小説 | ナノ


▽ 神か人か6


 明朝。まだ夜が明けきらない薄暗い空を見ながらレイは窓に手をかける。もう少しで陽が出て明るくなってくるだろう。開けると、冷えた空気が頬をかすめた。寒さで体が震える。夜明け前の風は冷たい。もう、レイは化粧をして服を着ているが、それでもやはり身に染みる寒さだ。
 先ほどフロントを訪ねると、もうすでにレイア・クラウデイウス宛の手紙が届いていた。一枚は導師イオンの直筆の手紙。そしてもう一つは導師イオンがどこに囚われているか記されたものだった。やはり、アニスは有能だ。
 人目につかないよう夜のうちにもってきたのだろう。そして、手紙が来たということはそれが導師イオンの意志であるということだ。
 テーブルの上で一羽の鳩が鳴く。まるで早く出せと言っているようだ。
 レイは鳩を優しく持ち上げて窓の傍まで歩み寄る。
 足に書筒を括り付けた白い鳩。よくしつけられた子を密偵から一羽預かった。撫でると目を細めて喉を鳴らす。よく人になつき可愛らしい。だが、仕事はきっちりとやってもらわねばならない。
 レイは鳩から手を放す。
 すると鳩は瞬く間に翼を広げ空へと舞い上がり白んだ空を飛んだ。それはとても美しく、鳩は夜明けを連れてきた。
 雲一つない朝焼けの空。
 今日はとても晴れたいい天気になるだろう。作戦の成功を祈るばかりだ。
 控えめにノックがされる。レイはドアまで近寄りドアノブをひねった。するとローブを身にまとい赤目を細めて笑うジェイドがレイを見下ろしていた。
「準備はいいですか?」
「……問題ない」
 するとジェイドはレイの顔を両手で包んだ。
「いけませんねぇ、今からあなたはレイア・クラウデイウスです。その表情は何ですか?」
 レイは眉間にしわを寄せて睨みつける。
「このドアを出ればの話だ」
「まぁ、いいでしょう。くれぐれもへまはしないでくださいね」
 これからレイとジェイドは別行動だ。レイはレイアとなり民衆を扇動して導師軟禁の抗議して注意をひく。ジェイドはその間アニスと導師イオンと共に脱走する手はずだ。
 どちらかが失敗しても意味がない。
 レイはジェイドの手を払い不敵に笑う。
「そっくりそのままお前にその言葉を返す」
 ジェイドは眼鏡の縁を押さえて笑う。
「私が失敗するとでも?」
 ジェイドの自信は今までの経験からのことだ。それがありありと見えてレイは睥睨する。
「確実な策などない」
「ええ、ですから最善を尽くしましょう――それでは手はず通りに」
 レイは無言で頷いた。そして、ドアから一歩出てジェイドを振り返り花開くように微笑む。
「ええ、では、参りましょう」
 ドレスを翻し、レイアは階段を下りていく。背後では肩をすくめたジェイドがその様子を見ていた。
 
 ***
 
 結論から言えば手紙の効果は絶大だった。変装してレイアという架空の存在に成りすまして顔を広げたのも良かったのだろう。みな、レイアの言葉に真剣に耳を傾け、手紙を見ると信者たちは激怒した。それは小さな一滴の水が大きな波紋を呼び、渦のように大きなものとなった。
 今や教会前には人が大勢集まり、地下にある教団本部へと押し入ろうとごった返している。怒号が飛ぶ中、神託の盾騎士団はそれを押しとどめるのに精一杯だ。
「イオン様をお救いしろー!」
「神託の盾騎士団は導師を護るためのものではないのかー!」
「騎士団の横暴を許すな!」
 もう、レイアが叫ばずともみな教団しか見えていない。かれこれ始まってから一時間が経過している。ジェイドもアニスと導師イオンを連れて逃げ出せただろう。これだけの騒ぎになれば、嫌でも注意が民衆へと向く。
 だが、不審に思うこともある。
 反対派であるモースの姿はない。それは単に気後れしているからかもしれないが、神託の盾騎士団の団長が鎮圧のために一人として出てこないのだ。
 ――これはどういうことだ?
 幸い血を見る騒ぎにはまだなっていないが、これ以上過熱すると危険だ。騎士団長たちが今のうちに出てきてもおかしくないはずである。
 イオンの護衛に当たっているのだろうか。それにしても六人もいらないはずである。
 ――まさか、いないのか? 一人も?
 その事実に思い至った時、レイはひどく不穏に感じた。もし六神将たちが戦争を誘発するために暗躍していたとしたら、それは我々のやっていることは後手に回りかねない。
 ならば一刻も早く導師イオンと共にキムラスカ王国の首都バチカルにたどり着かねばならない。
 レイは民衆の合間を抜けて、走り出す。
 とりあえずやれることはやった。後はジェイドたちと合流するだけだ。
 
 ***
 
 ダアトから少し離れた海岸で密偵が待っていた。背後には小型の高速船が用意されている。黒い軍服に着替えたレイを見て密偵は素早い動作で敬礼した。
「お待ちしておりました! 大尉」
 レイは堅苦しい挨拶に苦笑いする。
「鳩はうまく飛んだようだな」
 密偵は大きく頷いた。
「はい、滞りなく!」
 そしてレイは高速船に乗り込む。操者であるマルクト軍兵士は音機関を起動させてエンジン音が鳴らした。密偵がレイに向かって微笑む。
「道中、お気をつけて」
「ああ、お前も気をつけろ。今のダアトはきな臭い」
 そして、レイは高速船は発進する。風が頬を撃ち、水しぶきが上がる。目的は沿岸に停泊している予定のマルクト船舶だ。だが、ただの船ではない。軍艦の速度で走るように秘密裏に開発したとっておきだ。
 操者にレイは大声で尋ねた。
「ルグニカの情勢はどうなっている?」
 すると操者も大声で返す。
「よくありません! 緊張状態がさらに悪化しています」
 やはり、神託の盾の六神将が何かを仕掛けているのだろうか。情勢がこれ以上悪化すると本当に戦争が起こりかねない。だが、あくまで推測の域を出ず、真相はルグニカ大陸に着かねばわからない。
「もっとスピードをあげられるか!」
「では、口を閉じて! 舌を噛みます!」
 ぐん、と更に加速した船が大きく揺れる。本当に舌を噛んでしまいそうだ。それからレイは揺れる船の中で焦りばかりが募っていた。
 
 ***

 一時間ほど進むと、予定された場所にマルクトの船舶は停められていた。レイの乗っていた高速艇は回収され、無事に船の中に入る。すると、汽笛をあげて船は動き出した。どうやら予定通りジェイドのほうが先に着いたようだ。そのことに少し安堵する。
 レイを見かけると兵士たちが足を止めて敬礼した。その一人にレイが尋ねる。
「大佐と導師イオンは?」
「こちらです」
 すると兵士はレイの前を歩きだした。レイはそれについていく。それほど大きな船ではないためすぐにたどり着いた。着いたのは客人用の部屋だった。
 兵士がドアをノックする。
「大佐、レイ大尉をお連れしました」
「わかった、入れ」
 ドアが開かれる。すると、簡易の椅子に座っているアニスと立ってこちらを見ているジェイド。そして、ベッドに横たわっている緑髪の少年がいた。恐らく彼が導師イオンだろう。昔見た時とあまり変わらない姿だ。
 ジェイドが赤い目を細める。
「どうやら無事のようですね」
「お前もな」
 アニスは一度こちらを見たがまた視線をイオンに戻す。深刻そうな表情をしていたのでレイはジェイドを仰ぎ見た。
「イオン様はどうなさったんだ?」
「それは……」
 珍しくジェイドが口ごもる。
 するとアニスがうつむいて唇をかんだ後、口を開いた。
「イオン様が追っ手を追い払う為にダアト式譜術をつかちゃって……」
 ダアト式譜術というのは導師イオンにしか使えないという特殊な術だ。それがこんなにも消耗するということは余程強大な術なんだろう。イオンは顔色が悪く、深く眠っている。アニスが服を握りしめた。導師守護役としては胸が痛いのだろう。だが使わなければいけないような切羽詰まった状況だったのだと予測できる。
 ジェイドが小さく息を吐く。
「診たところ、体力を消耗しただけのようです。しばらくすれば起きるでしょう」
 ジェイドが言うのなら問題ないのだろう。
 レイはアニスに尋ねた。
「六神将は追っ手の中にいたか?」
 アニスは首を振る。
「いや、いなかったよ。ただ数が多くて」
 そう言ってアニスは黙り込んだ。護れなかったことが余程響いているようだ。レイはアニスに歩み寄って優しく抱きしめる。そして頭を撫でてやった。
「次はもっとうまくやれる。みんな傷一つないことにイオン様に感謝しよう」
 すると、アニスは小さく頷いた。
 レイは険しい顔でジェイドを見る。
「こちらにも六神将は姿を見せなかった。何かがおかしい」
 ジェイドは目を見開いたあと、思案するように下を向き、口を手で覆った。
「嫌な予感がしますね」
「ああ、これからも妨害が入る可能性が高い」
 敵はモース達保守派だけではないかもしれないということだ。確か、騎士団長はヴァン・グランツという人物で、イオンと同じ改革派のはずだがその部下である六神将が姿を見せないのはどうもおかしい。
 ジェイドは珍しく嘆息した。
「嫌ですね、嫌な情報ばかりが入ってくる」
 レイは首を傾げる。
「どういうことだ?」
「実は――」
 ジェイドが言いかけた時にアニスの声がかぶさる。
「イオン様!」
 驚いてそちらを見るとイオンがゆっくりと目を開いた。アニスは立ち上がって近寄る。その慌てた様子にイオンは微笑んだ。
「アニス、無事でよかった」
 すると、アニスは目を大きく開いてへにゃりと笑う。
「も―相変わらず天然なんですから。ダメですよ、無理しちゃ」
「すみません」
 柔和に笑うイオンを見てレイは少し違和感を感じた。数年前ダアトからグランコクマへやってきた導師イオンはもっと雰囲気が鋭かったように感じる。こんなに柔らかく笑う方だったろうか。
「お加減はいかがですかイオン様」
 そうジェイドが尋ねるとイオンはゆっくりと上体を持ち上げようとする。アニスが慌てて支え起き上がった。
「ええ、もう大丈夫です。ありがとうございます」
「イオン様のおかげで危機を脱することができましたが、今度からダアト式譜術を使うのはお控えください。その為に私たちがいます」
 イオンは申し訳なさそうにうつむいた。
「すみませんジェイド」
 視線を下げてしまったイオンにアニスはのぞき込んで笑う。
「今度イオン様に危害を加えようとするやつがいたら私がぶっ飛ばしますから!」
「ふふ、お願いしますアニス」
 少しばかり場が和んだ所でイオンがレイの姿を捉える。
「あの、この方は?」
「ああ、紹介が遅れました。この方は――」
 ジェイドが説明しようとしたところをレイは手で制して一礼する。
「お初にお目にかかります導師イオン様。私はマルクト帝国第五王子、レイ・ロウ・マルクトでございます」
 イオンは一瞬動きが止まった。だが、にこやかに笑う。
「初めましてレイ王子」
「レイで構いませんイオン様」
「ですが……」
 戸惑うイオンにレイは苦笑いする。
「私の出自は少々複雑でして、大尉とお呼び頂ければと思います。王子であることはこの先伏せねばいらぬ血が流れます。――アニスもそれでいいか?」
「そうだね、私にもすーぐばれちゃったもんね。イオン様の為にも秘密ってことで」
 一個貸しねと可愛らしく言われる。どんな要求をされるのだろうと内心不安になったがレイは頷く。
「これからバチカルまでの道中あなたをお守り致します。この命に代えましても」
 イオンは頷いて微笑んだ。
「よろしくお願いします大尉」
 そしてイオンはゆっくりと腕を持ち上げて手をレイに差し出す。レイは少し躊躇したがゆっくりと手を取り、握った。


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