▽ 神か人か5
アニスが緊張で体をこわばらせているのが後ろから見ていてもわかった。無理もない。得体のしれない者に騙されてついてきてしまったのだから。自分の失態に歯ぎしりしたいだろう。
するとジェイドはあくまで友好的に微笑んだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよお嬢さん。私たちは何も取って食おうというわけではありませんですから」
ジェイドが手で座るように促す。それに応じてレイは座りやすいように椅子を引いた。それを見てアニスは少し考え込むような仕草をした。
すると、アニスは大きく息を吸って簡単に緊張を解く。そして席に着いた。この状況でそんなことができる子供はそういない。すごい胆力である。
「信用できませーん! 導師守護役ってことを知ってイオン様に害する可能性がある方ですよ? なに言われるかアニスちゃん怖い―!」
ジェイドが軽く笑う。
「面白い子ですねアニス。あなたが導師に真に忠実な方であれば悪い話ではありません」
アニスが首を傾げる。
「むむ、どういうことです?」
「申し遅れました。私はマルクト軍所属ジェイド・カーティス大佐です。そしてあなたの隣にいるのが――」
ジェイドに紹介される前にレイは口を開いた。
「マルクト軍所属、レイ大尉です」
アニスはぎょっとしたように飛びあがった。
「はわー! 有名な死霊使いジェイドと黒衣のレイなんですかー!? ん?それに黒衣のレイって言ったら――」
途端にアニスの視線がこちらに向く。じーっと見られてレイは居心地が悪くなって視線をそらした。
「確かマルクトの第五王子じゃなかったですっけ?」
流石軍属にいるだけあって詳しい。レイがあえてファミリーネームを避けた意味がまるでない。一つ息をしてレイはアニスに頭を下げる。
「失礼した。私はレイ・ロウ・マルクト。……男だ。一応王子の称号を与えられている」
アニスの目がきらりと輝いた気がした。ぼそりとよっしゃ玉の輿だぜとつぶやいたかと思うと立ち上がりレイにすり寄ってくる。
「きゃわーん! こんなところで王子様に会えるなんてアニス感激ー! それは潜入捜査用だったんですね、見事に騙されましたぁ! 化粧してるから女性に見えちゃってましたけど化粧しなくてもきっと美男子なんでしょうね! どうですか? 可愛くて愛らしい導師守護役をお嫁に貰ってはー!?」
ずいずいと押されてレイはたじろぐ。
「わ、私は、その――」
するとジェイドがにんまりと笑いながら言う。
「アニース? 彼の嫁になっても玉の輿には乗れませんよー?」
するとぴたりとアニスの猛攻が止まる。
「どういうことですかぁ?」
「彼には王位継承権を与えられていません。称号こそご立派ですが、お給金は私よりも下ですよ」
スッと確認するように見上げられて、レイは申し訳なさそうに頷く。
「その通りだ。私は私生児だからな」
するとアニスはあっさりと離れる。自分に興味を失くしてくれたことにレイは安堵する。
「なーんだ残念。あ、じゃあ大佐はどうですかぁ? 私いいお嫁さんになりますよ?」
ジェイドはにっこりと笑って返す。
「お断りです」
アニスは口を尖らせる。
「ちぇー残念。で? 私みたいなしがない導師守護役に何の御用ですかぁ?」
頬杖をついて目をすがめるアニスにジェイドは真剣な表情になって顔の前で手を組んだ。
「戦争回避のためにイオン様に助力して頂きたいのです」
アニスは一瞬、眉をあげたが首を振る。
「無理ですよー。イオン様は急病なんです。今は動けません」
ジェイドが赤い目を細めた。
「そうですねぇ、私たちが尋ねてもそのようですから、きっと身動きができないところにいるのでしょう」
ぎくりとアニスの体が跳ねる。まぁ、これだけ噂になってたら仕方ないかと小さくごちる。拗ねたような瞳てアニスはジェイドを見た。
「大佐は悪い人ですね、知ってて聞いたでしょう?」
「おやおや、買いかぶりすぎですよ。あくまで推測であなたがボロを出しただけです」
「ちぇー」
アニスは頭の後ろで腕を組んで天を仰いだ。
「それで? 私にイオン様を連れ出せーとか言うんですか? 絶対無理ですよ? 大詠師モースががっちがちに周り固めてますから」
「そうでしょうねぇ」
頷くジェイドに黙っていたレイも口を開く。
「保守派のモースはどうしても戦争させたがっているようだからな」
レイが女装して調べたところによると、大詠師モースは何よりも預言を重視するという考えの保守派、その保守派であるモースが戦争を静観するということは預言に戦争が起きることが書かれているということだろう。兵士の話によれば軍事強化もしているということも匂わせていたので、また戦争に介入する気なのだろうと予測できる。
アニスは感嘆の声をあげてレイを見た。
「へぇー、もうそこまで知られちゃってるんだ。人の口に戸は立てられないってわけか」
「だから、和平を唱えたイオン様が軟禁されているんだろう?」
「その通りだよ」
導師イオンは保守派のモースとは違い、預言は生活の道具に過ぎないという考え方を持っているらしい。それを支持する一派も存在するが、保守派より数が少なく、また権力を持つ者はいない。両者が争うことになるのは避けられなかっただろう。
「さっすが、女になりきってた王子様、リサーチばっちりじゃん。もう本当に気付かなかったよ。王子さまってそういう教育受けるの?」
アニスの問いに一つため息を落としてレイは答える。
「昔、将校食いって言われた令嬢がいてな。その方にどのような仕草であれば魅惑できるのかと、色々指導を受けた」
ふとその時のことを思い出してレイは青ざめる。所作から話し方、相槌を打つタイミングまでありとあらゆることを教えてくれた。まさかそれが役に立つとは思わなかったけれど。
ジェイドは咳払いをしてアニスの視線を戻す。ジェイドはじっとアニスを見つめた。
「アニス」
「なんですか大佐?」
「イオン様を助けたいですか?」
アニスは視線をそらさず頷いた。
「もっちろん! イオン様はなーんにも悪くないですもん! 助けたいですよ。……でも」
実際にはアニス一人では連れ出すのは難しいということだろう。口ごもるアニスにジェイドはにっこりと笑う。
「ならば、私たちがお助けしましょう」
怪訝そうにアニスの目が細められる。
「どーやってですか? まさか強行突破なんて言いませんよね?」
「まさか」
ジェイドは底のしれない笑みでアニスに言う。
「脱出の手はずは私たちが整えます。あなたにやってもらいたいのはイオン様の意志確認と手紙を一筆書いてもらいたいのです」
アニスは目を丸くした。
「え? それだけですか? 手紙ってどんな内容?」
「それは簡単です。出来るだけ悲愴に囚われていることを書いてください。レイア・クラウデイウス宛に」
そうすればレイが今まで話をした民衆にイオンの現状を伝えるだけでいい。イオン崇拝する人々は怒り狂うだろう。もう情報操作はほとんど終わったといっていい。
アニスはそれをすぐに察したのか軽く唸った。やはり聡い子だ。現状を打破できる可能性があると判断したのだろう。
「言ってみますけど、イオン様がやると言ったらですからね!」
ジェイドは深く頷く。
「ええ、もちろんです。では、イオン様の手紙は明朝渡しに来てください」
「りょーかいです」
話は終わっただろう。レイはカギを開けて、ドアを開く。
アニスも呼応するように席を立つ。ドアに近づいていくアニスに背後から声がかかる。
「アニース」
めんどくさそうにアニスが振り返る。
「まだなにかー?」
「ひとつ言い忘れていました」
首を傾げるアニスにジェイドはにんまりと笑った。
「もし誰かに言ったらあなたは安穏と広場でお金稼ぎしてること教団にちくっちゃいますからね」
アニスが一瞬目を見開く。そしてくすりと笑って頷いた。
「あれ、すごいぼろ儲け出来るんですよねーホントユリア様様」
「じゃあ、くれぐれもご内密に」
「はいはーいわかりましたよー」
そうやってアニスはドアの前を通り過ぎていく。すると視線がアニスと合いじっと見上げられる。レイは首を傾げた。
「なんだ?」
「あのさ、レイが私にぶつかって転んだのもわざと?」
出会った時のことを言っているのだろう。レイは首を振る。
「いや、私はヒールで歩くことに慣れていないからよろけてしまったんだ。すまない」
またじっと見つめられる。レイは居心地が悪そうに視線をそらした。
「なら、いいんだ。よかったそこまで計算づくだったら私レイのこと苦手だと思ったから」
にこやかに笑うアニスにレイもつられて微笑む。レイはかつらを取って自身の髪を露にする。ショートカットの黒髪が露わになり、そして下肢づいてアニスの手を取った。
「こんな呼びたての仕方をして申し訳ありませんレディ。次は粛々と手を取らせていただきます」
手の甲に軽くキスをする。アニスはびっくりしたのかはうあと奇声を上げて手を引っ込めた。したり顔でレイは笑った。
「ちなみに私は神を本当に信じていない」
するとアニスは頬を赤くして笑う。
「わかった。ありがとー。それと――」
アニスはレイの頭に手を伸ばし、一房髪を手に取った。
「かつらの時より、本当に夜みたいに綺麗な髪だね」
「そうか?」
「うん、私癖っ毛だからうらやましい」
アニスは自分の髪を取ってため息を吐く。女の子にとって重要な悩みなのだろう。レイは微笑んだ。
「アニスは十分可愛いからきっと将来美人になる」
するとアニスは頬を真っ赤にして飛び上がる。
「あ、あったりまえでしょー! じゃ、私イオン様に言ってくる」
「ああ、待っている」
そして、アニスは駆けていった。レイはドアを閉めてジェイドを見た。
ジェイドはにやにやと笑っている。
「おやおや、氷の王子らしからぬ行動でしたね」
「うるさい」
レイはいつもの表情に戻り、ジェイドを睨みつけた。
まぁ、いいでしょうとジェイド言う。
「これで私たちは出来ることはやりました。後は導師次第ですね」
「人事を尽くして天命を待つ、か」
また、女装をして外に出るのかと思うと憂鬱だが、やるしかない。窓に近づいて夕暮れの陽を見る。それは真っ赤に染まっていてまるで血のようだった。
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