小説 | ナノ


▽ 一人ぼっちの王子様1


 空が青い。
 譜石帯が良く見えて綺麗だ。
 レイは小さな窓に手をあてた。小型の軍艦の窓が空と自分を隔ててなければ、もっと心も晴れるのに。
 それは戦争が今にも起こりそうだというのが、まるで嘘のようだった。穏やかな風景を切り裂くように走る小型艇を、全力で走らせているのが疑問に思うほどだ。とても現実味がない。
 だが、戦争はうかうかしていると必ずやってくる。レイが思っているよりもずっと早く訪れてしまうかもしれない。だが、血を見ないためにも自分の力を出し切らねばとも思っている。それを避けるためにレイは動いているのだから。
「青いな……」
 レイは軍艦の窓から曇りのない空を見ていた。晴れ切っていて雲が一つもない。これ以上ないほどの快晴だ。旅立ちには心地いい。
 ただ惜しむらくは外に出て、風を感じられないことだ。小型艇なので必要最低限の装備しかないし、武装もない。人を運搬するために特化したものだからだ。
 すると背後から声がかかる。
「景色が流れるのが速いぞレイ!」
 後ろの席に座っているガイからは何度も感嘆の声が漏れている。出会ってから今までで一番テンションが高い。余程音機関が好きなのだろう。さっきから騒々しいほどで、レイは少し落ち着かない。
「こんなに速い軍艦がマルクトにあるなんて! やっぱりキムラスカに譜業で劣るといっても流石にすごいな!」
 レイは呆れてため息を吐いた。今のガイはまるで少年のようだ。落ち着けと言っても効果がないので放っておいているが、興奮は冷めやらない。
 大きく軍艦が揺れる。思わずレイは舌を噛みそうになった。それほど軍艦は飛ばしている。エンゲーブに向かって。
「あんまりしゃべってると舌を噛むぞ?」
「いやいや、申し訳ない。けどなぁ、音機関好きにしたらこれはたまらない宝みたいなもんなんだ! いやぁ、流石王子だな!」
 レイはその言葉に眉根を寄せる。
「王子はやめろと言っただろう? 名前か階級で呼んでくれ」
「ああ、すまない。じゃあレイ。見ろよ! これならすぐエンゲーブに着くぞ! やっぱり音機関は素晴らしいな!」
 もう呆れてものが言えない。レイは一つ息を吐いて、ガイを軽く睨んだ。
 軍艦には必要最低限の兵しか連れてきていない。だが、民間人を乗せるのに渋るものがいるだろう。自分の友人だと嘘をついて乗せたが、かなり驚かれた。今までそんなことがなかったからだろう。それを分からないわけではないだろうと思うが、ガイはあまり気にしてないようだった。
 ガイは目をキラキラとさせて窓に張り付いている。彼も用事があってエンゲーブに行くはずだ。二人の人間を探しているようだが、詳細はわからない。そういう話になるとガイは決まって話を濁すかそらした。馬鹿ではない。
 レイが民間人を連れてきたと知れたらジェイドは何と言うだろう。決してバレないようにしなければ。もし発覚したらと思うとレイは震える。
 レイはエンゲーブで待っているであろう陰険眼鏡がにやっと笑う様を想像して寒気がした。
 
 ***
「着いたぞ」
 仏頂面でレイが言うとガイは笑顔で頷いた。
「ああ! いい旅だった!」
 長時間の移動に疲れたのかガイは腕を伸ばす。内心レイはあれだけ騒げば疲れるだろうと睥睨してガイを見た。
「空気がおいしいな」
「ああ」
 目の前には穏やかな農村が見える。
 エンゲーブはマルクトの食料事情に大きく関わる重要な村だ。
 肥沃な土地柄で農作物が良く育ち、大きな災害も少ない。だからこそエンゲーブでは安定した食料供給が出来るうえ、村人たちは比較的穏やかに暮らせている。
 ただ、娯楽といったものが少ないので、観光客が訪れることは少ない。だから、ガイの探し人がエンゲーブに立ち寄るというのは疑問が残った。
 旅行ならば、まずグランコクマかケセドニアに向かうだろう。彼らはそれをせずにエンゲーブに向かったということは何かしらアクシデントがあったということだろうか。それに戦争がはじまりそうな世情の時にルグニカ平野を移動するなんてよほどのことがあったに違いない。だが、ガイは事情などまったく漏らさないし、口が堅い。
 レイの考えなど知らずにガイは微笑みながら手を差し出した。
「助かったレイ。おかげで予定より早くあいつを見つけられそうだ」
「そうか」
 お別れということだろう。レイは差し出された手をじっと見た。
 こちらも早く親書をジェイドに渡さなければならない。だから、ここで別れるのは当たり前だし、これからのことを考えると民間人を巻き込むわけにはいかない。
 だが、レイはその手を握ることを渋っていた。
 自分でも理由がわからない。けれど、自分に屈託なく関わってくれるガイに少なからず嬉しさがあった。ジェイドとは違う付き合い方をしてくれるのはとても意外だったからだ。
 差し出す手が一向に握られないのを見てガイは首を傾げている。レイは口を開いては閉じを繰り返して、何もできないでいた。するとガイは笑う。
「そうか、お前こういうの苦手そうだもんな。悪かった」
 手を引っ込めようとするガイにレイは慌ててその手を両手で握った。
「まて!」
 するとガイは驚いたように目を見開いた。
「どうした?」
 レイは頬が熱くなる。ただの握手をするだけなのになぜ両手で握ってしまったのだろう。恥ずかしくてレイは大げさに手を放した。その様子にガイは微笑んだ。
「なんだ、そんなことで恥ずかしがるなよ。ほら」
 レイの手を掴んで少し大げさに振ってくる。それがまた恥ずかしくてレイは全身が沸騰するように熱くなった。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
 そして消え入りそうな声でレイは言った。
「……お前、音機関が好きなんだろう?」
 ガイは大きく頷く。
「ああ、大好きだ!」
「なら、タルタロスは知っているか?」
 ガイはその言葉に目を輝かす。
「もっちろん! マルクトで一番有名な戦艦だ! 見られるようなら見てみたいねぇ」
 ガイの視線に耐えられずレイは顔を背ける。そしてぼそぼそと言葉を告げた。
「今、タルタロスはエンゲーブ近くに停められているはずだ。その、もし、よかったら――」
 ガイの顔がふいに近くなる。距離が近い。
「乗せてくれるのか!?」
 真っ赤になったレイは小さく頷いた。
「……国家機密だから内部の音機関は見せてやれないが乗せるくらいなら」
 掴んでいる手をガイは大きく振った。
「ありがとう! お前は最高だレイ!」
 つないだ手をさらに大げさに振ってくる。レイは肩が痛くなったが、思わず笑みがこぼれた。本当はしてはいけないことだが、ガイなら差しさわりないだろう。お人好しでケセドニアでは一人ぼっちのレイを助けてくれた。理由はわからないはずなのにないがしろにせず熱心に助けてくれたのだ。その心に報いたい。
「じゃあ、宿屋で待っていてくれ。私は用事を済ませてくる」
「ああ、待ってるぞ!」
 あまりにもウキウキしているのでレイは可笑しくなった。思わず笑ってしまう。
「お前、人探しはどうするんだ?」
 ガイは苦笑いする。
「大丈夫さ、あいつはそうそう易々と死ぬたまじゃない。一千一隅のチャンスを逃したくないんでね」
 なんて奴だと思うが、レイも私情を挟んでしまっている以上何も言えない。
「じゃあ、私は行ってくる」
 レイはローズ夫人邸へと歩き出す。
 恐らくジェイドはタルタロスに居ることはないだろう。隠密行動をするためにはあの艦はでかすぎる。あの艦を隠すにはそれなりの大きな森の近くに停めてあるだろう。確かエンゲーブの近くには大きな森があったはずだ。そこに停めるためにもエンゲーブの世話役であるローズ夫人のところにいる可能性が高い。
 少し歩いて振り返ってみるとガイが嬉しそうに手を振っていた。それがまるで少年のように見えたのでレイは笑ってしまう。
 そしてこちらも早いところ、ジェイドに会わなければならない。
 レイはすぐ近くのローズ邸へと再び歩き出す。ガイの表情が面白くて思い出い笑いをしながら道を歩いていく。周りの家よりは少しばかり大きいローズ邸の前に着くとレイはノックした。すると警戒もなくドアが開け放たれる。
 中からかっぷくの良いおばさんが出てきた。
「はいはい、最近は大忙しだねぇ――あらレイ王子! 失礼しました!」
 少し恥じらいを見せてローズ夫人がお辞儀をしてくる。それにレイは気にする様子もなく、中をのぞいた。
「こんにちはローズ夫人。ジェイドは来ていますか?」
 すると戸惑う様子で後ろを向いた。視線をたどるとジェイドは椅子に座っていたらしくティーカップを持ちながら優雅に笑った。
「待ちくたびれましたよレイ」
 相変わらずの慇懃無礼さにレイは閉口する。だが、ジェイドはお構いなしにティーカップをテーブルに置いて近づいてきた。
「おつかいはちゃんと出来ましたか?」
 レイはむっつりとした顔で懐から親書を差し出す。
 するとジェイドは封蝋を確認してにっこりと笑った。
「よくできました」


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