其の一

 グロ注意!!中也寄り長編を読んでいることを前提としたストーリー進行
 本誌逸脱、救済あり予定。アニメ勢の方に配慮しないネタバレ多々あり
 何でも許せる方限定!!!!

 武装探偵社にて、太宰は今日も愛読書である完全自殺読本を広げていた。どの自殺方法を試そうか、椅子の背凭れに体重を預け、ぱらぱらと頁を捲る。因みに一応業務時間中である。
 いつも注意をしてくる国木田もおらず、太宰にとっては無法地帯と化している中、太宰さん!と自分を声高に呼ぶ声に視線を上げる。

「何だい、敦君。美女の依頼者でも来たのかい?」

「違いますけど。此れ、太宰さん宛の手紙みたいです。」

「私宛の手紙が探偵社に?」

 太宰は敦から封筒を受け取った。差出人の記載はない。敦はまた何処かの女性からの恨み言が書かれた手紙じゃないかとはらはらしながら様子を伺っていた。
 太宰は慎重に鋏で封を切り、中の折り畳まれた紙片を抜いて、開いた。

「……歩ちゃん?」

 太宰が目を丸くした後、手紙を読み始める。敦は何となく邪魔をしてはいけない気がして、紙片から視線を外した。太宰は書類を読むスピードが速い。本当に読んでいるのか分からない位の速さで読み終え、其の全てを覚えている。しかし、其の手紙に関しては5分もの時間を要して読んでいた。
 読み終えた後、太宰は大事そうに紙片を封筒に戻した。敦は其のタイミングを計らって声を掛けた。

「えっと、どなたからだったんですか?」

「ああ、私の友達が大事にしていた女の子からだよ。」

「友達、ですか……」

「其の女の子は孤児でね。私の友達が引き取っていたのだけれど、事情があって面倒を見ることができなくなってしまったのだよ。だから、私が仲介して、ある夫婦に後見人を頼んで……」

 太宰は言葉を区切る。太宰の表情が翳り、敦は何かあったんですかと不安が増す。太宰はそうだねと目を伏せて続く言葉を感情のない声で述べた。

「夫婦は事故で死亡、其の親類縁者も未解決の殺人事件に巻き込まれて全員死んでしまっていたよ。其の子も行方不明になってしまって、私がどれだけ情報を集めても見つけることはできなかった。」

「太宰さんでも見つけられないなんて。あ!じゃあ、乱歩さんは……」

 敦がはっと言葉を止める。未解決の事件、と太宰は云った。
 だとしたら乱歩に依頼が来ない筈がない。

「其の殺人事件……乱歩さんでも解決できなかったということですか?」

 太宰は何も云わなかった。代わりに口を開いたのが乱歩本人である。

「容疑者として該当する人間がいなかった。否……該当する異能者がいなかったんだ。だから、未解決。」

「異能による殺人だったんですか。」

 敦が続けて問うと、乱歩は肯定する。

「そう。一人目は餓死、二人目は転落死。他にも色々。しかも死因と被害者の死の直前の行動などが一切符合しない。餓死した被害者なんて夜食にカップ麺食べてた位だし。」

 乱歩はラムネを飲みつつも、声は推理した証拠を凶悪犯に示す時のように真剣だった。

「そんなことができるのは異能しかない。ただ、僕の推理した異能を持つ人間はあらゆるデータベースの中に存在しなかった。軍警にも此れ以上追う必要はないと云われて捜査は強制終了。今や現場に痕跡は何一つない。よって、太宰が云う其の女の子を探すのは僕にも難しい。」

 そんなと敦は呻くが、でもと目に希望を宿して太宰を見た。其の行方不明だった女の子から手紙が届いたのだ。けれども、突然行方不明の人間から手紙が来るなんて、敦には怪しく思えてしまう。

「筆跡からしても歩ちゃんで間違いないと思うよ。文面も歩ちゃんの性格が出てるしね。」

 太宰は嬉しそうにしながら封筒を懐に仕舞った。

「其の子とは会えそうなんですか?」

「忙しそうにしているみたいだけれど、きっと会えるよ。だって互いに生きているのだから。」

 太宰はふんふんと鼻歌を歌いながら、完全自殺読本を閉じて、PCを操作し始めた。如何やら業務に必要な書類を作っているらしい。太宰さんが真面目に仕事してる、と敦は戦慄を覚えながらも其の女の子と連絡が取れることが心底嬉しかったのだろうなと微笑ましくなるのだった。


 ヨコハマ某所の警察署から爆発音が轟いた。人通りは少ないものの住宅街の近く、しかも昼下がり。男女の悲鳴が上がり、混乱が広がる。逃げ惑う人の波に紛れ、黒い長外套の男が進み途中で曲がり路地に入った。
 立ち止まり、こほ、と一つ咳をして再び歩き出そうと一歩踏み出した。

「こんにちは。」

 足が止まる。顔を上げる。声は若い女のもの。
 声の主を見れば、其の通り少女とも呼べる見た目の女だった。
 男は警戒、というより殺気を強めた。其の少女が、軍警の制服を身に纏っていたからである。

 少女に笑顔はない。感情が一切見えない。
 無表情で男を凝視している。

「何用だ。」

「其れは自分が一番よく分かっているのではないですか。」

 声にすら感情を映さない。ただ少女の漆黒の瞳が男を捉えて離さない。泥のように深い黒が男の精神をじりじりと侵食していくようだった。少女は起伏のない声音で独り言を零すように云った。

「あなたは運が良い方です。殺すなら、私がこうして出向く必要はないですから。」

「……舐められたものだな。殺す気概もないままに僕と相対しようなど。」

 男は少女を鋭く睨んだ。海風に男の黒い外套が靡く。

「僕を追って来た以上、僕は貴様を殺す。」

「私を殺せる人はいませんよ。誰にも、殺せない。」

 少女の黒い瞳がゆっくりと、だが劇的に変化する。
 右は鉄を超高温で熱しているような赤に、左は地球を内包しているような青に。
 
「例え何者であったとしても正義の前には平等に罰せられる。此れは始まりの符牒であり警告です。」


 其れは私の運命の転換点だった。
 山を彷徨っていた時、私はある男と出会った。軍警の制服を身に着けている筈なのに、悪に身を染める男だった。男は不可解な言葉を述べた後、私を斬った。其の時何の話をしたか、余り思い出せない。

 そうして目を覚ました時、私は白い寝台の上で寝ていた。傍にはあの男がいた。幾つかの問答があった。
 私は、其の時男に云った。強くなりたいと。何者にも負けない、どんな理不尽さえも跳ね除けられる確固たる強さが欲しいと。

 其れが私の答えであり、選択だった。困難を極めることは分かっていた。私は身体能力も知能も一般人と同レベルで、異能力も戦闘に特化している訳でもない。

 なのに、其の男は断言した。私は強くなれる、もう既に求めている強さを手にしているのだと。あとは如何活かすかだけだと。

 其の言葉は、数年経った頃、真実となった。
 私は、自分の意志によって、正義によってあの人を裁くことができたのだ。


 特殊制圧作戦群・甲分隊、通称猟犬。構成メンバー全員が超級の異能を保持する軍警最強の特殊部隊である。其のメンバー一人を除く全員が作戦室に集まっていた。隊長である福地桜痴は神妙な面持ちだった。

「隊長、鐵腸さんを除いて我々は忙しいんです。報告があるのなら早くしてください。」

 辛辣な言葉で先を促したのは条野だった。ただ、其れに返答したのは福地ではなく鐵腸だった。

「俺も忙しい。」

「はいはい、如何せ筋トレするだけでしょう。」

 鐵腸さんは如何でも良いんですと突き放し、本当に何もないなら帰りますよと条野は告げる。一方、副隊長である大倉燁子はと云えば、隊長のためなら永遠に待てますうと上擦った声で云うのだ。
 条野は額に手を当てた。誰かまともな人間がいてくれないものかと溜め息が自然と出る。
 周囲がそんなやり取りをしている中で福地が徐に口を開いた。

「皆に紹介したい者がいる。」

 バッと視線が福地に集中する。何だ、其の云い方は。まるで、そう家族でも紹介するような。

「そ、其れは如何いう意味で……」

「うーん、そうさなあ……孫?」

 孫!?と条野が流石に驚きの声を上げ、燁子がどたんと椅子ごと倒れた。

「ま、孫……つまり、隊長は既婚者で、子どもだけでなく孫まで……!?」

 仰向けで譫言のように呟いている。鐵腸も福地に一瞬視線を向けたが、特に其れ以上の反応は示さなかった。

「つまり、隊長はいつの間にか結婚していて、子どもまでいて、そして孫ができたので其の報告をしたいということですか?……色々遅すぎません?」

「否、本当の孫ではないぞ。」

 条野は引いた顔をし、次に拳銃を抜いた。

「……語弊を招く云い方をするのはやめていただけませんか?撃ちますよ?」

「もう撃ってる撃ってる!!」

 条野は拳銃で福地を連射しつつ、続けた。

「其れで、其の孫(仮)は何処にいるんです?」

「いやあ、其れが少し遅れるらしいんだが……」

 如何やら直近で任務が入ったこともあり、予定より30分程遅れているらしい。福地はうーんと首を捻る。

「死んでいないのは間違いないが。」

「死地に可愛い孫(仮)を放り込んだんです?なかなか鬼畜ですね。良いと思いますよ。」

「……そう云われると罪悪感が湧いてくるわい。」

 福地がはあと吐息を漏らした時だった。
 扉が普通の聴覚なら聞こえない程に音もなく、細く開いた。故に条野は直ぐに気付いた。

「あの……遅れてすみません。」

 顔を出したのは小柄な少女だった。少し居心地悪そうに眉を下げている。福地はぱっと表情を明るくする。

「おお、やっと来たか。入って良いぞ。」

「あ、えっと、あとちょっとだけ待っていただけますか。何か凄い事になってて。」

「何か凄い事……?」

 福地が扉の方に近寄る。
 一方で条野は気付いていた。彼女から、酷く血の匂いがするのだ。だが、恐らく其れは少女のものではない。返り血だ。

 福地は扉の向こうにいる少女を確認し、派手にやったなあ、と苦笑した。

「が、想定内と云えばそうか。誰にやった?」

「……リストの一番です。」

「なら、今頃痛みにのたうち回っている頃か。」

 福地は呟いた後、よしと少女の頭に手を置き、わしわしと撫で回す。

「よくやった。あとは儂に任せて、着替えに行ってくると良い。」

「……ありがとうございます。直ぐに戻りますので。」

 少女の気配が消え、福地が部屋に戻った。椅子に座り、両肘を机に載せて真面目な顔になる。そして、第一声が。

「……儂の孫、可愛くない?」

「はあ……如何なんですか、鐵腸さん?」

 顔の造形が定かではないので条野は鐵腸に尋ねる。

「見てなかった。」

「肝心な時に使えないですね……燁子さんは如何ですか?」

「隊長の孫(仮)ということは儂の孫(仮)でもあるかもしれん。そう考えると愛らしく思えてきたのう。」

 条野は話が通じなさそうだと燁子を諦め、福地に問う。

「其れで、彼女は何者なんですか?」

「名前か?歩と云う。齢は16……否、17になっていたか。」

「私が聞きたいのはそういうことではなく……真逆、可愛いというだけで拾ってきた訳ではないでしょう。」

 福地は察しが良いのうと条野を賞賛し、加えて説明する。

「あの子には儂等すら凌駕する力がある。使いどころを誤れば世界を滅ぼす災厄にすらなりかねん。故に儂が正しく其の力を奮えるよう指導している段階だ。」

 其の指導の段階で猟犬が熟す任務に匹敵する程の困難を相手取ってきたのだという。福地は彼女の功績を指折り数える。

「最近だとリアレス教団、王の写本の殲滅。海外でも幾つかの組織を潰していたか。」

「リアレス教団と王の写本は危険異能者の集団だった筈……其れを彼女一人で、ですか?」

 相当ですね、と条野は感心した。戦闘系の異能者か。福地が異能に対してあのように評価するということは我々の想像すら超える異能なのか。そんなことを条野が考えていると、扉が再び開いた。今度は人一人が通れる程開き、足音もなく先程の少女が入ってきた。新しい軍警の制服を纏っていたが、彼女の頭の上には何故か小さな狐が身体を丸めていた。

「お待たせしてすみません。」

 扉を閉めて、ぺこりと頭を下げた少女歩に、福地は構わん構わんとがはがは笑った。

「今回、歩に来て貰ったのは此れからは猟犬部隊、即ち特殊制圧作戦群・甲分隊と共に任務に当たって欲しいと考えたからだ。今日は一先ず顔合わせだな。」

 歩は数度瞬きをして、私が?と不安しかないという声を出した。

「其れは……私には荷が重いと思います。」

「儂も儂の仲間も強い。其れにお前も十分に強くなった。故に何の問題もないと儂が判断したのだ。」

 儂の判断が信じられぬか、と福地が尋ねれば、歩はいえと首を振った。

「……あなたの判断であるなら従います。」

 そうして歩は改めて、と燁子達に向き直った。

「歩です。至らない点も多いかと思いますがよろしくお願いします。」

 深く頭を下げた時、頭の上の狐が落下する。み"っと狐が恐怖に鳴く。
 其れを反射でキャッチしたのが燁子だった。燁子は其の狐の毛の手触りに目を爛々と輝かせた。

「何じゃあ!此のもふもふは!愛いではないか!ペットか?」

「ペット……ではないですけど、」

「名は何という!ポチか、たまか!?」

 燁子が狐を抱えてくるくると回る。狐は心底不快そうな顔をしているが暴れることはなかった。

「ソウ君です。」

「ソウか!愛いぞ!愛い愛い!調教しがいのありそうな目じゃ!儂と共に来い!」

 狐はぎょっとした顔をして、歩を見上げた。歩は無表情だった。

「良いと思います。調教。」

「飼い主の許可を得たぞ!ソウよ!」

 ぎゃーっと可愛い姿に反したなかなか太い声が狐から上がった。条野は動物さえも発狂させる燁子に悪寒を感じつつ、歩の方へと近付いた。

「条野です。此れからよろしくお願いしますね、歩さん。」

「条野さん……丁寧にありがとうございます。皆さんのお話はよく伺っています。」

「隊長からですか?私のことを隊長がどのように評価しているのか伺っても?」

 福地は条野!と声を荒げた。条野はおや、と口角を上げる。

「如何やら楽しいお話が聞けそうです。後でこっそり聞かせてください。」

 条野はにこやかに続ける。

「話を聞いているなら紹介は必要ないかもしれませんが、一応。貴女の狐を持ち去ったのが副隊長の大倉燁子さん、あっちが天然筋肉莫迦の末広鐵腸さんです。」

 鐵腸が歩に視線を向けた。歩が小さく会釈すると、鐵腸は口を開いた。

「目元が隊長に似ている気がする……」

「話聞いてました?実の孫じゃないんですよ。」

「聞いていた。隊長は既婚者であり、子どもと孫がいると。しかし、俺は未だ祝いの品を何一つ用意していない。」

「……隊長と私の話を一切聞けていないの何なんです?」

 条野は苛立ちを覚えつつも歩に鐵腸さんが莫迦だと此れで理解できたでしょう、と歩を覗いて云った。

「えっと、私も、その……集中すると人の話聞こえてなかったりする時ありますし……」

「鐵腸さん、年下にフォローされてますよ……」

「ああ、俺もそういうことがよくある。お互い気を付けよう。」

「うわっ、うわあ、もう駄目だ……」

 良い笑顔の鐵腸に条野は絶句した。そんなやり取りを見ながら、歩は呟いた。

「皆さん仲良しなんですね。雰囲気が良い感じで安心しました。」

 じゃろ、と福地は得意気にする。

「他のどの軍警の部隊よりアットホームだとは思うぞ?なあ、条野。」

「其れ、私に聞きます?正気ですか、隊長。しかもそういうアットホームなとか云う職場が大抵ブラックらしいですけど。」

「上司に対して此処まで辛辣な皮肉を云える職場が何処にある。」

 やっぱり仲良しなんだなと思いながら口には出さず、歩は憧憬にも似た気持ちで其の光景を見ているのだった。


「ふざけるな、ふざけるなよ。あの糞チビ女が。」

 赤と黒の世界。私と彼とそして無数の死体が山の様に重なる、其れだけが在る世界。
 其処で彼がだんと足を踏み鳴らす。

「俺を何だと思ってるんだ。身体中を撫で回すだけで飽き足らず、鞭を持ち出してきたんだぞ。」

「可愛い狐だと思ってるんじゃないですか。」

 私が云うと、彼は大きな舌打ちをした。人の姿をした彼は金色の瞳で恨みがましそうに私を睨んだ。

「お前のせいだ。全部お前が悪い。」

「……良いじゃないですか、もふもふ狐。」

「お前の趣向の話をしているんじゃない。あの糞チビ女は加減ってものを知らないのか。……此れから更に酷い拷問を受けたら俺は如何なると思う。」

 死ぬぞ、と彼は低い声音で云った。私はそうかもしれませんね、と返した。

「そうかもしれないじゃないだろ。お前は俺を生かす義務がある。お前は俺を守らなければならない。」

「……努力はします。もふもふ狐のあなたをちゃんと抱えておくので。」

 以前の彼は死ね、殺せと云うことが殆どだった。ずっとそんな言葉を吐かれ続けながら生きていくのかと絶望していた。彼を消し去りたいと幾度も思った。
 今は余りそう思わない。あの狐の姿になってから、彼は随分と人間らしくなった。

「それで、実質お前は猟犬の一員になった訳だが……あの男の意図は何だと思う。」

「……分かりません。」

「思考を放棄するな。あの男の全ての動きに何かしらの意図があると考えるべきだ。」

 違うか、と責める声に私はちゃんと考えていますと応えた。

「……私の行動を監視したい、もしくは使い勝手の良い駒として傍に置いておきたい。それから……私の目か異能が必要になる任務がある。どれかか、其の全てかでしょう。」

「目先のことだけ考えればな。」

 彼は溜め息を落とした。彼にも私を猟犬と共に行動させる理由が理解できないらしい。俺にも分からないものがお前に分かるはずないかと結論付けていた。

「歩、お前はあの男の最終兵器になり得る。そうなりたくなければ、絶対に気を許すな。自我を保て。お前の信じたいものを信じろ。あと、俺はあの糞チビ女から守れ。」

「……其れが、私にも最善だと分かってます。」

 少しずつ、霧が晴れるように世界が現実の色に戻っていく。彼の姿が消えていく。

「私の信じる正義のために、私は前に進みます。」

 今の私は何もできない私ではないのだから。

 数日後、歩は作戦室に急遽呼び出されていた。其処には条野と鐵腸がいた。

「歩さん、呼び出してしまってすみません。と云っても私達がそうしたかった訳ではなく、隊長が如何しても歩さんを連れていくようにと仰るものですから。」

「現地集合でも良かったんじゃないか。」

「其れだと彼女が来る前に私達で終わってしまうじゃないですか。」

 時刻通りには来たものの、二人を待たせてしまったことから云い合いに発展しているのだと悟り、歩はお待たせしてしまって申し訳ないです、と居心地悪そうに返した。条野は貴女を責めている訳ではないですから、と優しく云ったが鐵腸は異なる。

「条野、犯罪者は俺達を待ってくれる訳じゃない。事は一刻を争う。今此の瞬間も犠牲者が増えているかもしれない。」

「鐵腸さんにしてはまともな事を云いますね。まあ、我々が相手にするのは人道など一切考えない凶悪犯である場合が多いですから。」

 では鐵腸さんもこう云っていることですし、と条野は歩き出した。鐵腸も其れに倣う。

「作戦概要は移動中に。此処から近いですし、時間も惜しいので走りましょうか。」

 其れで良いだろうと鐵腸は首を縦に振るが、歩は眉を歪めた。あの、と云い難そうにしながらも二人に告げる。

「私は、身体強化の施術を受けてなくて……私の異能の都合で今後も受けることはないと思います。なので、其の……」

 歩は追いかけますので、先に行ってくださいと伝えた。条野は怪訝な顔をして追及しようとしたが、其の前に鐵腸が動いた。

「なら、此れで良いだろう。」

 と云って、歩と条野が何か云う前に横抱きにしてしまう。

「よし、行こう。条野。」

「え、ええ……?」

 歩は狐を両腕に抱え、鐵腸を見上げた。重くないですか、と小さな声で尋ねる。

「問題ない。昨日担いだ米俵の方が重かった。」

「否、比較対象が米俵って如何なんです?」

「重くないなら……良いです。よろしくお願いします。」

「任せろ。絶対に落とさない。」

 何なんですかねえ、と条野は独り言ちながらも再び歩き出した。鐵腸も歩を確りと抱え直してついていく。歩は表情を無にした後、狐の方へと視線を落とすのだった。

 移動している間、条野が端的に今回の任務について説明した。曰く、官僚の別荘に複数人が人質を取って立て籠もっているらしい。

「人質は二人。立てこもり犯の人数は不明ですが、報告によると子どもが数人いたと。」

「子どもが……ですか?」

「あちらの見間違いでなければ。」

 条野は鐵腸の腕の中にいる歩の心音を聞いていた。子どもと云った時、僅かに変化があった。

「現場の状況次第では殺すことになるかもしれませんね。未成年とはいえ犯罪に加担しているんですから。」

 歩は何も云わなかった。代わりに狐をぎゅっと強く抱きしめたためか、ぐえと狐が踏まれた蛙のような声を上げた。

「其の狐……」

 鐵腸が歩と狐へと視線を向けた。

「未だ小さいのか?」

「いえ、此れでも大人ですよ。」

「そうなのか。もう少し大きくなったら油揚げが大量に作れると思ったんだが。」

 え、と歩と条野は驚きに声を上げた。そして、条野は不快そうな顔をして吐き捨てた。

「寄生虫で死んでください。」

 一方、歩は諭すように、というよりは何処か必死に、

「ソウ君は食用じゃないです。非常食じゃないです。食べちゃ駄目です。」

「そうか、残念だ。」

 鐵腸が引き下がってくれたことに歩は安堵した。が、条野は何となく話をすり替えられたような気がしてならなかったのだった。

 目的地の近くに着くと、鐵腸は歩を降ろした。

「ありがとうございます。」

「帰りも運ぼう。」

 歩は丁重に断りつつ、官僚の別荘である豪邸を見た。窓はガラス張りでカーテンがしてある。中の様子は見えそうにない。

「……全部で十五ですね。人質が二人なら、敵は十三ということになりますか。」

 条野の分析に歩は凄いです、と感嘆の声を漏らした。条野はふと笑みを零して、耳は良いですからと返した。条野が盲目であることを歩は福地から聞いていた。が、其の分他の五感が優れているのだとも聞かされていたのだ。其れでも此処まで正確な感知能力を実際に目の当たりにして驚きを隠せなかったのである。歩は目を伏せ、猟犬で自分ができることは矢張り少ないのではないだろうかと考える。だとしたら、何故福地は猟犬の任務を自分にさせるのかという疑問に再び帰着する。

「鐵腸さん、歩さん。私が先行して侵入。内部を確認します。裏口等、立て籠もり犯の目が少ない出入口を開錠しますので合図し次第此方へ来てください。」

 歩は一旦考えるのを止めて、任務に集中することにする。条野の提案に了解ですと返して、鐵腸と待ちつつ窓のカーテンの隙間がないか確認する。

「何を探してるんだ?」

 流石に挙動を不審に思ったのか鐵腸が尋ねてくる。歩が其れについて説明すると、此処からだと中の様子を確認するには至らないのではないかと首を傾けた。

「私は目だけは良くて。というか、其れくらいの取り柄しかないので。」

「そうか。なら条野と歩がいれば、完璧だな。」

「条野さんと私が?」

「条野の感知できない視覚情報を歩が補うことができれば、俺達はより精度の高い情報を元に任務が遂行できる。」

 そんなポジティブな解答が返ってくるとは思わず、歩は目を丸くした。そして、ありがとうございますと少しではあるが顔を綻ばせた。鐵腸も微笑を浮かべ、歩の頭を軽くぽんぽんと叩いた。

「其処、仲良くなるのは良いですけど、私の事忘れないでくださいね。」

 通信機から条野の声がした。合図だろうと歩は身構える。

「人質は無事です。犯人は全員が自動小銃を携帯していて、報告通り子どもがいました。数は四。齢は恐らく小学生から中学生くらいです。」

 条野の報告は続き、間取りや敵全員の位置等多くの情報が端的に語られた。

「勝手口がありましたので其処を開錠しておきます。二人はリビングの方へ向かってください。」

 通信が切れた。鐵腸は勝手口のある方向へと向かっていく。歩は駆け足で鐵腸の隣に辿り着く。歩幅が違うのでなかなか追い付くことができなかったが、鐵腸が気付いてゆっくりと歩き始める。

「末広さん、私は如何すれば良いですか。」

「……俺の後ろに。」

「後ろ。」

「俺は歩のことを何も知らない。だから、戦闘での連携が難しい。」

 歩は其れについて懸念していたため同意するように数度頷いた。

「今日は俺と条野で戦う。歩のことをもっと知れたなら其の時は背中を合わせて共に戦おう。」

「はい。鐵腸さんの期待に応えられるよう頑張ります。今日は邪魔しないようにしますね。」

 あともう一つ聞きたいことがと歩が鐵腸を見上げた。

「此の立て籠もり犯の目的、要求は何ですか?」

「要求は子どもだ。」

「子ども……ですか?」

 鐵腸が云うには此の別荘の持ち主である官僚の子ども、三歳の男の子と人質を交換したいというのが相手側の要求らしい。

「身代金や逃走手段ではなく、子どもを?」

「理由は分からない。ただ、此方も引き渡すわけにはいかない。」

 其れは、男の子が官僚の子どもだからという理由だけではない。

「其の子どもは異能者なんだそうだ。危険度は低いが、制御が未だできない。」

 歩は異能者の子ども、と呟き、腕の中の狐に視線を送る。狐は首を小さく傾けるだけだった。

「条野は何か別の真相があるのではないかと。あんなことを云っていたが、恐らく全員拘束する方向になる筈だ。俺も其の心算で戦う。」

「分かりました。……気を遣ってくださってありがとうございます。」

 話をしている内に勝手口に到着する。鐵腸と歩は視線を交わした後、扉を開けた。

 扉を開けた先、人の声が通路の奥から微かに聞こえる。苛立たし気な男の声に歩は聞こえた。
 無言のまま男の声のする部屋の手前まで来て、鐵腸は軍刀を抜いた。え、と歩が思う間もなく部屋へと続く扉が切り裂かれる。ガラスの破片や木屑が散乱し、悲鳴と怒声が上がった。完全に虚を突いた奇襲である。歩にとってもではあったが。

 一拍程開けて、扉がなくなったことで開けた其処に自動小銃を持った少年が二人現れた。侵入者である二人を見た瞬間、震えながら銃を構えた。照準が合っているようには見えず、構え方も素人にしか見えない。引き金に指は掛けているものの、引く気はないようで、睨み合っているような膠着状態が数秒続いた。

「末広さん、」

 静寂に歩の控えめな声が何か云おうとした時だった。

「お前等何してる!!早く殺せ、愚図共が!!」

 もう一人男が現れ、罵声を飛ばした。

「使えない野郎共が!如何なるか分かってるんだろうな!」

 自動小銃を持っていた二人が顔を青くする。だが、どちらも未だ引き金を引くに至らない。叫んでいた男が痺れを切らして銃をひったくった。男の照準は正確だった。鐵腸の胸部を狙い何発もの銃弾が発射される。ガガガと凄まじい銃声と共に閃光が吹き荒れる。
 鐵腸は構えていた軍刀で空を裂くように薙ぎ払った。ギン、ガンと銃弾が弾かれ壁や床を跳ねた。

「当たっていないか?」

 そして、背後の歩を心配し声まで掛けてくる。男は其の異様さに引き金を引く手が止まる。

「何、何なんだよ、お前は……」

「軍警の者だ。」

「警察……だと?人質もいるのに突っ込んできたってのか!」

「人質の心配はする必要がない。条野がいるからな。」

 鐵腸は軍刀を振り、男の銃を弾き飛ばした。ぐう、と男が呻く。

「投降し全てを話すというのなら適切な処罰を約束しよう。抵抗するなら無傷でいられる保証はしてやれない。」

 鐵腸がそう宣告すると、男は座り込んでしまった。

「お前達は如何する。」

 鐵腸は男より先に対峙していた少年二人を見た。二人は何も云わず、両手を上げて投降の意思表示をした。其の二人の少年は目に見えて絶望していた。歩は其の二人ともう一人の男とを交互に見詰めていた。鐵腸は其の姿を見て、思い出したように、そういえばと云った。

「何か云おうとしていなかったか? 」

「あ……はい。でも、お二人の捜査の邪魔はしたくなくて……」

「構わない。何か発見があったなら教えて欲しい。」

 歩はなら、と男達に視線を送った。

「此の二人と彼は……違うんです。」

「違う?」

「此の二人は普通の男の子です。でも……誰かに脅されて、こんな事をさせられている。」

 二人の少年が歩の言葉を聞いた瞬間、目を見開いてぼろぼろと涙を零し始めた。其の様子を見て男が切羽詰まった様子で叫んだ。

「お前等話したら如何なるか分かってるんだろうな!!」

 地に響くような声に二人は萎縮してしまいそうになる。だが、鐵腸が喚くなと男の喉に刀先を向けた。歩はもう大丈夫と穏やかな声で云って二人の頭を優しく撫でた。

「もう大丈夫。何も怖がる必要なんてない。私はあなた達みたいな子どもを守るために軍警に入ったんだから。」

 少年二人はうわああと大きな声を上げて泣き始めた。そして、一人がこう云ったのだ。

「お姉ちゃん、お願いっ。僕の妹を……助けて!」


「成る程、彼等は家族を人質にされ脅されていると。一方で、此の男は彼らが仕事をするか見張る監督役であると。」

 歩と鐵腸がリビングに着くと人質は救出されており、男女が拘束されていた。

「では此の中にも監督役がいるんですか。」

 鐵腸が如何だ、と歩に問えば、此の人ですとある女を指した。女は何でと唇を動かした後、俯いてしまった。条野は如何いう判別の仕方なんですと怪訝な顔をする。

「私の目は少し特殊で……」

 歩は自信なさそうに自分の目のことを説明する。此の世界、社会には光と闇、表と裏が存在する。闇、裏には其れこそ軍警が取り締まるような凶悪犯や犯罪組織が生きている。歩の目は其の人間が生きている世界を判別できる。そして、組織に所属しているのなら其の区別もつく。

「貴女は一目見ただけで其れができると?異能ですか?」

「……いえ、異能ではないです。」

「隊長は此の事を当然知っているんですよね?」

 歩が首肯すると、条野が暫く考えた後、口を開いた。

「分かりました。貴女の目を信じましょう。監督役の二人は連行。事態は急を要します。口を割らないようなら燁子さんに任せましょう。他の方々については一旦事情聴取ということで。」

 条野の指示を聞いて、歩は小さく吐息を漏らした。事情聴取次第ではあるが恐らくは保護扱いになるだろう。黒幕が捕まり、真実が暴かれれば解放される可能性が高い。

「隊長が如何しても歩をと云ったのは罪なき者を救うためかもしれない。」

 鐵腸が歩の肩に手を置いた。条野は隊長がそんな高尚なこと考えますかねとぼやいた。

「ですが、確かに貴女の目があれば効率が良くなりますね。……ああ、そういえば、つい最近複数の議員と反社会勢力との繋がりが暴かれ、一斉に検挙されていましたが。もしかして、貴女が一枚噛んでいるのですか?」

 条野は微笑みながら追及するが歩は曖昧な表情を浮かべるだけだった。


「つまらん!」

 作戦室に待機していた歩、条野、鐵腸の三人は燁子の怒りの声に顔をそちらに向けた。

「直ぐ白状しおった。もっと頑丈な奴を連れて来んか!」

「燁子さんのお目に適う人の方が少ないと思いますけどね……」

 燁子はふんと不機嫌そうに椅子にどかりと座る。

「監督役の二人の話じゃが、他の者の事情聴取で得た情報と一致しておる。追加の情報としては、首謀者の異能じゃな。」

 胸糞悪い話を聞いたわ、と燁子は吐き捨てた。

「其の異能者はもはや人間の姿を成していないのだという。人を喰らい、脳を食べれば其の人間と自分、並列した思考を行うことができる。手足を喰ったなら其の手足を生やすこともできる。そして、喰った異能者の異能をエネルギーとして活動しているため、食料として異能者を狙っているようじゃ。しかも、異能者の子どもをより好んでいるらしい。」

 燁子の話を聞いた三人からは言葉がなかった。だが、全員の表情が暗くなっていたのは云うまでもなかった。

「脅されておった者共は、兄弟や子どもを人質にされ、喰われたくなくば従えと命令されていたらしい。」

 卑劣な、と燁子は怒りを露わに殺気を噴出させる。歩がびくりと身体を震わせると燁子は気付いて、殺気を抑えた。

「すまぬな、歩よ。怖がらせる心算はなかった。」

「あ……此方こそごめんなさい。お話に水を差してしまって……」

 うむ、問題ないと燁子は話を続けた。

「拠点についても事情聴取と尋問で得た位置情報が完全に一致。故に条野、鐵腸、そして歩は速やかに被害者の保護を最優先とした制圧作戦に向かえ。件の異能者に関しては抵抗したなら殺すことも止む無しと考えて良い。」

 燁子の言葉に三人はそれぞれ了解と応じた。


「で、其の拠点がある場所が下水道というのは……」

 嗅覚が死ぬ、と足早に条野は歩を進めた。暗く、少しきつい匂いのする狭い下水道に条野は辟易とする。鐵腸はと云えばバナナに辛子を掛けて食べていた。歩は鐵腸に興味ありそうに尋ねる。

「美味しいんですか?」

「黄色同士だから相性が良い。」

「え、そうなんですか……」

「歩さん、真に受けないでください。鐵腸さんは風情というものを一切知らないどころか味覚音痴なので。鐵腸さんもこんな所でよく食欲が湧きますね。感心しますよ。」

 このように話しているものの三人は警戒を怠っていない。一本の通路となっていて分かれ道がない。挟み撃ちにされる可能性もあることから条野が先頭、殿を鐵腸が務めていた。

「何だか歩さんを護衛しているような気分になりますね。」

 歩がすみませんと身体を小さくして謝ると、歩の背後から鐵腸が身を乗り出した。

「謝る必要はない。歩の力が必要になる時が必ず来る。其れまでは体力を温存して備えるべきだ。」

 条野は足を止め、振り向いた。鐵腸が何事かと首を傾ける。

「鐵腸さん、歩さんに甘くないですか?」

「歩は真面目で思慮深く配慮もある。少し控えめだが周りをよく見ている。隊長も実力を認めて俺達と行動させているのだろう。だとすれば俺は其れを評価するし、相応の対応をする。」

「そうですか。鐵腸さんの評価する其の歩さんの姿勢を誰かさんにも見習って欲しいものですね。」

「誰かさん……条野か。」

「自分のことを誰かさんとか云いませんよ、普通。あと、私は至って真面目です。……本当に猟犬に変人が増えなくて助かりましたよ。」

「変人……フッ、条野か。」

「……殺意しか湧かない。」

 条野は踵を返し、再び足を進める。しかし、数歩で立ち止まった。

「前方距離200、誰かいますね。」

 敵か、と臨戦態勢に入ろうとする鐵腸に条野は制止を促す。

「呼吸が浅く心拍数が多い。失血している可能性が高い。」

 すると、歩が200m先ですよね、と条野の隣から顔を出して前に目を凝らした。

「……女の子です。右腕がない。其処から大量に出血しています。」

 三人は急ぎ200mを走り、幼い少女の元に辿り着いた。少女の腕は食い千切られたようになっており、血が止まらない。しかし、少女は意識があり、激痛であろうに小さくすすり泣いているだけだった。条野が応急処置を施していく。少女は、三人を不思議そうに見た。

「誰?如何して助けてくれるの?」

「我々は警察です。君達を助けに来ました。」

 条野の言葉に少女は本当?と声を震わせる。

「お兄ちゃんと会える?」

「ああ、必ず会える。」

 鐵腸が断言し、頭を撫でた。少女は遂に大粒の涙を零し、痛い、お兄ちゃんに会いたいと叫んだ。

「条野さん、末広さん。」

 少女の様子を見て、歩が二人を呼んで申し出た。

「此の子は重傷です。失血も酷い。事は一刻を争います。なので、私は此の子を連れて先に戻り病院へ連れていきます。」

「……そうですね。奥に何人かいますが、敵も被害者も含め健康体である可能性が極めて高い。一方、此の子は一刻も速い治療が必要です。」

 行けますか、と条野が尋ねれば歩は強く頷いてみせ、狐を頭の上に載せ、少女を抱き上げた。

「条野さん、末広さん、お気を付けて。」

 歩は頭を下げた後走り出し、条野と鐵腸は前へと進んでいくのだった。

 歩は来た道を戻っていく。少女は泣いているものの大人しかった。

「お兄ちゃんとは仲良しなの?」

 歩は少女の痛みが少しでも紛れるよう話し掛けた。

「うん。お兄ちゃんは優しくて、かっこいいよ。お姉ちゃんにも兄弟はいる?」

「……弟や妹がいるかな。」

「そうだよね、お姉ちゃんはお姉ちゃんって感じがするもん。」

「そうかな……そうなら凄く嬉しい。」

 歩の表情が柔らかくなり、少女も笑顔になる。そんな雑談をしている内、歩の足が止まった。歩が無表情に戻ったこともあり、少女が如何したのと不審そうに尋ねた。

「……何か来る。」

 歩は少女を腕から降ろした。
 少女にも聞こえた。恐怖を齎す大きな無数にも聞こえる足音が。

「お、お姉ちゃんっ……!!」

「ごめんね。今から凄く難しいお願いをするけど、聞いてくれる?」

 少女の頭を撫でながら歩は云った。

「先刻のお兄さん達のこと覚えてる?なるべく大きな声で助けてって云いながらお兄さん達の方へ逃げて欲しい。」

「お姉ちゃん……」

「大丈夫、私の狐……ソウ君があなたを守ってくれるから。」

 少女に頭の上の狐を託す。狐は不服そうな顔で歩を睨みつけていた。

「痛くて辛くて苦しいと思う。こんなお願い酷なことだとも分かってる。でも、あと少しだけ頑張って欲しい。あなたの大好きなお兄ちゃんに会うためにも。」

「お姉ちゃん……わたし、頑張る。お兄ちゃんに、絶対……絶対会う!」

 少女は狐を抱いて歩に背を向けて、気力を振り絞り走った。もうあの音が近い。

 重なる無数の足音。不規則に断続的に続く不気味な音。

 少女の腕を噛みちぎり、砕き、咀嚼した、あの怪物の。
 少女は恐怖の余り足が動かず、思わず振り返ってしまう。

 其の時。

 ドンドンドンと三発の銃声が鳴り響いた。少女の目には大きな火花と自分を守るように立つ歩の背中が映った。
 そして、少女の頬に何かがべちゃりと着いた。生温かいぬるりとした液体。

「あ、あ、お姉、ちゃ……」

「行って!」

 歩が強く云えば、少女はびくっと一度震え、鞭を打たれたように再び走り出した。

「助けて、たすけてッ!!お姉ちゃんを、助けて!!」

 少女は叫ぶ。奥にいる条野と鐵腸に向けて。


 条野と鐵腸は既に奥にあった拠点の制圧を完了していた。だが、首謀者である異能者がいない。

「留守なのか。我々の動きを察して逃げたのか。」

 いたのは首謀者である異能者の手下と餌としてストックしていたのであろう異能者の子ども達数人であった。

「一旦戻りましょうか。」

 条野が鐵腸に云った時、三回銃声が聞こえた。鐵腸にも聞こえたらしく、通路の方に視線を向けている。

「小銃より重い、狙撃銃でしょうか。」

「歩が接敵したのか。」

「……鐵腸さん、あらゆる器官を停止して頂いても?雑音ですので。」

 条野が聴覚に意識を集中した時、少女の助けてという悲痛な声が耳に飛び込んできた。お姉ちゃんを助けてと叫ぶ其の声に反射的に足が動き、全力で走る。車にすら追い付く其の速度で通路を駆ければ、少女は直ぐに見つかった、少女は歩の傍にいつもいる筈の狐を抱え、条野の姿を認めると膝を着いて号泣する。

「歩さんは?」

「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがっ、」

「落ち着いてください。何があったんです?」

「わたしを、守って、お姉ちゃんが、」

 最後に見た時、歩には肩と腹部と足に穴が開いていた。銃によるものだ。条野と鐵腸は息を飲む。

「私が先行します。鐵腸さんは其の子を。」

 条野は鐵腸の返事を待たずに再び駆ける。おぞましい何かの気配もある。歩の気配は其れに掻き消されているかのように分からない。何も感じない。条野にとって、其れは死亡を意味しているに等しい。

 そして、条野が到着した時。化け物と称して良い程の巨大な何かしか其処にはなかった。此れが異能者だと、人間の括りとして扱って良いのか条野には分からなかった。軍刀の柄を握った時どっと条野の方へ何か質量のあるものが飛んできた。条野は一瞬避けようとしたが、其れが人だと気付いた。受け止めると、其れは冷たくなった人の死体だった。だが、あるべきものがない。頭、腕、足、様々な部位が欠損している。

 化け物から、ごりばりと何か咀嚼する音が聞こえた。

 条野は全てを理解した。

「……漸くまともな同僚が来てくれたと思ったんですがね。」

 条野は外套を地に敷いて、其処に屍を降ろした。

「ああ、楽しみです。化け物が彼女と同じ苦痛を受けても果たして正気でいられるのか。情けなくも命乞いをし、苦悶の断末魔を上げて死んでいくのか。」

 条野が軍刀を抜いた。化け物の無数の手の内の幾つかには狙撃銃や小銃が握られていた。其れを撃たれても条野には効かない。化け物の使うあらゆる武器全ては条野に通用しないのだ。だが、化け物はケラケラと笑っている。先程の食餌に満足したと云わんばかりに。

 しかし、条野が斬りかかろうとした時、化け物に異変が起こった。

 甲高い悲鳴が上がった。人のものとは思えない断末魔。其の後、爆発音にも似た轟音が響き渡り、ばちゃばちゃと何かが飛び散った。其れは血液や肉片だった。最後には大きな塊がどさりと呆気なく倒れる音がした。

「は?」

 意味が分からず戸惑う条野の背後で衣擦れのような微かな音がした。条野は思わず振り向いてしまう。

「条野さん達と合流する前に倒そうと思っていたのに、」

 条野の外套を折り畳み、服の埃を払って、死んだ筈の歩が立ち上がった。

「異能者本体にだけ攻撃しました。内臓や手足の多くが複数の被害者のものである可能性が高い。」

「歩さん、待ってください。貴女は……」

「……私を殺さなければ、死なずに済んだのに。」

 条野の声が届いていないのか歩は独り言のように呟く。棒立ちで、無数の手足が生えたもう人とは呼べないような肉の塊を凝視している。

 条野の耳には歩の言葉に何の感情も感じなかった。
 無表情ではあるが、歩の言葉には何かしらの感情が常に在った。優しく、温かく、自信がなさそうな控えめな声音。更に心拍や発汗量から感じる感情は顕著なくらいでもあった。なのに、今は何も感じない。
 と、後ろからやって来た鐵腸の腕の中で疲れたのか眠っている少女に抱き枕のように抱えられていた狐がぴょんと歩の頭の上に飛び乗った。

 すると、歩がやっと条野へ目を向けた。

「条野さん、末広さんも。あ、あの女の子は……!」

 歩はわたわたとしたが、鐵腸の腕で寝ている少女を確認し良かったと息を吐いた。鐵腸の方に歩み寄り、少女の頭を撫でる。

「もう大丈夫だよ、お願い聞いてくれてありがとう。……強いあなたならきっと此の悪夢を忘れることができる。優しいお兄ちゃんといつも通りの生活を送ることができるからね。」

 歩の声音は酷く優しく、慈愛に満ちていた。歩が少女の頭から手を離すと、鐵腸が大丈夫だったのかと問う。

「大丈夫です。無傷ですから。ただ、異能者を殺してしまって……大倉さんは死亡してもやむを得ないとは云っていましたけど、生きていた方が良かったですよね。」

 そういう問題ではないでしょう、と条野が口を挟んだ。

「歩さん、貴女何をしたんですか。其れが貴女の異能ですか。」

 歩は条野の責める声に身体を小さくした。

「……ごめんなさい。私の口からは今云えないです。」

「では隊長に聞くとします。共に仕事をする人間の異能を把握するのは当たり前のことですから。」

 条野は踵を返してすたすたと去って行ってしまった。歩は狐を抱え俯いてしまう。が、鐵腸は歩の頭を柔く撫でた。

「お前のことを心配しているんだ。仲間だから。」

「仲間……」

「仲間のことは知っておくべきだ。そうでないと背中を預けられない。条野はお前を知り、今日の様な事が起こらないようにと考えている筈だ。」

 歩は困惑の色を残した瞳で鐵腸を見上げた。

「……すみません、其処まで想ってくださるなんて信じられなくて。条野さんにも後で謝罪しておきます。許可が降りたら異能のことや色んなこと自分の口から改めて話すので、待っていただけますか?」

「うん。其の時まで俺は何も聞かない。」

 鐵腸は帰ろうと歩を促して歩き出した。歩は狐を抱き締め、鐵腸についていった。


「歩の異能が何か?本人に聞けば良いではないか。」

 条野が歩の異能について福地に追及すれば、福地はあっけらかんとそう返した。

「歩さんが、隊長に聞いた方が良いという体でしたので伺った訳ですが?」

 条野は今日の作戦について簡潔に説明する。福地は全て聞き終え、ふむと腕を組んだ。

「私の推測が正しければ、彼女はなかなか危険な異能者ですよ。」

「ほう、其処まで条野が評価するとはな。」

「其れでいてあの人畜無害さ。貴方に育てられたとは思えない程善良な性格の持ち主です。」

「え、もしかして貶されてる……?」

 福地は条野の言葉にショックを受ける。条野はそんなことは気にせずに続けた。

「自分の死や損傷をもたらした相手にそのまま返す。そんな異能初めて聞きましたよ。」

「其れは少し違うな。」

 条野の推測を福地は直ぐ様否定した。

「自分の死や重傷以上の損傷を他者に移す。任意の相手にな。」

 は、と条野は口を開けた。

「顔を見た者なら誰にでも、歩は異能を発動させることができる。条件としては自分が大切だと思う者の優先順位下位にじゃが。今は自己暗示によってほぼ任意の相手に其れができる。」

「其れは……」

 顔を見た人間を大切だと思い込む。そして、歩が死亡すれば、其の相手に死を押し付け、自分は復活する。

「其れが間違いないのなら、其の辺りの特一級危険異能者なんて小蠅も同然ですよ。次元が違い過ぎる。傍にいる人間が違ったなら殺戮兵器ですよ。」

「云ったではないか。世界を滅ぼす災厄になりかねんと。一つ心配事をなくすなら、儂等猟犬に歩の異能は効かん。生体手術を受け、人間以上に強化された儂等には通じにくいらしい。」

「……成る程。だから、歩さんは手術を受けない。私達を万一にでも自分の異能で殺さないために。」

 其の通り、と福地は首を縦に振る。

「其の異能には予兆があり、30秒前に自分の受ける重傷以上の危機を警鐘のような形で察することができる。よって、其の未来を回避することも可能なのだ。」

「加えて、目まで特殊とは……一体彼女は何者なんですか。未だ人造人間だと云われた方が納得できる程ですよ。」

 福地は儂も多くは分からんと云いながらも条野に真剣な眼差しを向ける。

「条野、歩のことを頼む。なるべく注意して見てやって欲しい。」

「私に子守をしろと?」

「歩は子守という年齢ではないと思うが……」

 分かってますよ、と条野は穏やかに告げた。

「今の彼女は危なっかしくて適わない。仲間である以上見ていることにします。ただ、私も彼女を利用させて貰いますよ。彼女の目は大変有用ですので。」

 では、と条野は笑って去っていった。福地は条野を見送った後、真顔になって呟いた。

「儂にも何者か分からないが故に、歩は管理し、行動を掌握せねばならん……」

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