悲恋往々
一日の仕事が終わり夕餉を終えて室へ戻っていると、正殿に灯りが灯るのが見えた。
一緒に食事を終えた侍女達も明るくなる正殿に気が付いて指をさす。
「当主様がお帰りになったんじゃない?」
「連日お帰りになるなんて本当に珍しいわね。お夜食のお支度があるかもしれないから先に厨房場へ行きましょう」
侍女達が急いで厨房場へと向かう中、玉蓮だけはそのまま自室の方へと足を進めるがその姿を目聡認めた侍女頭が走ってきた。
「手伝ってください。正殿へお召しがあるかもしれませんし」
菜を皇毅の前に持ってゆくよう命じられるかもしれないと侍女頭は察していた。
玉蓮は正殿の灯りに目を向けてから静かに頚を横に振る。
「お手伝いは致しますが、私は正殿には参りません」
昨夜一緒に寝ていたくせに喧嘩でもしたのか。
そんな疑問が侍女頭の脳裏をよぎるが、今はそれどころではないので口には出さなかった。
それで結構ですから手伝ってくださいと促され、一緒に厨房場へ向かい薪を運びだす。
急いで夜食にする燕の巣の羹を準備していると正殿から凰晄が手燭を提げてやってきた。
準備されたものを確認すると手際よく器に盛りつけ蓋をする。
「玉蓮は着いてきなさい」
その命令に侍女達は玉蓮の姿を探したが、さっきまでそこで薪をくべていたのにいなくなっていた。
「あ、あら?さっきまではいました」
「どこ行っちゃったのかしら」
頚をふって探すだけの侍女達だが、そんな中侍女頭が一歩前に出る。
「先ほど正殿へは参りませんと申しておりました」
「そうか、使えない者をひっぱり出しても仕方がない。放っておきなさい」
深く追求せず凰晄は夜食の器を盆に乗せて消えていった。
侍女頭の推測どうり玉蓮は自室へ帰ってきていた。
会うからまた情が戻ってきてしまう。まさか新しい妻を迎える姿を見る事になるとは考えていなかったが、もう一縷の望みもないのだから心が落ち着くまで顔を合わせるのはよそうと決めた。
もうあんなみっともない姿は見せたくないと布団に潜り込む。
顔を見なければ自分の事など忘れてしまうだろう。
所詮その程度の仲だと、何度も言い聞かせるように脳裏で反芻するうちに思考が暗転した。
−−−−−−−−
−−−−−−−−ぎゅむ、……
頬が痛い。何かに頬を抓られている。
「ひた、ひ……こうきさま」
頬を抓るのは皇毅くらいなので半分寝ぼけながら人のせいにしていたら返事が返ってきた。
室が暗すぎて幽霊なのか何なのか分からないので玉蓮はむくり、と起き上がり蝋燭に火をつけると、目の前に鬼のような形相が浮かび上がった。
「きゃああーー!!……むぐ、」
叫んだ途端口を塞がれる。
「静かにしろ!隣で寝ている侍女どもが起きるだろ」
びっくりしただけでなく暗がりで見る皇毅の顔は本当に怖かったのだが、これは言わない方がいいのかもしれない。
騒がないから口を外してくださいと、手振りで訴えると大きな手が退いた。
「皇毅様!?こんな所で何をされているのですか」
何故人の頬引っ張っているのですか。
「医女に脈診を命じたが一向に来ない。貴様、手抜きで我が家から禄をせしめる気か……」
また変な事を言い出している。
玉蓮は口をへの字に曲げて凰晄から預かった書き付けを三行半のように突きつけた。
「私は皇毅様の奥方になる方のお世話を命じられました。凰晄様のご心労を増やすような振る舞いはもう終わりに致しましょう」
「奥方……?」
皇毅は突きつけられたしわくちゃの料紙を広げた。
妻に推薦される女人の姿画を皇毅が眺めるだけで玉蓮の胸は締め付けられる。
「これは……お前、凰晄に騙されているぞ」
「は、………?」
騙されている?
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