それが恋だと気が付いた1
※現代パロディです。
ざあざあ降りの雨は段々と激しさを増し、意味もなく空を見ようとしたら靴が濡れてしまった。
駅の中には同じように少しでも小降りになることを願う人たちがいて、その思いとは裏腹に降り続ける雨にため息をつく。
「もーいいや。どうせ暇だし」
月末で財布はピンチ、家に帰ってもやることはなし。
ずぶ濡れになりながら走って帰るよりは、ここでもう少し待ってみよう。
そう思って振り返ると、すぐ後ろにいた人とぶつかってしまった。
「っわ、すみません!」
「いえ、こちらこそ」
目の前にはネクタイ。
視線を上げると、やけに男前な顔があった。
ダークグレイのスーツをかっこよく着こなし、大学の入学式の為に就職活動と兼用に使えるように買った俺のものより数倍はお洒落で高価そうなネクタイ。
服の上からでも分かる、細身なのにがっちりとついた筋肉が羨ましい。
けれど何よりも俺が視線を外せなかったのは、その瞳だった。
「…あの、なにか」
「…………」
「あの」
銀がきらきらと光る。
瞬きするたびに輝きを変え、銀の色を変え。
戸惑ったような低く甘い声も、狙っているのではないかと思う程腰にくる。
けれど目の前の男性は、驕りや横柄や高慢といったものからは無縁に見えた。
高い鼻や人工的な色ではない柔らかな茶色の髪の毛、すらりとした手足は外国人特有のものだろうが、彼には内側から溢れる何かがあった。
「あの、すみません。そう見られると、恥ずかしいのですが」
「ぅえっ!…あ、わ、すすすすみません!俺、失礼なこと…」
「いや失礼などでは。ぶつかってしまってすみません。汚れてないかな」
「ああはははい!大丈夫です!」
「良かった。じゃあ────」
立ち去ろうとしたのだろう、多分今まで生きてきて見た男の中で最高にかっこいい彼は、不意に言葉を途切れさせた。
ぴかぴかの銀色が、何に遮られることなくはっきり見える。
あれ程うるさかった雨音が、今はなんだか遠く聞こえた。
「あの」
「…はい」
「ちょっと、待っていてくれませんか」
手のひらに、温かな体温。
ぎゅうと握られて、タイミングよく空いたベンチに座らされる。待っていてください、と目を合わせながら言われた。
俺は頷くこともできなくて、背中を向けて人混みに入っていく彼を見ていた。
まるで魔法みたいだと、ぼんやりとした頭で思っていた。
───のも、突きつけられた万札の束のせいで一瞬にしてかき消えた。
「給料の、一カ月分です」
「ええええ」
「きちんとしまってください」
「ああああの」
「お願いです。今夜だけでいい。貴方を買わせてください」
手に押し付けられたお札の感触と、耳元で囁くみたいに言われた言葉。
非現実的なことに一瞬目眩がして、顔をのけぞらせながらごくりと唾液を飲み込んだ。
「俺…なんかに見えましたか」
「なにか、というのは」
「…これって、援助交際じゃ…」
「あ、いや。誤解しないでください。決定権は貴方にあります。俺は乱暴しませんし、貴方の嫌がることはしません。このまま金だけ持って貴方が逃げても、俺は追いかけませんし警察にもいきません。ただ、もしよければ」
「俺…俺…」
「はい」
「愛のないえっちには反対だっ!」
立ち上がって、半ば叫ぶように叩きつけた。
周りがしんと静まり返ったが、それもつかの間ですぐ喧騒を取り戻す。
ただ俺たちの周りはぽっかりと人がいなくなった。
「こんなお金、もらえませんし!」
「少なかったですか」
「どっちかっていうと多いですけど!あんたくらいのイケメンなら、俺みたいなの相手にしなくても…って、もしかしてからかった?」
「真剣です」
「じゃあ…なんで…なんで」
「言わせますか、それ」
彼は口元に手をあてて、苦笑しながら目を伏せる。
湿気を含んだ髪の毛は、先ほどより濃さを増していた。
その合間から見えた耳が赤く染まっているような気がして、不本意ながら心臓を高鳴らせてしまう。
「…あなた、は悪い人ではなさそうだから言いますけど」
「ええ」
「何かに悩んでてどうしようもないんだったら俺話聞きます…とにかく、お金とかいらないです。返します。俺ただの大学生で、こんなお金…くらいの技術?テクニック?とかもないですし」
「いてくださるだけでいいんですけど」
「…体を買うって」
「やり方ならいくらでもあります」
低く言われた言葉が、じんと頭に響いた。
秋も深まってきたとはいえ雨のせいで蒸し暑く、緩められた襟から覗く鎖骨が色っぽい。
健全な十代の男子よろしく、こんなに大人の色気をだだ漏れにした男を見ていたら、色々と想像してしまうのは当たり前だろう。童貞なめんな。
「無理強いはしません。でも諦めません。失礼ですが、月末ですし使える金銭も限られているでしょう?」
「…本当に失礼ですね」
「貴方を、買わせてください」
手を強く握られて、真っ直ぐに見つめられてしまうと言葉に詰まってしまう。
結局援助交際だろ、とか、俺にそんな価値はない、とか、そもそも俺たち男同士だろ、とか。
喉元まででかかった言葉を、あろうことか俺は飲み込んでしまったのだった。
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