お隣さんと中也の話

「正門の辺りやけに騒がしいな。」

中也と共に帰路に着こうとしていた歩は正門へと顔を向ける。

「他校の生徒がいるみたいです。白い制服の......。あ、中島さんが居ますよ。太宰先輩も。」

「太宰だァ?」

中也が眉間に皺を寄せた。しかし、歩がいる手前格好悪いところは見せられないという意志が働く。

「別の門から出るか。巻き込まれたくねェし。」

「あれ?あの人......」

歩が目を凝らし、正門に近付いていく。

そして......

「フェージャ?」

呼ばれた男が顔を上げる。紫色の瞳を瞬かせ、次の瞬間ふわりと微笑む。

「歩。真逆こんな所で会えるなんて、ぼくはとても幸運です。」

甘い笑顔で歩に歩み寄り、手を取って唇を落とす。

「な!?」

中也が目を剥く。太宰や敦もあ、と声を漏らした。もう一人の白い制服の男は興味深そうにその様子を眺めていた。

「こういう事は日本ではしないって何度も云ってるじゃないですか。」

歩が呆れた声で彼を批難する。だが、その口振りはいつもの事、日常茶飯事のようであった。

「そうでしたか?失礼しました。」

フェージャと歩が呼ぶ男は特に悪びれる様子もなく、歩の手を握って離さない。両手で包んでふにふにと弄っている。

「手前、いつまで人の彼女に触ってんだ!」

ガッと中也が歩を強引に引き離し、背に守る。鋭い眼光で睨み付け、犬歯を剥き出し威嚇するその姿は......

「まるで飼い主を守る犬ですね。」

「あァ?」

男がクスクスと笑うので中也の怒りが沸点に更に近付く。

「手前は誰だ。歩と如何いう関係だ。」

「ぼくはフョードル・ドストエフスキーです。近くの学園に転入してきた者で、歩とはアパートの部屋が隣同士です。また、彼女は命の恩人でもあるんですよ。」

「命の恩人なんて大袈裟ですよ。」

歩が語るにはフョードルが部屋の前で貧血で倒れていて、それを介抱した事で話すようになったのだそうだ。

「フェージャが全然ご飯を食べないので、お裾分けしたり一緒に食べたり......」

「一緒に食べたり!?」

「はい。ちゃんと食べてるか確認しないと。」

「其処までする義理ねェだろッ!」

放っておけなくて、と歩は中也の剣幕に身体を縮こまらせて答えた。青白く生気のない顔で死体のようなフョードルを捨て置く事も、その後も不健全な生活を送っているのも歩には看過できなかったのだ。

「良いじゃないですか。」

するんとフョードルが歩を引き寄せて自分の腕に閉じ込めてしまう。歩の頭に顎を載せてのんびり揺れる。

「歩の優しさを否定するのは間違っているとぼくは思いますけどね。其れに可愛らしくて健気で......ぼくならこうしてずっと離さないで閉じ込めておきますけどね。」

「手前......良い加減にしやがれっ!」

中也が歩を奪還し、ぎゅっと抱き締める。

「此奴は俺のだ!」

怒声を上げる中也に正門から帰宅しようとしていた多くの生徒達も思わずぎょっと目を向ける。

「......中也先輩、恥ずかしいです。」

歩は顔を赤くして俯くが中也の怒りは消えない。

「これくらい云わなきゃこういう奴には伝わらねェんだよ。」

「伝わりますよ、君の忠犬ぶりは。」

「俺は犬じゃねェ!」

「え、中也犬じゃなかったの?」

「手前は黙ってろ。後で圧し殺す。」

太宰の横槍にも凄みのある剣幕を以て切り捨てる中也。中也とフョードルの睨み合いが続く中、歩はうーんと唸る。

「私は二人に仲良くして欲しいんですけど......」

「君の彼氏が歩み寄っていただけたなら仲良くできると思うんですけど。」

「手前が云うな。」

ぎゅうっと中也の腕の力が強まって歩が呻く。首が絞まって息が苦しくなる。中也が其れに気付いて、悪い!と腕を離した。

「いえ、大丈夫です。それよりフェージャも中也先輩を煽るのやめてください。」

「はい、すみません。」

「それでフェージャ達は何をしていたんですか?」

話題を変えようと歩が尋ねると、フョードルは近くにいた同じ制服の男子生徒を見た。

「太宰君を我が学園の林檎自殺倶楽部にスカウトに来たのですよ。歩も良かったら如何ですか?歓迎しますよ。」

歩はいやあ......と眉を歪める。

「偏差値がちょっと......無理ですね。はい。私、普通なんで。」

歩は苦笑した。歩は此の学校の学年では五番以内の優秀な生徒ではあるが、全国クラスの進学校で通用する程ではない。ついでに今の学校が好きなので、変わる必要はない。

「部活も図書館の蔵書も授業も好きなので。それに中也先輩と学校生活が送れるのは矢張り楽しいので。私は此の学校に居ます。」

「そうですか。非常に残念です。」

フョードルは気が変わったら云ってくださいねと付け足した。

「ぼく達はそろそろ帰る事にしますね。澁澤さん、行きましょうか。」

「生命の輝き......」

「はいはい、ストーカーにならないように気を付けてください。」

名残惜しそうに敦に視線を送る澁澤と呼ばれた男に敦は悪寒を感じる。そんな澁澤を牽引するようにフョードルは歩く。

「歩、また夜に。」

全てを荒らしに荒らし、二人は嵐のように去っていった。

「歩。」

「ひえっ、はい!!」

中也の凄みのある低い声に歩は咄嗟に返事をする。

「今日は此方に泊まれ。」

「え、え、でも......」

「何なら俺の所にずっといろ。引っ越せ。」

「其れは迷惑になるんじゃ。」

「ならねェから。」

中也が、な?と小首を傾げて縋るような目を向ける。歩はぐっと声を詰まらせ、顔を背ける。そういう顔をされると叶えなければと思ってしまうのに。絶対に其れを狙っている。

「......今日はそっちに泊まりますけど、其れ以上は考えさせてください。」

「......おう、良いぜ。」

其の夜、歩は中也の部屋に泊まったがとろとろのふにゃふにゃにされた後、朦朧とする意識の中で引っ越しの約束を取り付けられ、録音されていたために引っ越しを余儀なくされたのである。

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