お前が役目を終えたなら、すぐに天国に戻してやるよ。 最後にそう言った神は人差し指をくんと上げる。次に気付いたとき、俺はどこかの町の歩道橋の上に立っていた。俺が住んでいた町と似た町並みの。 ……そう言えば、母さんは今どうしているのだろうか。体の弱い人だから、今頃驚いて倒れていないといいんだけど。ああ、あの友人もだ。高屋敷は調子のいいところもあるけど責任感の強い奴だから、自分のせいで俺が死んだのだと気にしているんだろうな……と、そこまで考えて、ふと疑問が浮かんだ。 そもそも、俺は本当に死んだのだろうか。死ぬってこんなにあっさりしたものなのか。まだ状況を飲み込めていないから、まるで長い夢でも見ているような感覚だ。そのうち実感が湧くのかな。ああ、俺は死んだんだな、って。 橋の下にはトラックや乗用車が忙しなく通り過ぎ、とどまることはない。少し離れたところに信号があるのだが、随分と待たされるので地元の人はほとんどこの橋を渡るのだと、さっき神に聞いた。 橋の上を様々な人が行き交う。花束を持った年配の女性、子供の手を引いて歩く母親、時計を気にしながら早歩きするスーツの男。誰も妙な姿をした俺に気付いた様子はいないから、きっと俺の姿は普通の人には見えないのだろう。 俺が待っていた人物は、まもなく鼻歌を歌いながらやってきた。 着崩したブレザーに、長らく履いているのであろうくたびれたスニーカー。カバンからぶら下がっているキーホルダーは、今口ずさんでいるアニメソングのキャラクターだろうか。…まあ、そんなことはどうでもいいか。 『おい』 俺が話しかけると、誰も気付かなかった俺の姿を認めて、彼は歩みを止めた。 「………っ??」 驚かれるのも無理はない。俺もさっき鏡で自分の姿を見て、なんてふざけた格好なのだと思った。 目が印象的な少年だ。ばちばちとまばたきで上下するまつ毛と、薄くぱくぱくと開かれた唇が、ほんの僅かだけ空気を揺らす。 その大きくて真ん丸な目に、頭の天辺からつまさきまでじろじろと見つめられる。次いで、きょろきょろと辺りを見回した彼は、周囲に俺たち以外の者がいないことを確認すると、小首を傾げる。 「……えっと、俺に何か用?」 『ああ』 何だか怪しい奴に声をかけられた。どうしよう。でもちょっと気になる。 丸い瞳から困惑と好奇心が読み取れる。どうやら彼は思ったことがすぐ顔に出るタイプらしい。 『………』 さて、何から話そうか。神から俺に与えられた命令は、こいつに伝えることなのだ、あのことを。 『……話せば長いんだが、今の俺は天使で、』 「ぶっ」 彼はくっくっと笑いながら、肩を震わせてうずくまる。再び見下ろした彼の顔は、涙目になっていた。 「わ、悪い、笑って……だってお前、んなクソ真面目な顔で『俺は天使』って……っ。見たらわかるって!いかにもな格好してるのは!」 どうやら俺は天使ではなく、天使の格好をした変な奴と認識されたらしい。笑われっぱなしは不愉快だが、おかげで警戒心はどこかへ飛んでいったようで、彼は気安く話しかけてくる。 「えーっと、でもお前、マジで天使なの?本当に??じゃあ今度、漫画のネタにしてもいい?俺、今度のジャプンの新人賞に投稿しようかと思ってて…」 月刊ジャプンは、中高生の間で人気の少年漫画誌だ。俺もついこの間まで、友人に借りて読んでいた。 『……………好きにしろ』 「え、いいの?てっきり駄目って言われるかと思った」 そういえば神に「人間にこっちのことを詳しく教えるな」と言われていたが、こいつが漫画のネタにするくらいは構わないだろう。 『どうせ今から描き始めても、描き終わらないだろうしな』 「?」 『お前は死ぬんだ。一週間後に、ここで』 「は……?」 ぴたりと動きを止めた彼―――吉野千秋の顔から、笑みが消えた。 →next 2013.4.17 |