいの意を含んだものなのだが、女子職員も参加する飲み会の誘いを飛ばされることも多々ある。それも毎度毎度、「刑事一課」が参加するということを婦警グループに知らせ、三原の参加を言外に述べ散々女子を釣り上げるにも関わらずだ。配属三年目となればもう慣れたが、できればもう容姿の方はそっとしておいてほしい問題である。
「顔のことは、捜査にゃ関係ないと思いますがね…。なにか進展があったんですか?わざわざこんなところに呼び出すなんて…」
 三原が尋ねると、課長は普段、犯罪者を厳しく追い詰めるときと打って変わって楽しそうな笑みを浮かべた。三原の背中にぞわりと冷たいものが走る。渡辺も同じだったようで、若干顔をしかめた。
「ちょ、なんなんですか!」
「課長、三原にはまだ説明してませんから、少しだけ我慢しててくださいよ」
 渡辺が苛々しながら、胸ポケットに入った煙草の箱から一本取り出した。目の前にいる普段にこりともしない課長が満面の笑みを浮かべている。その原因は、銀山市バスジャック事件の背後にある、大きな犯罪について、自分が捜査する権利を得たことだ。紫煙を燻らせながら、三原に説明してやれば、見るからに顔つきが変わった。配属三年目にしてようやく見られるようになってきた、刑事の顔だ。
「それ、どういうことですか」
「どうもこうもない。うちの課には毒された人間がいないってこった。多分な」
「毒された…?」
「今回のバスジャック事件と横領の発覚。ちゃんと考えてりゃ、小さくない違和感がある」
 河野に言われ、三原は事件を振り返った。
 銀山市バスジャック事件。少女一人、児童一人、運転手の男性と中年男性、それに恋人同士である男女を脅迫し、バスを占拠。その後、市長に三千万の身代金を要求。市長は『偽札を渡した』と主張しているが、それは9割以上の確立で嘘だ。山内の話から、根拠が得られたわけではない。バックミラー越しに確認した、という主張は、恐怖による人間の錯覚、と見なされればどうにでもなる。――しかし、そうはならなかった。
 身代金三千万が、つい先日、全額警察に届けられたからである。届けられた、というには語弊があるかもしれないが、三日前、三原の所属する課の一人、実を言うと渡辺宛に、小包が届いた。中にはコインロッカーの鍵と、手紙だ。
 同封されていた手紙にはこんなことが書かれていた。
 ――銀山市の横領事件の証拠を確保しました。捜査に役立ててください。
 コインロッカーは銀山市の一番端の区にある駅のもので、後に調べれば監視カメラにはバスを襲った人物と同一人物であろう女性が映っていた。山内の証言と容姿はほぼ一致している。コインロッカーの中には、ぎっちりと詰め込まれた三千万円と、茶封筒が入っていた。渡辺とともに取りに向かった三原もその中身に目を通した。横領された金の詳細と、SDカード、それに犯人からの手紙。後に中身を改めると、市長とともに数人の議員、それに市の職員が横領についての会合を開いている映像が記録されていた。逃れようのない証拠だ。
 勿論、刑事一課はすぐに捜査を開始すべきだと上層部に進言した。しかし、捜査は中々開始されなかった。悪戯として処理すべき、と言われ渡辺がキレたことは三原にとっても衝撃的な思い出だ。「三千万届けての悪戯とかあるわけねえだろ!」全くその通りである。その時から、深い会には思っていたが、警察という組織に所属している公務員である以上、勝手に嗅ぎ回るわけにもいかず、そのまま迎えた翌日。テレビ局から刑事一課に電話がかかってきたのだ。――犯人は、警察にも横領に加担した者がいる可能性を見越し、証拠をテレビ局にも送っていたらしい――流石に決定的物的証拠の三千万は警察にのみだったが。テレビ局側は、自分たちにのみ証拠が送られてきたのだと思ったらしく、慌てて警察に連絡したらしいが、それも犯人の計算の内だ。流石に幹部も無視できなくなったらしく、捜査に切り出した。
「……」
「わからんか」
「い、いまいち…」
 黙り込んでしまった三原に、課長がいっそ気持ちが悪いくらいの上機嫌で答えを告げる。
「正解は、横領事件にしては発覚した金額が少ない、が一つ」
「はい…?」
 銀山市の歳入は300億を超える。それを考えれば3千万などはした金かもしれないが――少なくとも、現在の市長になってから繰り返されていることを考えれば、合計横領額は1億は越すだろう。
「確かに若干少ないと思いますけど…もしかして、それが全額じゃないと?」
「まあ、その可能性は大だ。横領グループの会合の証拠映像みただろ?それに今回のバスジャックで強奪された横領金三千万。よく考えなくてもおかしいと思わないか?」
 バスジャック犯が警察に届けた、横領グループの会合映像。内容は市長と市議の数人、その部下達が写っていたのだが――パソコンと書類を使い、何やら話し合っていた。そして途中で部下らしい男が持ってきた、アタッシュケースを開いて――。
「あ…そうか」
 今更ながら気付いた。少し感じていた違和感。額なんてものよりも、つっかかる点がある。映像は三千万円を取り出したところで途切れていた。おそらく、その後はバスジャックの対応に追われていたのだろう。
「口座に入れりゃいいのに、なんで現物でもってきたかってことですよね?」
「その通りだ」
 今の時代、闇取引にしても何にしても現金を持っていく、などと危ない橋を渡るものはほとんどいないだろう。口座で振り込む方が余程自然だ。銀行の振り込みに関して記録が残る、と言っても警察が四六時中見張っているわけではない。その上、河野が、毒されている、と言う通り、今回警察が積極的に今回の事件を捜査しようとしなかったことから、警察内にも内通者がいた可能性がある。そうなれば、現金で三千万という大金を用意する必要性は皆無だ。何故、現金をホテルに持ち込んだのか。その謎は、勿論当事者達以外、知る者などいないだろう。だからといって、現職の市長と市議を逮捕に踏み切ることは難しい。映像証拠がある以上は簡単だと思われていたのだが、どうにも、一筋縄ではいかないものだ。
「現金三千万を毎年ホテルに持ち込んでいたかはわからねえが、可能性としては薄い。事情聴取じゃあ、そんな金は知らねえとほざいてやがるらしい」
 口悪く言った渡辺に、三原は苦笑いした。
「映像証拠ってのは、色々と立証がもめますからね…盗撮だと証拠にならない場合もあるし」
「いや、あれは恐らく監視カメラのものだ。だが、こっちには現物がある、横領金がどこから絞られたか記載してある税金の歳出記録もある。おそらくは、バスジャック犯が市長達からぶんどって、俺たちに寄付したもんがな」
「…まあ、その通りなんですけど」
 課長の「寄付」という表現に三原はどう反応したものか、と頭を悩ませた。犯罪者から寄付された証拠って、効力あるのかなあ、と考えていると、渡辺が意地悪く笑う。
「何言ってんですか、課長。あれは『一般市民』からの届け出でしょう?」
「えっ、先輩?」
「あの手紙には、自分がバスジャックを起こした、なんざ一言もなかっただろ。…それに、今更バスジャックを市長が認めりゃあ余計に不利になる、どっちに転んでも市長達は横領をしていた、認めざるを得ない。だから、送られてきた三千万と、証拠は俺達が『善良な一般市民』から受け取ったものだってことでいいんですよ、ね、課長?」
「……うわー」
 その手があったか、と思うと同時に、バスジャック犯もこれを狙ったのだろうと気づかされた。
「それと、違和感の三つ目だ」
「え?まだあります?」
「大ありだ。三原、お前はあの山内という運転手が、共犯だと考えたんだな?共犯を疑うその思考は悪くない」
「あ、あざっす!」
 自分が課長に褒められることが珍しくて、思わずてれてしまうと、渡辺に馬鹿か、と頭をはたかれた。
「確かに共犯は必ずいる。だが、山内じゃない」
「けど、バスの中の証拠が綺麗さっぱりなくなってたんですよ?それは…」
「それは市長達がやったことだ」
「市長達が!?なんでですか?」
「何でも人に聞かず考えろ!今、渡辺が言ってただろう」
 課長に激をとばされ、三原が畏縮する。そして考えた。何故、市長達がバス内の証拠を消したのか――。
「あっ!」
「わかったか」
「わかりました!バスジャックが露見したら横領も連鎖的にバレるからですね!」
 バスジャック犯が捕まり、現金が警察に渡れば、その現金がどこから出たものか、という話になってしまう。いくら警察内に内通しているものがいたとしても、流石に上層部全員が市長に「毒されて」いるわけではないし、一部の課、例えば刑事一課はごまかせないだろう。その上バスジャックともなれば、報道も入り、テレビで「市長達が犯人に三千万を渡した」と報道されれば、「市長達は何故三千万という現金を用意できたのか」と言う話になる。事件当時の状況を考えれば自然に、だ。更に、犯人は「1230」を公表する、と市長らを脅しており、警察に捕まり、自供されては元も子もない。よって市長らは、バスジャック犯を逃がし、盗られた三千万を捨てることを決断したものと思われる。よくよく考えてみれば、犯人がどれだけ計算してこの事件を起こしているかよくわかる。
「そうだ!お前、考えればわかるのに人にすぐ訊くんじゃないぞ!」
「はい、課長!すみません!」
 小学生が教師に言われているような会話だが、まあその通りだった。
「と、いうことは?そこから導き出される答えは?」
「えー…、あ」
 今考えれば、バスジャック犯から送られてきたとされる映像は、恐らくホテルの監視カメラからのものだ。
「ホテル内の人間が、バスジャック犯の共犯!?」
「そういうこった」
 課長がようやくわかったか、と三原の鈍さにうんざりしながら呟くと、渡辺が補足した。
「それなら、警備の人間が一番怪しいですね」
「確かにな…今、篠川達がホテルにいってるはずだ」
「いつのまにそんな指示を…」
「お前が昨日、山内さんに事情聴取してる間だよ。俺が部下への命令全部お前の目の前ですると思ってんのか」
「…おっしゃる通りです」
河野が言うには、現在刑事一課の刑事がホテルの警備室等おさえているらしいが、そのあたりはどう転ぶかはわからない。勿論横領グループが手をまわしたホテルだということは刑事達の間では既知の事実とされていた。証拠はでていないが、三年間同じホテルで横領グループの会合が行われていたとなれば、『そういうこと』なのだと嫌でもわかる。警備室の人間が横領の取引に気付かない事も不自然だ。
 そしてホテルの映像を、渡辺が言う様に「提供」できたということは、バスジャックの共犯者もホテル内にいた可能性が非常に高い。それも、渡辺が言う様に警備の人間が一番疑わしいだろう。
「だが、バスジャック犯は当面放っとくぞ」
「はい?なんでですか」
 またしても、考えなしに尋ねた三原に、渡辺と河野が眉を寄せる。
「お前少しは自分で考えろってさっき言ったところだろうが…」
「あっ、はい!すみません…」
「渡辺、その辺説明しとけ。俺は戻るわ」
 河野に言われた渡辺は面倒そうに顔をしかめ、わかりました、とだけ返して短くなった煙草を灰皿におしつけた。
「…あの、先輩」
「……バスジャック犯は放置の意味わかんねえか」
「いや、だって。人質が二人とも無事か分からない様子なんですよね?」
「ああ、そうだ」
「だったら、救出のためにも逮捕しなきゃならないんじゃないですか?」
「…お前な。横領を公表するためにバスジャックしたと思われる人物が、人質監禁したり殺したりすると思うわけ」
「そりゃあ…そう思うかもしれませんけど。今の世の中どう転ぶかなんてわかりませんよ」
 山内の話にあったように、犯人が人質を気遣っていたとしても、犯罪を起こす人間である限り、思考が途中で切り替わってもおかしくない。今の世の中、魔がさしただけで人を殺すものもいる。いちいち、人の性格だとか、そういうことを考えている場合じゃない。
「…確かにそうだけどな。よく考えてみりゃあ、わかるだろ。犯人は相当な策士だ。犠牲者も出してなけりゃ、市長達に身代金要求すんのも、ぐだぐだ考えさせないように、最低限の時間しか与えねえように電話してやがる。バスの時間帯も、ルートも、市長の行動も完璧な計画だ。だが、ひとつ計画外のことをしてやがる…何かわかるか」
「…わかりません」
「人質を、二人連れてったことだ」
 三原には最初意味がわからなかったが、渡辺が睨んできたので、必死に考える。人質は最初、姉と弟の、弟のほうだけを連れていく予定だった。確かに、決断力も行動力もある大人達よりも、無垢な子供の方が人質にしやすい。
「…確かに考えてみれば、そうかもしれませんね。山内さんやカップルの話だと、最初は弟だけ連れていくつもりだったんでしょうし…」
「そうだ。小さい餓鬼なら途中で荷物になった場合、その辺の駅でこの子迷子みたいです、だとか言えば駅員に預けて逃げられるしな。始末するにしても体が小さいだけ楽だ。どちらにせよ、犯人は人質に子供を狙っていたんだろう。…だが、犯人は姉と弟、両方連れて行った。姉が縋りついたからだ。普通の犯罪者ならつっぱねるところなのに、バスジャック犯の女は一緒に来い、なんて言いやがった。それだと、始末するにも監禁するにも手間は二倍だ。そんな自分に面倒がかかる事進んでするはずねえわな。あんだけ緻密に計画練って、警察にも勘付かれなかったやつがよぉ」
「成程…流石、先輩!犯罪者の行動をよくわかってるんですね」
「……あー、まあな。お前もちゃんと深く考えてから物言えよ。事情聴取の時も、べらべら山内にいらねえことまで喋くりやがって」
「…す、すみません」
 先輩刑事を尊敬のまなざしで見つめてきた三原に、お前そんなキャラだったのか、と思いつつ、渡辺はため息を吐いた。そして三原に心の中で謝った。
 犯人の行動?わかるに決まってんだろ。
 その計画、俺も一緒に考えたからな。

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