■ 平野の覇者3
激しい轟音と揺れは続いている。フィオレたちが見張り台近くから平野を見ると、黒い大きな塊が見えた。それらは帯状に何かが向かってきている。目を凝らすと砂埃の合間から魔物が見えた。
フィオレは眉をひそめる。
「やはりこれは自然災害というわけではないようですね」
キリエがフィオレの言葉に頷く。
「だろうね、おそらく――」
キリエが言い終わる前に、警鐘が鳴り響く。
耳をつんざくような鐘は周囲のざわめきを大きくさせた。
周りにいる人々の緊張が一気い膨れ上がったように見えた。恐怖は伝染し、人々の表情が強張る。
「早く門を閉めろっ!」
警鐘に促されて常駐している騎士たちが慌ただしく動き始める。合間に聞こえてくる騎士たちの声は緊張で上ずっていた。
「くそっ! やつが来る季節じゃないだろ!」
「主の体当たりを耐えればやつらは去る! 訓練を思い出せ!」
フィオレとキリエが揃ってお互いの顔を見合わせ頷く。
「とりあえず門へ向かってみましょうか」
キリエが車椅子ごとひょいとフィオレを持ち上げて、見張り台から塀の下に降りる。辺りは混乱していてキリエに誰も目を向けていなかった。
フィオレたちは門に集まった人々をかき分け地面から魔物を見た。もう黒い点から一つ一つの魔物の群れだった。それぞれの個体差はあれど種類も特定できる。
フィオレが小さくつぶやく。
「おそらくサイノッサスですね」
サイノッサスは突進に長けている魔物だ。厄介なのは集団で行動することと、一度動き出したら何か障害物にぶつかるまでまっすぐに突っ込んでくるという習性を持っていた。サイノッサスは猪突猛進という言葉がぴったりとあてはまる。勿論当たればタダでは済まない。
魔物たちの姿がはっきりと見えるとそばにいた子供が泣き始めた。緊迫した雰囲気と魔物に恐怖したのだろう。フィオレは子供の頭を撫でて微笑む。
「大丈夫ですよ」
けれど子供は泣き止まなかった。母親がいないか周囲を見るが、誰もが迫りくる魔物に圧倒されて目が離せていない。
魔物の中には群を抜いて大きい魔物がいた。サイノッサスとは毛色が違い、体格はサイノッサスより三倍は大きい。
近くにいた行商人が声を震わせながらつぶやく。
「平原の主だ……」
キリエが首を傾げる。
「平原の主?」
尋ねると行商人が魔物から目を離さずに言う。
「ああ、ここらで一番強い魔物だから主って呼んでる。主は雨期の前にやってきて、この砦の壁にぶつかっては逃げていくんだがしつこく何度もやってくる。そのせいで騎士たちはしばらく門を閉めちまう。おかげでこれから立ち往生だ」
腹ただしいのか行商人は舌打ちをした。彼の言葉にキリエは首を傾げる。
「雨季はまだ先のはずだよね? なんで今?」
「さあ魔物の考えなんて俺にはわからんね。わかってたら帝都には行かなかったよ」
渋い顔つきで行商人は口を閉ざした。行商人は自分の店の前に戻っていった。
フィオレは苦笑する。
「面倒なことになりましたね」
「そうだねえ」
フィオレは考え込むようにうつむいた。
「以前、文書で読んだことがあります。大変危険な魔物なのでみな手を焼いていると。何度か討伐しようとしたらしいですが、あまりにも負傷者が出たので今は静観しているようです」
「ふーん、あいつまだ高い知能はなさそうだし、壁のほうが先に壊れちゃいそう」
ふむとフィオレが唸った。
「それは見過ごせませんね」
フィオレの言葉をかき消すような騎士の怒号が聞こえる。
「門を閉じるぞ!」
外にはまだ人がいるというのに騎士たちは気付かず門を閉じようとしていた。緊張しているせいで彼らは状況が見えていないのか、それとも自分たちの安全のために見捨てようとしているのか、どちらにせよキリエには不快なものに見えた。
「まだ人がいるわ! 閉じるのは待ちなさい!」
見張り台にいる女性が声を荒げて必死に騎士に向かって叫んでいる。それに呼応するように門の外に飛び出した二人がいた。遠目でよく見えないが、どうやら男女二人に見える。
「僕も……!」
飛び出そうとした瞬間、フィオレの手がキリエを止めた。怪訝そうにキリエが見るとフィオレは穏やかに微笑んでいた。そして嬉しそうに目を細めてキリエに言う。
「どうやらその必要はなさそうですよ?」
フィオレの視線が男のほうに向いた。キリエもつられてみるとそこには見慣れた人物がいた。背中に垂れる黒い長髪と大きく胸元が開いた黒服を着ている青年は逃げ遅れた人に手を貸している。キリエはとても嫌そうに顔をしかめた。
「げえっ!」
青年は外で動けなくなっていた女の子を抱えて走り出す。先に救助を終えた桃色の髪の少女は彼を待って共に門の中に入る。けれど桃色の髪の少女と何かを話した後、また青年は門の外へと飛び出して行った。
キリエは目を丸くして、苛立ちの混じった声でつぶやいた。
「……あいつ!」
キリエは走り出し桃色の髪の少女に近づいて怒鳴る。
「あいつなにやってんだよ! もうみんな非難したでしょ!」
「女の子のぬいぐるみがまだ――」
口ごもった少女を一べつしてすぐに青年のほうに目を向ける。
「ぬいぐるみぃ?」
青年が向かった先には確かにピンク色の物体が見えていた。あれが女の子のぬいぐるみなのだろう。キリエは苛立ってしたうちする。青年はたったこれだけのために命を危険にさらす。
青年がぬいぐるみを掴み戻ってくるのをみてキリエはため息を吐いた。青年の性格は相変わらずのようだ目の前に困っている人がいたら助けずにはいられない。彼らしい行動に思わず言葉が漏れる。
「相変わらず、馬鹿だな」
頭を掻いてキリエは青年を見つめた。それを見た少女がのぞき込むようにキリエを見て
首を傾げた。
「あの、ユーリのお知合いです?」
「ん?」
尋ねられてキリエはようやく少女の顔をまじまじと見て目を丸くした。
「キミは――!」
「え?」
戸惑う少女をよそに、キリエも動揺していた。すると前方から声が飛ぶ。
「どけ! 蹴っ飛ばすぞ!」
耳慣れた声にキリエはそちらへ向いた。するとユーリがキリエに向かってスライディングをしてきていた。キリエは慌てふためく。
「え? いや、ちょ、ちょっと待っ、うおっ!」
滑り込んできたユーリにキリエは慌てて飛び上がる。間一髪でユーリは門をくぐり、彼が完全に中に入った瞬間門は大きな音を立てて完全に閉じられる。キリエは避けた拍子に門で後頭部を撃ち地面を転がった。あまりの痛さに涙目になり唸る。
「ユ、ユーリのバカヤロ……」
だがキリエの言葉はユーリに届くことはなかった。
ほっとしたつかの間、魔物が門に体当たりしたのだ。
固く閉ざされた門を殴りつけるように魔物が突進している音がする。魔物がぶつかる度に砦全体が揺れ、衝撃で鼓膜が破れそうなほどの爆音が響く。門のすぐそばにいたキリエは振動と音で腹の底から痺れるのがわかった。人の何十倍もある砦を揺るがす力。もし人があのまま門の外に取り残されていたら、ひとたまりもなかっただろう。
桃色の髪の少女がつぶやく。
「……これが、魔物」
青ざめた表情で沈黙する少女をキリエはじっと見つめた。その少女の背後からはフィオレが険しい表情で彼女を見ている。
誰もが声を失くし、魔物が去るまで息をひそめていた。
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