▽ 神か人か3
「おい……!」
レイは努めて冷静にジェイドに呼び掛けたが、声には怒気が混じっていることは明らかだ。だが、当のジェイドはレイをまじまじと見ているだけで何も言わない。むしろレイが怒るのをわかってやっているに違いない。
「この服に意味はあるのか?」
服屋の試着室から出たレイはわなわなと拳を震わせている。
その様子にジェイドはご満悦だ。
「似合っていますよレイ」
レイが着てきたものはフリルがふんだんに使われている貴婦人のような格好だ。レイが十九年生きてきてこのかた着たことがないものだった。この服を渡された時、最初冗談かと思って店員に返そうとしたが、お連れ様の強いご希望ですのでとごり押しされてしまった。服屋には馴染みは無いせいか断るに断り切れず、レイの性別が女性だと勘違いしたのか店員もきっとお似合いですよと言ってくる始末。結果、仕方なく着る羽目になったのだ。あまり目立つことができないので怒鳴るばかりか声をひそめたり喧嘩するのもはばかられる。
女性店員が目を輝かせて手を叩く。
「やはりお似合いですね! 旦那様のお見立ては正しかったようです」
その言葉にレイは鳥肌が立った。ジェイドが旦那? 思わず顔が引きつる。ジェイドはとてもさわやかな笑顔で店員に言う。
「いえいえ、私の従妹なんです。まぁ、似合っていてとーっても嬉しいです」
はたから見れば従妹を溺愛する男にも見えただろう。だが、それがレイにとって屈辱であることをジェイドはよーくわかっている。
対するジェイドは敬虔な信者といったふうな質素な出で立ちで灰色のローブをまとい、髪の毛をポニーテールにしていた。恐らく変装だろう。
店員が別の客に呼ばれてジェイドに一礼して走っていく。その隙にレイはジェイドに近づいて思い切り足を振り上げた。今履いているのはヒールの高い靴だ。踏まれたら痛かろう。だが、そんな攻撃をあっさり避けて、よろけたレイを抱きとめた。
そしてジェイドはレイの耳元で囁く。
「本当によく似合っていますよ、レイ」
レイは勢いよくジェイドから離れて、耳を真っ赤にした。耳を手で押さえてわなわなと震えだす。
「おま……お前は……!」
「おやぁ? 照れてるんですか? 案外うぶですね」
「してない! 断じて照れてなんか!」
思わず大声で言ってしまう。周りはこちらを一瞬見たが、痴話げんかに見られたんだろう。なんだか微笑ましい視線を感じてさらにレイは恥ずかしくなった。
「まぁ、この服を選んだのは意味がありますから」
「――本当だろうな?」
すがめて見るとジェイドはにんまりと笑った。
「内容は宿屋でお話しします。それでいいですね?」
なんだか信用できなくてレイはじっとジェイドを見た。するとジェイドがにまりと笑って顔を近づける。
「なんですか? もっと褒めてほしかったですか?」
かっと頬に朱が昇る。レイはあらん限り目を吊り上げてジェイドを睨み返す。
「そんなに死にたかったのか貴様。この任務が終わったら覚えておけよ?」
「おやおや、どんな可愛い仕返しをされるんでしょう? 楽しみです」
どうしてもジェイドには口で勝てない。荒く息をして、レイは淑女らしからぬ大股で宿屋まで歩いた。
***
元の服装に戻ったレイはほっと息をして宿屋の一室でくつろいでいた。宿を取るとジェイドはやることがあるとどこかへ消えていき、レイはあの服装に意味があるのか全く分からないので待機することにした。
ベッドに畳んでおいてあるそれはあまりにも恐ろしいものに見えた。女性店員にも気づかれないとは訓練が足らないのだろうかと腕の当たりを触る。
残念ながら筋肉が盛り上がるほどではなく、レイは気落ちした。
部屋に用意してある姿見で背格好を見るが、あまり男性的とは言い難い。
元々中性的な顔立ちをしているとは同期であるフリングスに言われていたが、そんなにだろうか。ベッドの服を持ち上げて自分に合わせてみる。服はひらひらと舞って自分では似合っているのか似合っていないのかわからなかった。
そんな時、背後からノックもなしにジェイドが部屋に入ってきているのが見えてレイは文字通り飛び上がった。
するとジェイドは最高の笑みを浮かべてこちらを見ていた。レイは驚きすぎて声が出ない。慌てて服から手を放す。
「おやおや、いいんですよ。楽しんでいただいて。気に言って頂けて何よりです」
「なっ! これは、違っ!」
「いいんです、いいんです。レイ王子は女装癖があるなんて私はぜぇったい言いませんから」
レイは全身を真っ赤にして怒鳴る。
「ジェイド!」
「冗談ですよ」
すると、ジェイドは手に持っていたトレイをテーブルの上に置いて椅子に座るように促す。
どうやら食事を持ってきてくれたようだ。レイは怒るに怒れなくなって乱暴に椅子に座る。するとジェイドは満足そうに頷き。自身も座った。
「先ほど、酒場に行ってきたのですが面白いことが色々聞けましたよ」
「……どんな内容だ」
「神託の盾騎士団はどうやら大詠師派と導師派で二分されているようです」
どうやら一般兵が飲んでいる所で聞き耳を立ててきたらしい。
内容はこうだ。ルグニカ大陸で起ころうとしている戦争をダアトは把握しており、開戦するのを静観すべきと思っているのが大詠師モース。それを止めようと和平を唱えているのが導師イオンらしい。二人の意見は真っ向から対立しており、噂では大詠師が導師を軟禁していると言われていたという。
その情報を加味したうえで昼間の対応を考えると納得がいく。導師はやはり急病ではなく囚われているから謁見できなかったのだ。
「なるほど、宗教で同じ思想を志したとしても派閥が生まれるものなのだな」
ジェイドは軽く笑ってレイを見た。
「それはどこの国でも小規模の集まりでも変わりありません。ただ規模が大きいというのは少々厄介ですが」
マルクトでも最初はピオニー陛下の即位に反対する者はごまんといた。だが、それを説き伏せねじ伏せ従えたのは目の前にいる赤い目をした化物である。
――私も化け物の類には違いあるまい。
赤い目から視線をそらし、レイは自嘲した。この手はもうすでに真っ赤に染められている。
「それで? 私は何をすれば?」
「簡単なことですよ。あなたには箱入りの貴族の令嬢として振舞って頂きます」
意図がつかめず顔をしかめるとジェイドは顔の前で手を組んだ。悪魔とはこういう表情をして笑うのだろうとレイは思った。
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