小説 | ナノ


▽ 神か人か2


 一面に広がる大海原を見てレイはふうと息を吐いた。
 甲板を走ってはしゃぎまわる子供たちや大人が楽し気に海を眺めては気持ちよさそうに海風に当たっている。客船はダアト行きなので観光客が多いのだろう。
 穏やかで楽しげな声。これから起こるかもしれない戦争のことなどまるで嘘のように思える。いや、実際彼らは知らないのだ。これから起こるかもしれない戦争のことなどこれっぽっちも。
 揺れる甲板の上で手すりに身体を預ける。西にまっすぐと向かう船は決して引き返してはくれない。いや、勅命である任務に不満はない。むしろこの任務が成功すれば無事戦争は回避されしばらくの間戦争は起きないだろう。
 ――問題なのは……。
「おや、そんなにため息をついては幸せが逃げてしまいますよ?」
「お前と二人旅になったことがこの上なく不愉快なんだ」
 軍艦タルタロスでグランコクマを出た後、ケセドニアで船を使いダアトに行くことはわかっていた。けれど、大人数だと威嚇になるとジェイドが言い出してレイだけを連れて高速船ではなく客船で行くことになってしまった。そのことにレイは不満なのだ。
「まぁ、任務の為です。仮にも王子なんですから粗相のないようにしてくださらないと」
 私が困ります、と満面の笑みで言ってきたのでレイの眉間にしわが寄った。
「陛下の為に私は最善を尽くす。それに何か不満でも?」
「いえいえ、ありません。ただ、あなたは表情に出やすいですから営業スマイルを忘れずにいてくだされば結構です」
 普段から笑わないレイを揶揄しているのだろう。舞踏会などに出席すると貴婦人たちは遠目から様子を窺っているだけで近寄っては来ない。彼女たちはレイのことをこう呼ぶ。氷の王子と。
 レイは顔をしかめる。
「……本当に口の減らない奴だ」
「お褒め頂きありがとうございます」
 わざわざ仰々しくお辞儀をするジェイドにレイはさらに神経が逆なでされたが、相手にするだけ喜ぶだけなので視線を海へと向けた。まだ島のようなものは見えない。
 グランコクマを出てもう三日になる。あと半日もすればダアトに着くだろう。
「そういえばあなたは国から出たことがありませんでしたね」
「……それがなんだ?」
「いえいえ、今のうちに楽しまれてはどうかと。ダアトに着いたら何かと忙しくなるでしょうから」
「別に、楽しむために行くわけじゃない」
 すると赤い目が鋭く細められる。
「心にゆとりを持ちなさい。じゃないと本当に切羽詰まった時に困りますよ」
 今度は真面目に説教をされ始めている。心底うんざりだ。
「お前がいては私は楽しめない」
 言ってその場を離れようとすると力強く手を掴まれた。反射的に振り払おうとするが、びくりともしない。
「……放せ」
「いいですか? あなたの腕は買っていますが、まだ精神的に未熟です。ですから、これから学びなさい。今回はいい機会になるはずです」
 かっとレイの目が見開かれる。殺気にも似たオーラを放ち、まったく怯みもしないジェイドを嗤う。
「それはお前の経験則か? バルフォア博士?」
 ジェイドはすっと表情をなくしたが、すぐに笑う。
「ええ、愚か者だった私からいえる言葉です」
 手を放されて、レイは身をかえす。着ている黒衣のマントがひるがえる。ジェイドがひるんだのは一瞬だった。一矢報いたと思ったが、あっさりと返されてしまい結局自分が屈辱的な気分になっただけだった。それにジェイドにとって言われたくないことだろうと思うと気分が悪い。
「ジェイド」
「なんです?」
 振り返るといつものジェイドだった。レイは一度唇を固く結んだが、ややあって口を開いた。
「……すまない、言い過ぎた」
 ジェイドの目が見開かれる。少し頭をを下げてくつくつと笑うと眼鏡の縁を押し上げてにんまりと笑った。
「いえ、これから慎んでいただければ結構ですよ。レイ」
 相変わらず慇懃無礼だ。レイはやはり謝るんじゃなかったと思いながらふんと息を漏らした。あと半日の航路が早く済むことを願わんばかりだ。
  
 ***

 ダアトに着いてまず思ったのは、グランコクマとはまるで様子が違うということだ。みな修道衣を着て石碑を回っている。敬虔な信者が多いのが目についた。流石ローレライ教団の総本山という所だろう。グランコクマは国色を意識した青の装飾が多く噴水などの音機関もあるが、ダアトでは白を基調とした荘厳な雰囲気で派手な音機関もない。節制、倹約が沁みついているのだろう。
 道も補正はしてあるが、グランコクマのような石畳ではない。景観をユリアのいた時代からあまり変えないようにしているのだろうか。
 宿屋も店も作りはしっかりしているが、グランコクマのような派手さはない。
 辺りを見回すと色々な違いが見えて驚く。
「違う国というのは、面白いでしょう?」
 まるで考えてることを読み取ったかのようなタイミングでジェイドが話しかけてくる。こちらの考えていることなどお見通しなのだろう。レイは眉をひそめてジェイドの言葉を無視した。
「謁見についてはどうなっている?」
「ご心配なく、もう連絡がいっているはずです」
 ならば、ローレライ教団に直接行けば問題ないだろう。グランコクマの軍服はここでは目立ちすぎる。奇異な目で見られるのは慣れっこだが、知らない場所での悪目立ちは避けたい。
 丁度、広場で観光客が集まっている。
「えー、この石碑はですねー」
 なんだろうと視線をやると修道服と似ているが、動きやすそうな格好をしたツインテールの少女が観光客にダアトの成り立ちを説明していた。
 ローレライ教団の一員なんだろうが、なんだか雰囲気が違う気がした。
「あれは五大石碑をめぐる巡礼の説明のようですね」
 すると観光客たちが一ガルドほど少女に渡している。少女もちゃっかりとしていて断らずに受け取っている。ダアトは信者からの寄付で成り立っているはずなのだが。
「あれは、いいのか?」
「まぁ、黙認されている程度なんでしょう。けれど……おやおや?」
 もったいぶったジェイドの言葉にレイは顔をあげた。
「なんだ?」
「彼女は神託の盾騎士団の一員のようです。それに導師守護役のようでもあります」
 神託の盾騎士団とはダアトが持つ防衛に特化した軍事力だ。表向きは自衛のためだと言っているが、様々な戦争に介入しては戦況をひっかきまわす。レイにとってはあまりいい印象はない。
「なぜわかる?」
「まず服装。あれは神託の盾騎士団の一般兵のものではありません。導師守護役の特殊な服です」
「導師守護役ねぇ……」
 見た目からしてまだ幼い少女だ。それが導師守護役になるとはすごいことなのだろう。レイたちは横目で見ながら通り過ぎる。
「まぁ、情報として彼女のことは覚えておきましょう。役に立つかもしれません」
 使えるものは使う。昔からのジェイドのやり方だ。本当に抜け目がなくて敵に回したくない。そう心の中でひっそりと思いながら、レイはジェイドの隣を歩いた。
 
 ***
 
「導師イオンがお会いになられない?」
 導師のいるダアトの中心ローレライ教会に着いた二人はまさに門前払いにあっていた。協会に入ることすら出来ず、門前で兵士に足止めされている。
 どういうことだとジェイドに視線を送るが、ジェイドは呆れたように笑うだけで目の前の人物に言う。
「私はジェイド・カーティス。後ろに居られますのはマルクト第五皇子レイ・ロウ・マルクト様。つまりマルクトの正式な使者です。それでもお会いになられないと?」
 国交問題になるぞと言外に匂わせているのだが、兵士はものともしない。
 すると兵士は淡々という。
「導師イオンは急病で臥せっておられます。なにとぞご了承を」
 ジェイドが手で顎を撫でて思案し唸る。
「困りましたねぇ、いつならば謁見可能になりますでしょうか?」
「私にはわかりかねます」
「そうでしょうねぇ」
 一般兵士にそんなことがわかりようもない。小馬鹿にした様子でジェイドが言うがそれでも鉄面皮のように兵士の表情は動かなかった。
 ジェイドがため息をついて肩を落とす。
「では、また後日参りますのでその時にでもまたお聞かせください」
 そして兵士が頭を下げた。
「かしこまりました」
 少し協会本部から離れた所まで歩くとレイが小声で言う。
「これでは足止めされて戦争までここに居させられるな」
 広場では導師イオンが急病などという噂は流れていなかった。つまりは単にローレライ教団の嘘で、方針なのだろう。
 真意はわからないが少なくとも歓迎されてはいないらしい。
「どうする?」
 ジェイドは余裕ぶった笑みでレイを見た。
「とりあえず、服を買いましょう。これでは目立ちすぎます」
 青いマルクトの軍服と黒い軍服。将校などに出くわそうものならすぐに誰かわかってしまうだろう。レイは頷いて、長くダアトに滞在するかもしれないと思案した。


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