消しゴム;記念すべきうちのサイト1番目の短編だったはず



 いつの時代でも、クラスにひとりくらい、「お調子者」なる人物はいるだろうと思う。それがまさに神子島結城という人物だった。
「はよー!」
「おーっす」
「相変わらずテンション高いな、お前」
クラスの男子に朝の挨拶をした神子島は、そのまま女子たちにも同様に挨拶した。
「はよーっす」
「おはよお、神子島君今日も元気だね。いいことあったの?」
「ん?俺は毎日いいことばっかだから!伊東ちゃん今日スカート短いし!」
「ちょっとぉ、どこ見てるのよっ」
「だって伊東ちゃん足細くてきれーだしィ、あたし羨ましい〜」
「お前、オネェ口調やめろよ!」
 仲のいいクラス、笑いの絶えない教室。
 その中心にいるのが神子島結城。
 これがこの高校の、このクラスの日常だった。
 神子島は美少年とも呼べるほどの容姿でこの性格なので、男子からも女子からも人気は高い。それは学校規模でも同じことだった。後輩からは慕われ、先輩からはかわいがられる。
 それが神子島の”日常”である。
 そしてもう一つ欠かしてはいけない、神子島の「日常」の一つが授業中に受け取るこの言葉だ。
「消しゴム貸して」
 声を発したのは神子島の隣の席に座る、座敷勇気。
 このクラスが始まった4月の始業式から今迄毎日、この言葉をかかさず言う人物である。長い前髪に邪魔され顔は殆ど見えず、制服は2サイズほど大きい物を着用している。恐らくはPTAのリサイクル販売で購入したのだろう。クラスでも浮いた存在だった。
 座敷、なんて名前から座敷わらしなんてあだ名をつけられている。
「神子島も大変だよな、毎時間消しゴム貸し続けて。あいつ消しゴムなんでもってきてねーの?」
「さあ、しらね。俺消しゴムレンタル屋だと思われてんのかね?」
「ねえよ」
 けらけら笑いだす友人に合わせ自分の面白くもなんともない発言で笑った神子島は、すり減った消しゴムを眺めた。
 不思議と座敷に消しゴムを貸すのを、嫌だと思ったことは今までに一度もない。
 翌日。
 学校にいくと妙にざわついていて、それでも神子島はいつも通り挨拶を友人とかわす。
 しかし友人の反応がおかしい。一体どうしたのだろうか、と思っていると携帯をもった女子が、囁き合っているのが嫌に聞こえた。
「でさあ…このサイトで神子島君が万引きしてたって…」
「うそ、ないでしょー」
「それがさあ、このスレでも…」
 自分のことを言われているのに、わけがわからなくなった。
「西高の女子ナンパしてラブホはいってったってー」
「うわ。写真じゃん」
「びみょー、顔見えない…」
 囁かれている名前は自分のものなのに、自分以外の神子島という人物の物なんじゃないかと、思いたかった。
 授業が始まる。担任の授業だった。
「神子島は昼休み、職員室に来るように」
 その言葉だけ妙に脳に響いた。わけがわからない神子島を置いて、事態は進んでいく。そんな中自分の方が誰かに叩かれて、ようやく神子島は正気に戻った。
「消しゴム貸して」
 恐らく、クラスメイトの中で唯一、神子島と同じく展開についていけていないであろう座敷。
「…うん、いーよ」
 いつも通りすり減った消しゴムを渡す。このときはじめて神子島は座敷ともっと話してみたいと思った。
 昼休み、呼び出されて判明したことは3つだ。
 一つは神子島の顔写真がネット上にあげられたこと。
 一つは神子島の事実無根な噂が掲示板に書き込まれている事。
 最後に、それをみていた殆どの学校関係者がそれを信じてしまったことだ。
 教師の態度は冷たい物で、そこで神子島は自分の八方美人な態度がよくなかったのだと、思い知らされた。誰にでもよく接する少年は、少しのヒビだけで脆くも崩壊した。
 教室に入れば、教師に呼び出されたことで神子島の”噂”は本当だったのだと認定されてしまったようで。ひそひそと噂が教室中を埋め尽くす。
 気分が悪くなり、笑う事も出来なかった。
 愛想笑いができず、ただ無表情のまま席に着いた。
 隣の座敷はなにやらノートに書き込んでいるが、横を見ることはできなかった。
 間違えたら、消しゴムを要求されるのだろうか。そんなことを思いながら、机に突っ伏して寝た振りをしていれば隣から声が聞こえた。
「北島さん。消しゴム貸して」
 その声は、神子島ではなく前の席の女子に向かって放たれたものだった。
 神子島はこの学校で唯一の味方を失ったような、奇妙な気分になった。
 碌に話した事もなかったのに、何故そんな風に思うのか神子島にもわからなかった。
 
 噂が出回り始めてから随分と経ったが、事態は変わらなかった。
 今日も誰も神子島に話しかけはしない。
 教室の隅、一番後ろの席で神子島は頭に入ってこない教師の声だけを聞いていた。
 それ以外に語りかける人物もいなければ、視線を向ける人物もいない。
 噂を真に受けているのかそうでないかは不明であるものの、たった数日で担任や友人、そして学校の神子島への態度はあからさまに変化した。
 それを一番理解している本人はなんとなく以前の自分こそが作り物であることに気づく。
 毎日楽しくもないのにへらへら愛想笑いして、人に話を合わせて、八方美人で人間関係ばかり気にして。
 しかし今迄のそんな努力は無意味だった。
 学校の裏サイトに書きこまれる根も葉もない噂、嘘、罵倒の言葉。
 それが神子島の築いてきたものをすべて解体した。
 少し前まで笑顔で話をしていた友人はもう冷たい表情を向けるだけで、昨日まで信じていると言っていたクラスの女子たちは見向きもせず、教師はまるで神子島をいないかのように扱う。
 現実が急に芽吹いた気がした。
 神子島は手に持ったシャープペンシルを指でくるりと回した。ああ、虚しくて仕方がない。
 それでも悲しくはならない、惨めな気持ちにもならない。
 ただ、自分が今まで「いい子」を演じてきたというのに、学校は自分より体裁を選び、自分を軽々しく切り捨てた。友人は自分を信じることはなく、巻き添えになる事を恐れ、あるいは自分を軽蔑し去って行った。
 そんな世間の厳しさに、今はひどく息がし辛い。
「なあ」
 そんな時、教室に妙に低い声が響いた。
 神子島は驚いてシャープペンを手から落とし、固い音は妙に静まり返った教室に響いた。
 肩に置かれた手が妙に温かく感じた。
 ぎこちないながらも、笑みを浮かべて神子島はそちらを見た。
「…なに?」
 何の用かなんて分かっていたのに、尋ねる。
 周囲の目は、教師の書いた板書ではなく明らかに神子島達の方へ向かっていた。先ほどまで視界にさえいれたくないと言わんばかりだった友人も、朝散々悪口をいった女子たちも、汚物をみるような目で神子島をみていた教師も。
 みんな神子島と、その隣の席に座る人物を凝視していた。
 しかし、当の本人はいつもとなんら変わらない様子で、口を開き、言うべき言葉を言う。
「消しゴム貸して」
 神子島を見て。
 神子島に話しかけ。
 神子島を触って。
 消しゴムを貸してくれと頼む座敷。
 今まで”友人”にされていた当たり前のことが、今では自分の涙腺を緩ませる程にうれしかった。
「…うん、いいよ」
 無性に泣きそうになるが、それを堪えてすり減った消しゴムを座敷に渡す。しばらく教室は静まり返ったままで、ごしごしとノートを消しゴムが滑る音だけに神子島は聞き入っていた。
「ありがと」
 いつもは聞き取れない、小さな声が聞こえる。
 神子島の方をむいた座敷の、前髪に隠れた意志の強そうな目が、少しだけ視認出来て神子島は息を飲んだ。
「…どーいたしまして」
 絞り出した声とともに顔に笑顔が浮かぶ。
 座敷は神子島をまじまじと見た後、彼にしては珍しすぎる笑顔を浮かべた。
 自分を一番信じてくれた人が、教師でもなく友達でもなく、消しゴムを借りるだけのクラスメイト。
 それでも神子島は嬉しくて、授業中であるのも気にせず言った。
「…座敷、どうして俺を信じてくれるんだ」
 その言葉に教室が騒然となる。何を言っているんだと思われても仕方がなかったが、座敷は神子島の言っていることがわかったらしく、しばらくして言った。
「いつも消しゴムかしてくれるから」

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