越えられぬ壁
西偏殿の正殿前扉に張り付いている二人のお節介侍女はお互い目を見張った。
「当主様と姫様、床入りした?したの?」
「此処から寝殿なんて遠すぎて分かんないわよ!こんなに遅くまで二人でいるってことは、もう床入りしたってことで、お祝い用の餅の準備に取りかかっていいのかしらね」
はくしょん、と一人が嚔をした。
このままでは凍死する。
葵家の家人達は皆、皇毅と玉蓮が縒りを戻したのかどうか気になって仕方がなかった。
室に籠もっているがおそらく家令の凰晄など今夜は寝られないに違いない。
「でも凰晄様は姫様をお許しになるのかしら、険悪な雰囲気だったじゃない」
「それを決めるのは当主様よ。当主様が白と言えば白なのよ」
「なにそれ、どこの悪代官の文言よ」
小声で囁きながら、すりすりと手を合わせ、もう寒さ限界だから東偏殿へ戻って餅でも捏ねときましょうと立ち上がった所で扉の内幕が持ち上がる気配がした。
避ける間もなく扉が開き、激突した侍女は地べたに倒れ込んだ。
中からは口をへの字に曲げた玉蓮が高い敷居を跨いで出てきた。
侍女二人は仰け反ってどうしようかと一瞬考えた後、二人同時に平服した。
「おめでとうございます姫様」
「……何がですか」
なんだろう、超絶機嫌が悪い。
旧情が成就したのではないのか。
「と、と当主様にご寵愛頂き……まして?おめでとうございます?」
もごもご、と伝えると玉蓮は厳つい顔で睨みつけてきた。
応援しているのになんでメンチきられているの私達。
「皇毅様に今だけ昔に戻っていいですかとお願いしましたら、終いに寝台へ連れて行かれました……私、妓女じゃないのに」
侍女は倒れそうになった。
妓女ではなく妻として迎えてくれるということなのになんで拒絶しているのだろうか。
「おかしいのは当主様ではなく姫様です!当主様の気が変わらないうちに早くご寵愛賜ってきてください。林檎もって参りましたので『林檎とってきました』とか誤魔化してホラホラ」
ぎゅうぎゅうと室内へと押し戻そうとする。
横の侍女も加勢した。
「大々的に婚礼を上げて初夜を迎えられる身分ではないのならこうするしかないでしょう早く、」
侍女に悪気はなかった。
貴族の正室と側室、その下に側女。同じ待遇なわけがない。
しかし侍女は悪気無く、玉蓮がこれまで堪えてきた禁忌の言葉を出してしまった。
正室として迎えてもらえない。気が変われば棄てられてしまうような、そんな身の上だと、初めて葵家に来たとき侍女達はそんな目で見ていた。
そして今でもそんな風に思っている事を口に出してしまった。
玉蓮の痛哭は深まる。
「皇毅様は旺季様がご推薦する高貴な方を正室の条件に上げております。不確かな者などいらないならば、私も不確かなものなどいりません。唯一無二の正室として迎えてくださらないならば妻になどなりません」
その言葉に侍女達は絶句した。
後ろ盾なくしてそんなことが可能なのだろうか。
しかし玉蓮の瞳に瞋恚の色が滲んでおり、何も返すことが出来なかった。
やがて東偏殿の凰晄の室へ玉蓮が西偏殿を後にしたとの報せが届くと凰晄は立ち上がり、報せに来た侍女頭に自分の意向を伝えた。
「成就しなくてなによりだ。正室を狙っているとは、遂に本性あらわしたな。しかし幸運にもあの女狐に止めが刺せるものを見つけた。早々に決裂させてくれる」
侍女頭は穏やかでない言葉に驚きつつ凰晄が手に持っているもの眺めた。
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