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 溝口さんは、結果的に言えば警察に連れて行かれた。
 相楽さんがいうには、溝口さんか婚活パーティー以前から相楽さんの周囲に現れ、しつこくついて回っていたらしい。
所謂ストーカーだ。
 尾行、盗撮、病院、家に押し掛けるなど今迄も迷惑行為が多く、警察に相談もしていたらしい。
 溝口さんはストーカーの過程で相楽さんが婚活パーティーに参加している事を知り、自分を売り込むチャンスと自分も参加したとのこと。
 今日、溝口さんと相楽さんが一緒にいたのは、病院から家に帰ろうとしていたところを待ち伏せされたかららしい。
「大変でしたね…相楽さん」
「…事を荒立てまいと我慢していたのが間違いだった」
 結局、俺はバイトを休み相楽さんの自宅に来ている。相楽さんは先ほどから唇をこれでもかというほど消毒していた。
「そんなに嫌だったんですか?溝口さんと…その、キス…」
「嫌に決まっている。俺は好きな奴としたい」
 相楽さん宅の立派なソファーで、隣り合って座っている相楽さんの手が、俺の唇に触れた。
 思わず、目をつぶってしまうが、これではキスを待つ態勢だと我に返り、慌てて目を開く。
 しかし、相楽さんはじっと俺を見つめているだけだった。
「あんな女に汚された唇で、お前にキスなんてできない」
 悲痛そうな顔で、呟く相楽さんに、胸の痛みを感じた。
「っ…、相楽さん、聞いても構いませんか?」
「なんだ?」
 相楽さんの優しい眼差しを受け、俺は自然と疑問を口にしていた。
「どうして…俺なんかを好きだなんて…思うんですか?」
 まだ若いのに、大きな病院の院長で、格好良くて、何もかも完璧な、そんな人が。
 コンビニやサクラのバイトをしている、こんな俺のことを好きになったのか、それがずっと疑問だった。
 相楽さんは、一瞬面喰ったような顔をしたが、暫くして俺の頭を撫でながら話してくれた。
「お前の勤めているコンビニに、仕事帰りに立ち寄る事が多かった」
「そ、それで?」
「…それだけだ」
「はい?」
「それだけだ。お前を見ているうちに好きになっていた。お前が笑顔で接客する姿や、棚を整理している姿…それを見ているうちに、だ。後は知らん。例の婚活パーティーには親がそろそろ結婚だなんだと五月蠅いから、形だけ参加した。お前と会ったのは偶然だ」
「……えぇ」
 唖然としてしまう。
 見ているうちに好きになっていた、ということは一目ぼれの様なものなのだろうか。…男に?
 しかし、よくよく考えてみれば、俺が相楽さんを好きになったのだって、見ているうちに、だ。明確な理由はない。
 ただ、相楽さんの笑顔や、行動が、いつのまにか自分の中で特別な意味を持つようになっていた。笑顔を見ると嬉しくて、不安な顔を見るとなんとかしてあげたくなった。相楽さんから電話をもらったら、おやすみの一言だけでもうれしかった。
 これが、恋というものなのかもしれない。
 誰かを好きになる事に、確かな理由なんて、必要ないんだ。
「…俺、フリーターだし、相楽さんと釣り合わないです…」
「そんな事、どうだっていい」
 相楽さんは、本当に優しい目で俺を見ていた。心臓が高鳴る、ああ、俺は。
「好き、です。俺も」
 人生初の、告白だった。
 喉の奥から絞り出した俺の言葉を聞いた相楽さんは、目を見開き、おそるおそるとでもいう様に、ゆっくりと俺を抱き寄せた。俺は今迄に体験したことのない心地よさに、身を預けてしまう。
「本気、か」
「…相楽さんが、本気で考えてくれって言ったから。俺、凄く考えました」
 悩み続けて、田所君にも相談して。
恋だと言われ、男を好きになってしまったかもしれない事実に、必死に抵抗していた。
 だけど結局無駄だった。
溝口さんと相楽さんのキスシーンを見て、どうしようもない感情に気付いてしまったから。
「好きになっていました、いつの間にか…えっと」
 ぎゅうっと力を入れて抱きしめられる。
「…あの、相楽さん?」
「お前の事がもっと知りたい」
「え?」
「櫻井…お前のことが好きだ、だが、お前のことを俺はあまりにも知らなさすぎる」
「それは、俺もです」
「そうだ。だから、知りたいんだ」
 相楽さんは、俺を抱きしめたまま囁くように言った。
「櫻井、お前のこと…もっと、俺に教えてくれ」
 幸せそうな、嬉しそうな相楽さんの表情に、俺も口元が緩んだ。
「なんですか、それ…。はは、普通逆なのに」
 通常、相手をよく知ってから好きになるものだ。
「順序なんて関係ないな。…少し待っていろ」
 相楽さんは、一度俺から離れると珈琲を淹れて戻ってきた。一緒に持ってきた茶菓子は、町で有名な和菓子店のもので、貧乏な俺は口に入れた事が無い高級品だ。それも山ほど。
「相楽さん、これ」
「お前に訊きたいことは沢山ある。かなりの時間がかかるだろう。腹が減る。お前も食べればいい」
「相楽さんって…よく食べますよね」
「…どうして分かった?」
 きょとんとした相楽さんに、思わず声を上げて笑ってしまった。どうやら俺の前では無自覚に食べていたらしい。なんだか可愛らしい。
 それから俺は、相楽さんにたくさんの事を話したし、相楽さんからもたくさんの事を聞いた。
 俺が大学に進学できなかった理由や、出身の高校、今のバイトのこと、好きな食べ物なんて些細なこと。
 相楽さんは緊張するとたくさん食べてしまう事。そして現在相楽総合病院の院長だが、医者ではないお兄さんのお子さんが医学部に進学していて、病院の跡継ぎはその子になる事――だから相楽さんは、俺と相楽さんが一緒になっても大丈夫だし、親に対して負い目はない、と言い切ってくれた。
「でも、親御さんは結婚して欲しかったんじゃ…」
 婚活パーティーに参加させたのは親御さんだ。その親御さんが、男と自分の息子の恋愛を喜ぶはずがない。
「大丈夫だ。俺の父と母は、俺に恋愛を知ってほしかったようだからな…もう、知った。…お前のお陰だ」
 頬を撫でられ、ぞわりとした。撫でられたところから、熱が広がって、体全体が熱くなる。
 俺は、どうして今まで気づかなかったのだろうという程に――相楽さんに、どっぷり惚れこんでしまっているのだろう。そうでなければ、こんな気持ちにならない。
「キス、してください」
 自然と気持ちが言葉になった。自分が何を言ったか気づいてから、どっと羞恥が身に押し寄せる。
「すみません!俺、なんで…」
 慌てて取り消そうとすると、相楽さんが心底残念そうな顔をしているのに気付いた。
「…したい、今すぐにでも。したいが…さっき、あの女が」
「あ…」
 溝口さんに強制的にされたキス。
 相楽さんは汚された、と言ったけど、まさかキスは初経験だったのだろうか。
「相楽さんって、もしかして…溝口さんが初めてなんですか…?」
「……」
 図星らしく、苦悶の表情になった。言うべきか悩んでいるらしい。
 それを見て俺は思わず吹き出してしまう。
「じゃあ、俺がセカンドキス、貰いたい、です」
 好きになったことを開き直ってしまえば、積極的になれたものだ。俺がそう言うと、相楽さんは目を見開き、やや緊張した面持ちで、言った。
「目を、閉じてくれ」
 心臓がきゅっとなった。
 キスは初めてではないのに、とても緊張した。唇が触れあうまでの時間が、長く感じる。
「ん…」
 優しく押し付けるようなキス、それが終わり、目を開くと顔を真っ赤にして、口元を押さえている相楽さんと目があった。
「相楽さん…」
「何も言うな。今の俺には、これが限界だ」
 恋愛経験のない相楽さんの、精一杯の行動に、俺は胸がいっぱいになる。
 ああ、なんてかわいいんだろう。この人は。
「俺、駄目です」
「?なんだ、どうした?」
「自覚したら…、もう駄目だ…」
 思わず身悶えていると、相楽さんが心配そうに俺の頭を撫でてくれた。
「どうした…?」
 俺を見つめてくれる目も、さっきキスした唇も、その優しい心も、相楽さんの何もかもが愛しく思えた。
 ずっと一緒にいたい。
 そう心が訴える。
「っ……」
 流石にそれを口に出すのは恥ずかしすぎるので、俺は黙って相楽さんの胸に顔を埋めた。そして相楽さんも黙ったまま、俺を抱きしめてくれた。
 ほんのりとアルコール消毒液の匂いがした。

 相楽さんと交際を始めて約四カ月たった二月末。
 俺はコンビニのバイトを真面目に続けてきた事が功を奏して、正社員に昇格することになった。まだ経営ではなく、実務の方だが、それでも給料と待遇は良くなる。
 病院の院長である相楽さんと釣り合うことはできないが、少しずつ、自分も成長していけたらと、努力していくことにした。
「サクラのバイト、辞めないとですね」
 肩に寄りかかったまま言うと、相楽さんは大きくため息をついた。
 相楽さんの家で、週末一緒に過ごすことは日課になっていた。勿論、俺はサクラのバイトを続けているので、夜になってからだ。それを相楽さんはあまりよく思っていないようだった。
「…もっと早く辞めればよかったんだ」
 正社員になると副業は禁止なので、サクラのバイトは辞めなければならない。それを告げると、相楽さんは少し安心したようだった。
「そんなこと言わないでくださいよ。…あのバイトがあったから、相楽さんと、その…こうして一緒にいられるようになったわけですし」
 サクラのバイトがあって、今の俺たちがある。それは相楽さんもわかってるはずなのに、俺がああいった恋愛の場に、演技であろうといることは、やはり心配なようで。
「…どうだろうな。例の婚活パーティーがなくても、俺はいつかお前に声をかけていただろう」
「はいはい、そうですね」
「…」
 拗ねたような、むっとした顔の相楽さんが可愛くて、へらへらと緩んだ笑みを浮かべてしまう。
 サクラのバイトがなかったら、俺は相楽さんと近づけなかっただろう。お互い、あまり恋愛に積極的ではないのだから。だから、サクラのバイトには感謝している。あの出会いに、あの場所に。
「春には、本当の桜を見に行きましょうか?」
「…そうだな」
 むすっとしながらも、肯定してくれる相楽さんに、俺は満面の笑みで答えた。
 
 


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