小説 | ナノ


▽ 操り人形は誰か1


 中型の高速船に乗って二日、行きの客船より早くケセドニアに着いた。
レイはゆっくりと船から降りる。ケセドニアは砂漠が近いせいか空気が乾いており砂っぽい。風のせいで衣服に砂がこびりつきそうでレイはあまりこの場所が好きではない。それに黒い軍服は熱さを余計に感じてしまう。すぐにじんわりと体から汗がにじみ出てきていた。レイは熱さで顔をしかめる。
「おや、浮かない顔ですね。そんなに暑いですか?」
 涼しい顔をしてジェイドが言ってくる。死霊使いは熱さを感じないのだろうか。汗一つかいていない。そんなジェイドはいつものようにからかってくる。レイはうんざりしながらもジェイドに言葉を返す。
「絡むな暑苦しい」
「おやおや、つれないですねぇ。今からもーっと忙しくなるので暑さなんて感じる余裕なくなりますよ」
 レイは暑さとこれからのことを考えて気が重くなった。
 イオンと会話した後、ジェイドから聞かされた話は憂鬱なものだった。
 グランコクマを発つ前に立てた作戦は、助力を乞う為にレイとジェイドはダアトに赴き、その間に陛下が親書を作りケセドニアまで届けさせるというものだった。危険を避けるため親書を受け取ってからは陸路で南下してバチカルまでタルタロスで行くという遠回りだが確実な作戦を立てていたのだ。
 けれど、まだ親書がケセドニアに届いていないという。親書を持った兵はもうすでにグランコクマを出たというが、兵がケセドニアに着いたという手紙は来ていない。恐らく妨害されているのだろう。それが大詠師モースの差し金なのか、また別の妨害なのかはわかっていない。もしかすると道中で殺されている可能性もある。親書を燃やされていては陛下の手を煩わせ、更に時間を要することになる。とにかく彼らを探し出さねば話にならない。
 レイはため息を吐く。
 この灼熱の地獄の中で捜索に当たらなければならないと思うと憂鬱でならない。妨害されるのはわかっていたが、まさか一歩一歩進むごとに罠が待ち構えているような状態にレイは辟易していた。
「ほら、行きますよ?」
 急かすようにジェイドは先頭に立つ。そして続いてフードを被ったイオンとアニスが船から降りてきてそれに続いた。
 前から細々と会話しているのが聞こえてくる。
「大佐―よく大尉の機嫌がわかりますね。あんまり表情変わんないじゃないですか」
 アニスの言葉にジェイドは笑う。
「大尉とは長い付き合いですから。見てればすぐにわかります」
 フードがジェイドに向けて上がる。
「どれくらい前からなのですか?」
「そうですねぇ……」
 少し考え込むような間があった後、ジェイドが言う。
「おしめを取り換えたことがありますから、生まれてからずっとですかねー」
「はうあ!? えぇー!? もう父親と変わんないじゃないですかー」
 レイは内心違うと怒鳴っていたが、暑さのために言う気力が出ず黙っている。するとどんどん話は加速していった。
「すごく長い付き合いなのですね。仲がいいのがよくわかります」
「それ聞いてると大尉ってば大佐に反抗期? いっつも大佐には怒ってますよね?」
「あんな大きい子供いらないですけどねぇ。まぁ、もう少し大人になってほしいものです。私の苦労が減りますから」
 はっはっはっと朗らかに笑うジェイドを見てレイの眼光がきらめいた。
 レイは無言で剣の柄に手をかける。それに目ざとく気付いたジェイドは足早に歩いていく。
「おおっと、怖い怖い。さっさと涼しい所へ行きましょうか。大尉が干からびてしまいます」
「りょーかいでーす」
「わかりました」
 もはや反論する気も失せて、レイは服の中で汗が滑り落ちる感覚を味わいながら気だるそうに後ろをついていった。

 ***
 
 ケセドニアのマルクト軍駐屯地に着くと、レイたちはようやく涼しい日陰に入ることができた。駐屯地の奥に案内されて、部屋を用意してもらう。レイは汗をぬぐいながら椅子に座り込んだ。
 その様子を見ていたジェイドはくすりと笑う。
「本当にあなたは暑さに弱いですね。ケセドニアに転属して差し上げましょうか?」
「うるさい。お前がおかしいんだ。出身は雪国の癖に」
「心頭滅却すれば暑さもしのげるかもしれませんよ?」
 兵が持ってきてくれた水をもらいレイは飲み干す。身体を通る冷たさが心地いい。ようやく思考が回り始める。
「ことわざなんてただの方便だ」
「そうやって馬鹿にしてるからあなたはチェスで私に全敗なんです」
「……その話、関係あるか?」
 半目してレイはジェイドを見やると彼は笑った。その様子を見てイオンが微笑む。
「本当にジェイドと大尉は仲がいいんですね」
 その言葉にレイは唖然とした。
「やめてください。私はこいつが嫌いです」
 するとまるで微笑ましいと言った様子でまたくすりと笑われる。
「ええ、とーっても仲良しなんですよ? 腐れた縁ですね」
 ジェイドはふざけてレイの頭を撫でる。それに瞬時に反応したレイは手を振り払う。
「やめろ! 気色悪い」
「あらあら、お父さんがっかりですねーたーいさ?」
「涙が出そうですよ。いったい誰に似たんだか」
 茶化して言うアニスにジェイドも乗っかる。レイは声を低くして嘆息した。
「少なくともお前に似なくてよかった」
 アニスとジェイド二人から口撃されるととても疲れる。レイは大きくため息をついて、脇にいた兵士に話しかける。
「親書はどうなっている?」
 兵は敬礼をして言葉を発した。
「未だ連絡が付きません。捜索に出ていますが未だ見つかっていません」
 ジェイドがため息を吐く。
「よわりましたねぇ。ここまで来て足止めを食らうとは」
 やはり兵の姿を見たものはいないらしい。
「ここで足止めを食らうのもまずい。追手がすぐに来るぞ」
 ケセドニアはマルクトの領内ではない。ケセドニアは自治区で自由な貿易を扱えるためどこの船籍も行き来できる。戦時下であってもそれは変わらない。
 ダアトからの追っ手もすぐにケセドニアについてしまうだろう。
 それにマルクト領内でないということはマルクトの法の基準で考えても意味がない。なるべく戦闘を避けるべきだ。
「さて、どうしましょうか」
 すると駆けてくる音が聞こえる。部屋のドアがノックされ、勢い良くドアが開いた。兵士が血相を変えてジェイドを見る。
「大佐! 怪しい音素反応が!」
 兵士の慌てぶりにジェイドは呆れたように息を吐いた。
「落ち着きなさい。報告は簡潔に素早く、でしょう?」
 兵士は顔を真っ赤にして頭を下げた。
「申し訳ありません。ただいま、キムラスカ領内から発してマルクト領内、おそらくタタル渓谷かと思うところで収束した強力な第七音素が確認されました」
 がらりと部屋の空気が変わる。
 皆思うところは一緒だろう。この緊張化でキムラスカから強力な第七音素とは兵器の可能性がかなり高い。これでタタル渓谷に被害があれば攻撃を仕掛けられたという可能性もある。思わず頭を抱えそうなほど痛い問題だ。
 流石のジェイドも表情を失くした。そして眼鏡を押さえながら首を振る。
「まったく面倒なことばかりが起こりますね」
 問題は山積みだ。まずタタル渓谷を調べにいかなければ、被害状況がわからない。それに先制攻撃をされているとして、タタル渓谷を狙うメリットはまずない。おそらく狙いを外している可能性がある。それならばこちらも準備する時間はあるはずだ。譜術障壁などをグランコクマや各都市に貼る必要がある。
 そうなれば、親書などただの紙切れに過ぎなくなるのだが。けれど、これはあくまで推論に過ぎない。
 レイは押し黙ってしまったジェイドに声をかける。
「とりあえず陛下に報告だけでもしないとな」
「それはもちろんですが、何も収穫がないままでは困ります。――タタル渓谷に行かなければ」
 レイは頷く。それが最優先事項だ。戦争が始まってしまったのなら休戦協定の親書など意味がない。
「あなたはケセドニアに残りなさい」
 レイは目を見開く。だがすぐに冷静になり、思案した。
「親書を探すのか?」
 よくできましたとジェイドが笑った。
「その通りです。まだ確定した情報ではないものに踊らされて可能性をつぶすのは惜しい。――やれますね?」
 親書を見つけるか、どうなったのか確認しろということだろう。レイは不敵に笑って見せる。
「おつかいくらいは出来る歳だぞ? お父さん?」
 ジェイドはふっと笑って頷いた。
「まぁ、せいぜい干からびないようにしてください。おつかいは戻ってくるまでがおつかいですからね?」
 レイはふんと息を吐いて立ち上がる。
 するとアニスが口を開いた。
「私とイオン様はどうするんですか?」
 するとジェイドはにやりと笑う。
「イオン様とアニスは私と一緒にタタル渓谷まで行きましょう。近くに軍艦タルタロスを置いてあります」
 そういってみんなが立ち上がる。レイはイオンに近づいて一礼をした。
「傍を離れてすみません。すぐに合流いたします」
 イオンは柔らかく微笑んだ。
「ええ、待っています」
 すると間にアニスが入ってくる。
「大尉、大尉! 私にはー?」
 するとレイは薄く笑って頭を撫でた。
「気を付けてな。イオン様を頼んだ」
 撫でる手が気持ちいいのかアニスは目を細めた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか?」
 待っていたかのようなタイミングでジェイドが言葉をいった。レイは顔をしかめる。
「お前は本当に空気を読まないな」
「はっはっは! あえて読んでいないんです」
 レイは呆れてため息を吐く。それさえも面白がるようにジェイド笑みを深くした。
「じゃあ、落ち合う場所はエンゲーブにしましょう。早く来てくださいね?」
 レイは顔をしかめた。
「わかっている」
 そして三人は部屋を出ていく。最後にジェイドがドアを閉めようとしたとき、レイは口を開いた。
「ジェイド」
 ちらりとジェイドがレイを見る。
「なんです?」
「……気をつけろよ」
 ジェイドは目を見開いて驚いた表情をした後、大きく笑う。その様子にレイは顔を赤くする。
「笑うなひとでなし!」
「空から槍が降るかもしれませんねぇ」
「降らんわ!」
 ジェイドはひとしきり笑った後、微笑んだ。
「心配しなくても私は滅多なことでは死にません」
「だろうな」
 その滅多なことが起きないとは限らない。だから心配してやったというのに笑われるとは何なんだろう。レイが顔をしかめていると、ジェイドが近づいてきた。なんだろうと首を傾げているとジェイドはレイを抱きしめた。とっさのことだったのでレイは対応できない。
「あなたのほうこそ、本当に気をつけなさい。私は守ってあげられませんからね?」
 ジェイドの身体をばっと引き剥がしてレイは目を吊り上げた。
「わかっている! 子ども扱いするな!」
「なら、自分の身を案じなさい。私はこの通り大丈夫ですから」
「もう、二度と、貴様の、心配などしない!」
 鼻息荒くレイが言うとジェイドは笑う。
「そうそう、いつも通りでいいんですよ」
 そういってジェイドは部屋から出ていった。レイはまたからかわれたのだとイラつく。だが、やることをしなければ。時間はあまりない。レイはこれからどう行動するか一人になった部屋で考えていた。



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