思い出の一コマ2 | ナノ
声の方に視線を向けると、つり目がちの猫目を今は更につり上げた少年が、俺を睨み付けていた。

柳瀬優。
吉野の最も気の合う友人で、基本的に感情を荒げることは少ないクールな少年………なのだが、何故か今、機嫌が最高潮に悪い。

「あ、優だ。おかえり」
「ただいま、千秋。…で、お前、一体何してんの?」
柳瀬の不機嫌さに気付いているのかいないのか、呑気に挨拶する吉野に柳瀬が返事をする。でも視線は俺から外さない。
…頭に銃口を突き付けられて尋問されるのって、こんな気分なのだろうか…。背筋が凍るような冷たい柳瀬の表情と、手に持ったたこ焼きのパックから上がる温かそうな湯気が対照的で、尚更怖い。
慌てて先程の悪ふざけの拍子に掴んでいた吉野の手首から手を離すが、何だかんだでまだ目尻の涙を拭っていなかった吉野の顔を見て、さあ…と頭から血の気が引いた。



(………これはもしかして、俺が吉野を泣かせたと思われている…?)



羽鳥が保護者なら、柳瀬は猫のような外見に反して、番犬のようだと思う。それも、主人にしか懐かなくて、主人以外には容赦なく吠えかかる優秀な番犬だ。
柳瀬は、基本的に自分以外のことはどうでもいいと思っている節がある。あからさまに態度に出す訳ではないが、何となく常に周囲に一線を引いているようにも感じさせる。
ただし、吉野に纏わることは別だ。普段はノリも付き合いも悪い奴だけど、
「千秋が行くなら」
「千秋がしたいなら」
という理由で頷いてみせたりもする。

…つまり柳瀬は、自分以外のことはどうでもいいのではなくて、自分と自分が気に入ったもの以外のことはどうでもいいのだ。柳瀬の関心は主に彼の趣味である漫画と、友人である吉野に向けられていて、それで充分だと言わんばかりだ。
…そんな柳瀬が、実は自分の気に入ったものに関してはとても大事にする情の深い奴だということは、俺が吉野と親しくなるにつれて分かってきたことだった。



「ち、違うんだ、柳瀬!!吉野の目にゴミが入ったから、ハンカチ貸してやっただけ!なあ、吉野?」
「ああ、うん…」
慌てて言い訳をする俺だが、さっきまでしゅんとしていた吉野は既にけろりとしていて、柳瀬の手に持ったたこ焼きに目を奪われて生返事だった。
全く、泣いたり笑ったり腹を減らしたりと忙しない奴だ…しかし、こいつ本能に忠実過ぎやしないか…。

そんな吉野に気付いた柳瀬は、本当に大したことではない、目にゴミが入った程度のことだと納得したのだろう。吉野の隣に腰掛けて、たこ焼きの入ったパックと割り箸をテーブルの上に置く。
「ふーん…まあ、別にそれだけならいいんだけど。ほら、千秋の分のたこ焼き。マヨネーズかかってる方で良かったよな」
「うん。サンキュー、優!」
早速パックの蓋を開けた吉野が、嬉しそうにたこ焼きを頬張る。
因みに柳瀬のこの気遣いは、吉野にしか発揮されない。ソースの匂いを嗅いで大きな腹の音を立てた俺にはお構いなく、柳瀬は自分のたこ焼きに爪楊枝を刺した。
「…ん、お前も一個食べる?」
柳瀬よりは良心がある吉野が、たこ焼きを一つ食べ終えた後で漸く俺の腹の音に気付いたらしい。自分の爪楊枝にたこ焼きを刺して、俺の口元に差し出してきた。
「ありがとう。じゃあ貰うな」
…そのまま口を開いてたこ焼きを迎えようとしたのだが、横から延びてきた柳瀬に頭を叩かれて阻まれる。
「いでっ!何すんだよ、柳瀬っ」
頭をさすりながら騒ぐ俺には構わず、柳瀬はしれっとしていた。吉野はというと、行き場のなくなったたこ焼きを持ってきょとんとしている。
「ああ、ごめん何かムカついて。行儀悪いだろ、二人とも」
「だからって叩くなよ…結構痛いし」
「悪かったって。お詫びに俺のたこ焼き半分分けてやるから。
あ、ここに使ってない爪楊枝がもう一本あるから、お前はそれを使えよ。俺、お前と同じ爪楊枝使うの絶対に嫌だから」
「…ありがとよ…」
少し腑に落ちないながらも柳瀬の提案を有り難く受け入れた俺は、やっとたこ焼きを口の中に入れた。



「………ところで、柳瀬は彼女とか作んないのか?無愛想だけど顔は良いから、柳瀬なら直ぐに出来るだろ」
長い指で爪楊枝を持った柳瀬は、また不機嫌そうな顔になる。
「…無愛想は余計だ。大事なカメラのレンズに、ソースと青海苔を付けてやろうか?」
「やめてくれ。…っていうか、何か今日の柳瀬、俺に対して攻撃的過ぎやしないか…」
柳瀬はブスッとした俺の顔を見た後、美味しそうにたこ焼きを食べる吉野に視線を移して、ぼそりと言う。
「……彼女は、いらない。面倒くさいし」
「まあ、柳瀬ならそう言うかもって思ってたけど」
「………それに俺は羽鳥みたいに、彼女でも作って諦めようだなんて、今は思えないし…」
「?…何か言ったか、柳瀬?」
「いや、独り言だから。気にしないで」
付け加えられた二言目は、小声だったので聞き取れなかったが、柳瀬の何処か憂いげな目に問い返すことを拒絶された気がして、聞くことは出来なかった。
「彼女かあ…トリも今日一緒に回るって約束してたのにさ、彼女優先だもんな」
俺達が喋っている間にたこ焼きを完食した吉野が、つまらなそうにぼやく。
「……羽鳥は、オトモダチより彼女といる方がいいんだろ。千秋には、俺が一緒に居てやるから」
「優…!」
吉野が目をキラキラとさせて、柳瀬の方に向き直る。

「俺、お前と友達で良かった!」

嬉しそうな吉野に目を細めた柳瀬だが、何故か瞳に影を落としていた。
まるで身体の中に走る鋭い痛みに耐えて無理して笑っているかに見えて、ドキッとした。無邪気に笑う吉野の顔とは対照的に、危うい均衡の上でやっと立っているかのような、不安定で美しい、そんな表情だった。



「ぐああああっ、シャッターチャンスがーーーー!!」

「はあっ?…いきなりどうしたんだよ、お前」
「今の柳瀬の顔が凄く良かったんだよ!くうぅぅ、さっきの柳瀬の顔を上手く撮れていれば、コンクール入選間違いなしだったのにぃ…!なあなあ、柳瀬。今の顔、もう一回してくんない?」
いきなり騒ぎ出した俺に、吉野は唖然として、柳瀬はあからさまに引いている。
「…やだよ、何か今のお前気持ち悪いし。ああ、でもやっぱり、一枚五千円からなら撮らせてやっても良いかな」
「何処のいかがわしいモデルだよ。それに、今俺はこのカメラを買って金がないの。五千円とか無理無理!」
「じゃあ俺も無理」
「柳瀬のケチ。おい、吉野。お前からも柳瀬に何か…」
さっきから黙っていた吉野に話を向けたが、吉野は虚を突かれたように瞠目していた。



「トリ……」



いつの間にか俺達の近くに立って居たのは、トリこと羽鳥芳雪。吉野の生まれた時から一緒にいる幼なじみだ。着崩した制服姿の俺達と違いきっちりと着こなした制服は、高い身長と背筋の良さにもあいまってよく似合っている。
吉野は信じられないといった様子で、ぱちぱちと瞬く。
「彼女は?ほっといて良いの?」
「友達と展示を見てくるそうだから、大丈夫だ…それに、今日は元々吉野と一緒に回るって約束してただろ」
「トリ…!」
吉野が破顔する。対照的に、柳瀬は苦々しい顔をしていた。
「良かったな、吉野。羽鳥を彼女に取られて、寂しがってただろ」
「ば、ばか!それを言うなよ!」
普段落ち着いた表情を崩さない羽鳥は、珍しく目を見開いた。
「…吉野は『おめでとう』と笑っていたから…だから、気にしていないんだとばかり思っていた」
「羽鳥に見栄張ってたんだろ、本当は寂しかった癖に。なあ、吉野?」
「う、煩いってば!」

それを聞いた羽鳥は、ふっと笑みを浮かべた。
何処か仄暗いその微笑みは、まるで最悪の事態よりもギリギリ一歩手前で止まれたことへの安堵みたいだった。健全な少年と言うより達観した大人のような笑い方で、同い年で青春真っ只中の筈だというのに感心しない。
羽鳥は、稀にこんな表情を覗かせる。まるで、自分ではどうにも出来ない状況に常に押し潰されているかのような溜め息を零すのだ。
そんな姿も、偶然見てしまった女子には「悩んでる羽鳥くんも素敵」の一言で片を付けられるだろう。しかし、羽鳥の内に隠された苦悩も葛藤も、本当はそんなに軽く片付けられないものなのだと思う。それ程彼の溜め息は深かった。
その溜め息は、彼の幼なじみである吉野の傍では決して吐かれない。常に明るく天真爛漫な吉野の隣では、根暗な溜め息などは吐く気になれないのだろう。まさか吉野がその溜め息の原因でもあるまいし。



「羽鳥。あんまり友達を優先し過ぎると、その内彼女に愛想尽かされるよ?」
「…余計なお世話だ」
柳瀬の揶揄に、羽鳥が渋い顔で答える。吉野は、来ないと思っていた羽鳥がやって来たことが余程嬉しいのか、頬を紅潮させていた。

(羽鳥がいつもこんな調子で吉野に構うから、吉野も羽鳥離れ出来ないんだろうなあ…って、これこそ余計なお世話か)

いつものように吉野を挟んでたわいない会話を始めた三人を見て、名案を思い付いた。ずっしりと重たいカメラを掲げて、三人に尋ねる。
「なあ、お前ら三人の写真、撮っていいか?」
「いいけど…なんでまた急に」
逆に問い返してきた吉野に、もう一押しをする。
「お前達三人が末永く仲良しで居られますように、という願いも込めて」
吉野はパッと顔を明るくさせたが、羽鳥と柳瀬が揃って苦々しげな顔になったのが面白かった。クサいことを言うなとでも、俺に文句を言いたいのかもしれない。



―――羽鳥も柳瀬も、吉野のようにもっと心の底から笑えるようになれば良いのに。
羽鳥の仄暗い笑みの理由も、柳瀬の影を落とした笑みの理由も俺は知らないけれど、いつか同じ明るい笑顔を浮かべた三人が、並び立つ日が来ればいい。

そんなもう一つの願いも込めて、シャッターを押した。







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