「小野寺、来月号に巻中で作家陣へのインタビューを載せることになっただろ。その質問内容を考えてこい。明日の朝に提出な」 企画書を俺の机の上にぽんと置いて、高野編集長は言った。急ぐ仕事もないし今日こそは早く帰宅出来るぞ、と思っていた俺だったが、編集長のこの言葉で今日も残業が確定した。 今日こそは食器が洗えると思っていたのに、今日こそは掃除をしようと思っていたのに、今日こそは溜まっていた洗濯物を片付けられると思っていたのに、今日こそは… そんなことを考えながらノートパソコンに向かい、先程から動かずにチカチカと点滅しているカーソルを睨めつけた。 (―――――さっぱり思い付かない…) 少女達が、憧れる作家に対して何を尋ねてみたいのかが浮かばない。 …だから高野編集長は普段から乙女の気持ちになれ、と言うのだろうか。エメラルドの主な読者層は小中学生の少女だ。大抵の25歳独身男性に小中学生の少女との接点はない。確かに普段から乙女を意識する位でないと、彼女達には近付けないかもしれない。 エメラルドでは、クリスマスやバレンタインなどの特別なイベントが無い月に、不定期で作家へのインタビュー企画が行われるらしい。この企画は、作家のことをもっと深く知りたいというファンへのサービスであり、普段多忙でファンレターの些細な質問にもなかなか答えられない作家達の心苦しさを、少しでも解消するためでもある。 だから、より読者に関心を持って貰える質問を考えないと…と思っていたのだが、読者アンケートを見返しても、無難な質問しか思い付かなかった。 (…あ、作家と言えばこの間、武藤先生が「ファンの女の子からこんなお手紙を貰ったんですよ」と嬉しそうに話してたっけ…。 そうだ、武藤先生にファンレターの話を聞かせて貰って、参考にしよう!) 現在の時刻は10時を回ろうとしていたが、ネームの打ち合わせなどでこの時間に電話をかけることもよくあるし、今電話をかけても大丈夫だろう。意気揚々と携帯電話を開いた所で、急に視界が暗くなった。 「『特技』、『趣味』、『好物』か… 見合いじゃねーんだぞ、小野寺。もっと面白いこと書け」 耳元で声がしたかと思うと、俺の背後には高野さんが立っていて、ノートパソコンを覗き込んでいた。 「た、高野さん!いつの間にそんな所に立ってるんですか!」 「お前がニヤニヤしながら携帯を取り出したあたりから。 まだ終わってなかったのか?」 高野さんが呆れたように言う。今はまだ周期に入っていないから余裕があるが、雑誌の巻中企画などはもっと手早くまとめて、表紙や作品などにも力を入れた方がいい。だから期日も明日と設定されている訳で。 要領よく仕事をこなせない自分が悔しくて、俺はぽつりと言い訳を漏らしてしまう。 「………質問が、思い浮かばなくて…」 「お前、元々文芸が好きだったんだし、昔からの憧れの作家に聞いてみたいこととかないのか?制作についてとか、普段のこととか。そういうの書いていけば良いだろ」 子供の頃から本が好きで、それが高じて出版社に就職した。 この本を書いた人は、どんな人なんだろう。 穏やかな人なのかな、それとも気難しい人なのかな…。 あの頃はそんなことを考えながらページをめくっていたけれど、憧れや尊敬や好意も、上手く言葉に出来なければ誰にでも伝わるはずはなく。 「文芸編集になりたての頃、実際に憧れていた作家さんとお話する機会があったんですが…。 その時に『なんでこんなに面白い話を思い付くんですか』と言ってしまって、先生に苦笑されました…」 「…まあ、そうだろうな。『なんで』と聞かれても、どう答えていいか分かんねーよ」 高野さんの言葉ももっともで、沈みかけだった気持ちが、また一層沈んでいく。 「自分で思い付けなかったので、さっき武藤先生にファンレターの話を聞いたらヒントになるんじゃないかと思い立って…」 高野さんが訝しそうな顔になる。 「つーか、武藤先生は今、友達と海外旅行じゃなかったか?早めにネーム貰ってきました、って言ったの、お前だろ」 「あ。」 ………そうだった…。 自分の担当作家のことを失念していたことにも情けなく思えてくる。 …もう今日は家に帰ってシャワーでも浴びて、頭をスッキリさせてから、続きに取り掛かろうか…。 「今日はもう、一旦切り上げて帰宅してからやります…」 今開いているウィンドウを閉じて、ノートパソコンの電源を落とそうとマウスを動かした時だった。 「じゃあ、好きな奴に聞いてみたいことは?」 「…は?」 高野さんの唐突な台詞に、正直な気持ちがそのまま口から出てしまう。 「何言ってんですか、あんた」 「俺ならお前に聞いてみたいことはスラスラ出てくるぞ。 『初恋はいつですか』 『理想のデートスポットはありますか』 『今までで言われた中で、一番キュンとした台詞は何ですか』 『好きな男性のタイプは?』 『恋人に求める条件は?』 それから…」 高野さんは涼しい顔でペラペラと喋りながら、さっき俺が閉じようとしていたノートパソコンのキーを打つ。俺はというと、高野さんとは対照的に顔がどんどん熱くなっていく。 …高野さんの好きな奴、というのはつまり俺で。 カタカタと音を立てながら埋まっていく文字の数が、高野さんの気持ちと比例しているような気がして。 もうやめて欲しい。こんなことで動揺してしまう自分が嫌なのに…! 黙り込んだ俺の気持ちを知らない高野さんは、憎たらしい位に平然とした顔で言う。 「ほら、質問数埋まっただろ。お前は元々少女漫画に興味がなかったんだし、思い付く限界もたまにはあるだろう。 どうしても自分で思い付かないなら、自分の興味のあることに置き換えてみろ」 至極当然のように言った高野さんだが…それに頷く訳にはいかない。 「ちょ、何勝手に人のパソコン弄ってるんですか!電源も切らないで下さい!」 俺の抗議も聞かず、高野さんは先程の質問を打ち込んだ文書を保存し、ノートパソコンの電源を落とした。 「もう上書き保存した。気に食わないなら、後で消せば良いだろ。 それにお前、今日は一旦帰るんだよな?」 「…まあ、そのつもりでしたけど…」 いつの間にか高野さんは帰り支度を済ませていて、右手には俺のカバンを持っていた。 「ほら、帰るぞ」 「なんで俺が高野さんと帰らなきゃいけないんですか…っ」 高野さんの手からバッグ を奪おうと試みたものの、高野さんは俺のバッグを持ったまま部屋を出て行く。ノートパソコンを専用のバッグにしまい、高野さんを追いかけて、エレベーターでやっと追い付くことが出来た。バッグを返して貰って、なし崩し的に一緒に帰ることになってしまった。…しょうがないじゃないか、家が隣で帰路も一緒なんだから。 「そうだ、小野寺」 「なんですか」 「今日、うちに来い」 「嫌です」 ……………結局、玄関で高野さんの家に引っ張りこまれ、ビールを飲んで…色々あって、いつの間にか朝になっていた。 翌日、インタビューの内容を仕上げることが出来なかった俺は、昨晩に高野さんが保存した内容をベースに、朝の短時間に急いで書き上げたものを提出するはめになった。…ヤケクソだった。 それがあっさりと通ってしまい、そのままいつもの周期に突入したのでインタビューのことはすっかり忘れていた……………のだが。 今俺の机にある最新号のエメラルドの表紙には、『憧れの先生に聞く! 恋のQ&A』と書いてある。例のインタビュー企画のタイトルだ。 設問の半数以上が恋愛にまつわる内容になってしまったので、こういったタイトルをつけたのだが。 「ねぇねぇ律っちゃん、この企画読んでて思ったんだけどさ。律っちゃんって今、恋に悩んでるとか?」 「な、なんでそうなるんですか!」 「だって、この質問群を見てたら、『あなたのことをもっと知りたいんです、どうしたらあなたの恋人になれますか?』って言われてるような気になるっつーか…。どんどん質問が具体的になるところにも妙にリアリティを感じるし。 だから、律っちゃんは想いをつのらせてる相手がいるのかなー、と」 「いませんよ!」 俺の隣のデスクの木佐さんは「本当にー?つまんないの」と言って、今月号をパラパラとめくる。 突然、木佐さんの向こうのデスクで仕事をしていた高野さんが、顔を上げた。 「何、お前好きな奴いないの?はっ、嘘付け」 当然のように話す高野さんが憎たらしい。 そもそもこの質問のベースを書いたのは高野さんで、木佐さんの言う『想いをつのらせてる相手』が居るのは高野さんで、その『想いをつのらせてる相手』というのが……………。 そこまで考えて、不敵な笑みを浮かべる高野さんと目が合った。かっと顔が熱くなる。 「いません!!」 羞恥でどんどん早くなる自分の心臓の音を掻き消す為に大きく張り上げた声が、編集部に響いた。 模範的な解答と一部リンクしていました。 2011.08.28(2011.09.03 修正) |