妻風邪をひく


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仲冬の風にあおられる葵邸の西の対の屋。
普段は閑散としている回廊を家令の凰晄と侍女頭が忙しく行き来していた。

「ケホ、……ケホン」

寝台に横たわる玉蓮は熱で火照る額に乗せられた氷嚢を見上げる。

「温くなってしまいましたか?」

傍につき添う侍女頭に声を掛けられ、大丈夫ですと首を振る。
それよりせっかく掛け布に皇毅の香を焚きしめて貰ったのに全く匂って来ないのだ。
玉蓮は洟をすすって涙ぐむ。

「これは風寒です……寒いときに起こりやすく熱がでますが寒気も強い。水っぽい洟水がでて……ぐず、」

「はいはい医女様、分かりましたよ。手拭いどうぞ」

呆れた声と共に手渡された手拭いを受け取ると、妻は恥ずかしそうに掛け布にくるまり寝台の中へと沈没していった。
蛹のような姿にため息を吐きながら侍女頭は室を後にする。

沈んだ様子の侍女頭の背はお粥を持って来た凰晄の目に留まった。

「どうしたのだ」

「凰晄様……姫様が体調を崩されているのに、当主様はお帰りになりませんね。なんだかお可哀想で………」

「本人より当主には報せるなとのお達しなのです」

声色を変えずに平然と言う家令に侍女頭のため息は深くなる。
香りを掛け布に焚きしめるほど寂しいのに、官吏である夫に心配かけないよう文を出すことを控えている。そんな健気な姿が痛々しい。

彼女が元気よくウロチョロと歩き回っていない邸は何だかいつもより広く冬のくすんだ色が濃い様な気さえする。
いつの間にかそんな存在になっていた。

沈みゆく短い陽を眺めていると、回廊を急いで表門へと急ぐ家人達が目に付いた。
次いで表門が軋みながら開く音と厩の方から馬の嘶きが聞こえてくる。当主の帰邸に違いない。

(良かったわ!)

侍女頭は嬉々として西の対の屋へと向かい待ち人の帰邸を報せようとしたが、「あら?」っと足を止めた。

夜着の上から掛け布にくるまった玉蓮が一目散に走って来るのだ。なんてこと。

………そんなに、待ちわびていたのか。

しかしいくらなんでも夜着で家人の前に出るなど端ない。
後で当主様と家令に説教されること間違いなしだ。

「姫様!そのようなお姿で表門へ出ては、なりませ………」

慌てて戒める侍女の言葉は通り過ぎる玉蓮を見送って止まった。
表門ではなく東の対の屋に向かっているようだ。

何で?
当主様はそっちではありませんけど………。

ぼんやりそんな事を考えているうちに、遠ざかる姿は小さくなり東の対の屋へと消えて行った。



あれよと云う間に東の対の屋に余っている侍女の空き室の扉がバタン、と閉まってそれきり静かになった。


帰邸した皇毅が事情を知り東の対の屋に赴いたが、扉越しに声を掛けても返事すらない。

「可愛げのない」

そんな言葉を吐き捨て踵を返してしまった皇毅に侍女達は総じて蒼くなる。

(姫様、何やってるんですか!?)



昊の陽はゆるゆると落ち侍女達の心と共に闇に染まった。






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