小説 | ナノ


▽ 神か人か4


 協会本部では一人の令嬢が話題になっていた。
 名はレイア・クラウデイウス。いつも広場近くのカフェテラスで観光客や神託の盾騎士団を眺めているらしい。目が合うと微笑まれ、優雅にお茶に誘われて、ついつい話し込んでしまうという。どうやらその令嬢はマルクトから来た熱心な信者であるらしく、従兄としばらく滞在する予定らしい。その美貌はユリア様にも劣らないだろうと一般兵たちが騒いでいた。アニスは呆れた。女日照りの男たちはすぐそういう話をしたがる。全くモテない男というのは哀れだ。そんな奴らを睥睨しながら見てアニスは教団本部の出口へと向かう。
 神に例えられるほど美しい女など、アニス・タトリンにとってはどうでもいいことだった。
 基本アニスにとってお金にならない話には興味がない。それに同性の大そうな美貌の持ち主であると聞くと思うのは、いいなぁ、私もその美貌で簡単に玉の輿になりたいと考えるくらいだ。他だと私だったらその美貌をもっと有効活用するのにと画策してしまう。
 だが、アニスは領分をわきまえているし、ただただ笑う女などつまらない。
 ――美人は三日で飽きるっていうしね。
 そんなことを思いながらアニスは本部から出てまっすぐ広場へと向かう。今日は非番だ。非番を有効活用しようとちょろい仕事である五大石碑巡礼ツアーのガイドでどれだけ儲けられるだろうかと試算していた。
 今日は天気がいい。きっと巡礼者たちがいっぱい来るだろう。
 噂ではキムラスカとマルクトが戦争を始めると聞いたので、神に祈る人々が増えるかもしれない。そんなことをしても無駄だというのに。
 和平を行う為に動こうとしたイオン様は大詠師モースに軟禁されてしまった。最近ではイオン様の姿が見えないと心配する声が上がっている。中にはモースが監禁しているのではないかという噂が広場にいる信者たちにも広まっている。
 ――ま、事実だけどね。
 ふと足が止まる。
 預言が人生を知っているというなら、足掻く意味とは何だろう。アニスは定められた不幸の中でも自分で幸せをつかみ取ればいいのにと思う。そう思わなければあの父と母の子供はやってられない。アニスは持っていたトクナガを握りしめる。
 どんなに汚い仕事をやったとしても家族は守りたい。それが他人を苦しめることだとしても。少し憂鬱になった気分を晴らそうと頭を振る。そして頬をはたいた。
「よっしゃー! やったるぞー!」
 そして再び歩き出す。
 アニスのツアーガイドは人気だ。細かい注釈など交えて、時には笑える小話を挟みながら話すので興味深く、ただの観光できた人も楽しんでくれる。軟禁状態になっているイオン様に巡礼者の話をしたら少しは慰めになるかもしれない。だから、お金ももらえて楽しんでもらえるなら自分にとって万々歳なのだ。
 広場に着くと、観光客たちがしげしげと石を眺めている。しかも混んでいる。
 アニスの目が光る。これはチャンスだ。今日はいつもの倍、いや三倍の儲けを見込めるかもしれない。アニスが意気揚々と人の群れに飛び込もうとすると、純白のレースに阻まれた。避ける暇もなくぶつかってしまう。相手は衝撃で転んでしまった。アニスは慌てて離れて頭を下げる。
「わわ、ごめんなさい!」
 すると、頭をゆっくりとなでられる。
「大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい。お怪我はありませんか?」
 顔をあげるとアニスは目を丸くした。夜のような背中まで伸びる黒髪と緑の眼、透き通るような白い肌。薄く引いてある口紅と頬紅。ここまで美しいと思える人は初めて見た。
 ――これが、例の美人か!
 あんぐりと口を開けたままじっと見続けてしまう。これは兵たちが噂するのも仕方がない。同性のアニスでさえたじろいでしまうほどに美しいのだから。
 女性は不思議そうに小首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
 アニスはぶるぶると首を振る。
「い、いえ、なんでも!」
 そうですか。と彼女は柔和に笑う。その笑顔がまぶしくてアニスは内心呻きをあげる。そして、先ほど彼女が転んだ時に出来たであろう黒い染みを見つけて青ざめた。
 その表情を見て、彼女も染みに気付いた。アニスは背中に冷や汗をかく。高貴な令嬢の服はどれくらいの値段なのだろう。とてもではないがアニスには払えないに違いない。
 ――終わった! 私の人生終わった!
 借金が払えなくて牢獄に統監され死ぬところまで想像してしまう。思わず体が震えだす。すると彼女はふんわりと笑ってレースをはたいた。
「お気になさらないで、これは私が転んでしまった所為なのですから。後で落とします」
 アニスは驚いた。令嬢に知り合いはいないけれど、なんて出来た人だろう。どこかおっとりとした雰囲気はイオン様にも似ている。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。――あなたよくここでガイドをしている方ではありませんか?」
 アニスは驚いてまじまじと女性の顔を見た。
「よくご存じなんですね」
「ええ、従兄が礼拝している時は私はここで暇をつぶしておりますから」
 そういえば彼女は従兄と巡礼にマルクトから来た熱心な信者と聞いたが違うのだろうか。
「あなたは礼拝しに行かないんですか?」
 彼女はくすりと笑って指を口に当てた。
「私は神を信じておりません」
 そう小声で言った彼女は茶目っ気があり愛嬌があった。つられてアニスも笑う。
「あなたのお名前は? 私はレイア・クラウデイウス」
「あたしはアニス・タトリンです」
 するとレイアはアニスに顔を近づけてにっこりと笑う。
「アニス、私、あなたとお話がしたいわ。良かったらお茶でもいかが?」
 アニスは、はいと言いかけて言いよどむ。今日の巡礼者を逃せばかなりのガルドを逃すことになるかもしれない。そう考えるととても惜しい。
 だが、高そうな服の弁償をしなくて済んだのはひとえに彼女の温情だ。もし違う令嬢だったら金切り声をあげて弁償しろと叫んでいただろう。そんな情けをかけてくれた女性の誘いを断るのはあまりにも失礼だ。断腸の思いでアニスは頷く。
「――アニス・タトリン行かせていただきます」
 レイアは表情を明るくさせて、シルクの手袋でアニスの手を掴んだ。
「ありがとうアニス! では参りましょう!」
 喜々としてアニスの手を掴んで広場を通り過ぎていく。噂ではカフェテラスで話を聞いていると耳に挟んだはずだが、彼女はあっさりと通過していった。
「あの、カフェテラスじゃないんですか?」
 するとレイアは弾む声で言う。
「今日はとっておきの茶葉とお菓子がありますの! ですから宿屋ですわ」
 とびっきりの笑顔で見られてアニスはまた眩しさに襲われる。これでは一般兵たちと変わらない。苦笑いしながらアニスはレイアに引っ張られていった。
 
 ***
 
 結局、宿屋にまでついてきてしまった。宿は他の宿屋より豪奢に作られていて、レイアが貴族なのだと思わせるものだった。レイアは二階の角部屋らしい。
 階段をレースのスカートを持ち上げてレイアは上がっていく。所作は綺麗でやはり生まれが違うのだと思わせた。そして、角の部屋に着く。
「どうぞ」
 部屋を開けて、先にアニスは部屋に入った。するとテーブルには赤い目に眼鏡をかけた男性が座っていた。質素な修道着を着ている。男の目がゆっくりと細められる。
「待っていましたよ、導師守護役のお嬢さん」
 一瞬で罠だと気づいた。後ろを振り返るとゆっくりとドアの前に立ち塞がるレイア。
 まぶしい笑顔はもうしておらず、表情は氷のように冷たい。
「やはりよくお似合いですねぇ、レイ」
 すると眉間にしわを寄せて、レイはと呼ばれたレイアは赤目の男を睨む。
「二度と言うな。殺すぞ」
 その声は先ほどの軽やかな声とは違う。声色まで変えていたのか。今は女性というより男性に近い。
「おやおや、レディの恰好をしている割に物騒なお言葉ですね」
 レイの眉間に青筋が見えた。だが、反論はせず、部屋に鍵をかける。どうやら逃げ場を失くされたようだ。
「さて、レイをからかうのは後にして本題に入りましょうか」
 赤眼の男がにっこりと笑った。だが、張り付けたような笑みにアニスはかすかに震え、拳を握りしめる。どうすればこの場から逃げ出せるのか算段しながら。彼の目を睨みつけた。


prev / next

[ back to top ]