愛しい背
「では、下がらせて頂きます」
礼をとって踵を返すと応急処置で直された扉が軋音を立て開き、表には無表情の凰晄が仁王立ちになっていた。
秀麗に対しての振る舞いやご当主様のお室の扉を壊した事を思い出した玉蓮は気まずそうに低くなった頭を更に低くする。
「凰晄様…先ほどは失礼致しました……」
か細い声で告げるとぽん、とぞんざいに何か手渡される。
握ったものは美しい艶の陶器で蓋には繊細な模様が描かれていた。
手に収るほどの陶器を珍しそうに眺めていると、凰晄は「薬です」と短く告げて皇毅のいる室内へと入って行ってしまった。
なんの薬なのか訊きそびれ、臥台横の卓子に茶器を並べる凰晄の後ろに小さくなりながら控えて説明を待つことにする。
凰晄はそれに構うことなく皇毅へ向け告げた。
「先ほどの柿泥棒はどういたしますか?」
「どうでもいい。放っておけ」
皇毅は茶器の蓋を何度か滑られて傾けた。
柿泥棒とは秀麗のことに違いないだろうが、どうやらお咎めは無さそうだと安堵し、玉蓮は手にしていた陶器の蓋を開けてみた。
中には桜色の軟膏が入っている。
薬のような軟膏なのに、花の香りがして何より輝いていた。
(何かしら?この宝石のような軟膏)
一人で軟膏を眺めたり匂いを嗅いでいる様子を一瞥し凰晄は無言で立ち去ってしまった。
何の薬だか聞こうと思ったのにまるで相手にされていない。
「凰晄様にこの軟膏の事を伺いたかったのですが……」
「その薬見せて見ろ」
掌を出されて持っていた陶器をそっと乗せてみる。
蓋を開けて中身を確かめると皇毅は軟膏を指にとり玉蓮へと視線を向けた。
「これは打ち身に効く軟膏だが、真珠の粉が入っているかなり高価なものだ。随分と厚遇されているではないか」
「え、それを私に?」
意外なことに、こんな高価なもの頂けませんという言葉も忘れてしまった。
「扉に体当たりしているキチガイがいると報告でもされ、そんな事する者はお前くらいだからその薬を持ってきたのだろう」
「き、キチガイ……」
確かにそうかもしれないと、しょんぼりと肩を落とす。
そんな玉蓮に皇毅は近づいてこいと指を倒した。
「うっかり指につけてしまった。棄てるのも勿体ないので塗ってやる」
「……また、そのような事を」
先ほどの髪を結ってやるの続きだろうか。
指先に真珠の粉がキラキラと輝いている。公主様の為に特別に調合されたような、そんな軟膏だ。
使ってみたい正直な乙女心が疼くが、軟膏は皇毅の指の先にくっついている。打ち身は肩から背にあるので襟元をはだけないと塗れないではないか。
苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くす玉蓮。
こんな態度をとればきっと皇毅は機嫌を損ねて指に付いた軟膏を払い薬を放ってくるに違いないと考えていた。
宮城の宴でも可愛げのない振る舞いに官吏達は途端に態度を変えた。
花の様に微笑んで癒してくれる女であればいい。そんな風に思っている男達に好かれるのも嫌われるの簡単だった。
官吏である皇毅もそんな宴に参加していたのだろう。
指を倒せば微笑んで寄ってくる宮女達を沢山見てきただろうから、女という生き物は大抵そういうものだと思っているかもしれない。
そんな中、自分の愛する人だけはそんな女達とは違うと男はみな信じているもの。
皇毅にとってそれはきっと変わらず旺邸の姫君。
(最初から違った。私じゃなかった……)
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