小説 | ナノ


▼ デートのお誘いは突然に




深夜2時。それは人が深い眠りにつく時間。しかし、ここナースステーションでは時間なんてお構いなしにナースコールが鳴り響く。

「はぁ、本当今日はまた一段とやばいですね。すごいナースコールの数…」

鳴っては対応して、ステーションに戻ってきてはまた鳴って…そんな繰り返しで自分たちの業務も進まず、況してや座る時間なんて確保出来ず。いくら仕事前に仮眠をとってるとはいえ、今は一般的に人間が寝ている時間。そんな時間に走ったり、立ちっぱなしで頭もフル回転となると、疲労も日中の勤務と比較すると何倍もキツイ。
始業からまだ数時間しか経っていないというのにこの忙しさ。目の前でぐったりする同僚の表情や仕事始めはまだきっちりと整っていた筈の乱れた髪が、勤務の忙しさを物語っていた。

終業まではまだまだ先。どうにかして少しだけでも休む時間を確保しないと朝までやっていける気がしない。
誰かにコール対応を任せてその内に残りのスタッフで休む時間を作って…
そんなことを考えていたとき、胸ポケットにあるPHSが震え始めた。
ステーションから離れていても電話対応できるよう、ナースコールと連動しているPHS。しかし今、ナースコールは鳴っていない。つまり、それは…

(ああ、やっぱり…)

引っぱりだすように取り出したその画面に表示された「当直医」の三文字に、自然と眉間のシワが深くなる。
未だ震え続けるPHS。それは救急外来(ER)にいる当直医からの、これからこちらで入院の受け入れは可能かどうかの確認の電話であった。

ああ、もうこんな忙しいときに。
きっと今自分は険しい表情をしているだろう、でも急患だ。患者さんの命がかかってるんだから、受け入れないわけにはいかない。それに入院をお願いする側だって申し訳に気持ちもあるだろうに。意を決して通話ボタンを押し、精一杯、明るい声で「はい、4病棟です。」と応えた。

「…当直だ。これから一人、入院をお願いしたいんだが大丈夫か」

電話越しに響くその声に思わずハッと息を飲んだ。声の主は、循環器内科医の冨岡義勇。言わずもがな、彼は私の「恋人」だった。
さて、彼は今日、当直だったか?いや違った筈…。彼の当直日はいつも前月に割り振られた日に教えてもらっているから把握しているし、今日は当直日ではなかった。では何故今このPHS越しに彼の声がするのか。

夜中からの仕事前は大体午後の7時くらいから眠りに就くため携帯は見ていないけれど、そういえば始業前にちらっと見た携帯画面には彼、義勇からのメッセージが届いていた。だけど起きてから支度をしたり身の回りを片付けたり、何かと忙しくて結局届いていたメッセージを読まずに仕事を始めたのだけども…

(もしかして急に当直になった…?)

そのメッセージだったのか。
明日は日曜日だから病院も医者も基本は休みだからよかったけれど、昼間普段通りに仕事をしてそのまま朝まで仕事にまわるなんて、それも急に。

「冨岡先生が当直だったんですね」
『ああ。今日は急に変更になった』

ああ、ほらやっぱり。
周りにスタッフがいるから、声に出すことはできなかったけれど、心の中で彼にお疲れ様と呟いた。そしてきっといつもの彼ならこう言うだろう。「勤務が変わったとメッセージを送った」と。だけども向こうからもそれ以上の言葉がないのはきっと彼の近くにも他のスタッフがいるのだろう。
きっと、周りの人が聞いたらなんともない今のやり取りだけど、私達にとってはよそよそしくて、それがなんとなく受話器越しに伝わって思わず口元が緩みそうになるのをぐっと堪えた。そう、今は仕事中なのだから。

「ーーーお疲れ様です。患者さんはどういった状況ですか、冨岡先生」







そうして結局入院を受け入れ、朝までばたばたと休みなく時間は過ぎていった。
時計に目をやれば、気がつけば終業まであと3時間。早く記録を終わらそう。そして、定時で帰るんだ。
救急車も鳴りっぱなしなことから、きっと当直医も下で慌ただしく働いているのだろう。髪をぼさぼさにして少し眠そうにして。ある日みた当直明けの彼が眼下に浮かんで思わず顔がにやけてしまう。
ああ、会いたいな。同じ場所にいるのに。こんなに近くにいるのに会えないなんて。公にできないこの関係にもどかしさを感じてしまう。そのぼさぼさになった頭をぎゅっと抱きしめて「お疲れ様」と言ってあげたい。
終わったら労いのメッセージを入れよう…そう思っていたとき

「病棟も忙しそうだな」

コツ、と音と共に聞こえた声に振り返った。それはよく聞き覚えのある声で、今会いたいと思っていた人で。思いがけない登場に思わず胸がどきりと鳴った。

「…冨岡先生」

振り返ると、今しがた会いたくて会いたくて仕方がなかった彼がいた。シワのついた白衣にぴょんぴょんといつより跳ねた毛先、表情は少し疲れていて、でもなんとなく声が嬉しそうに聞こえるのはうぬぼれか。抑えていた表情筋が思いがけず再び緩みそうになってしまう。

「先生が入院いれるから、大変でした」

困ったように言ってみせると「すまなかった」と呟きながら隣のデスクに腰を降ろし、電子カルテを開いた。
ナースステーションには私達二人だけ。カタカタとキーボードをタッピングする音と、時計の針の規則正しい音が響き渡る。
横目でこっそりとその姿を捉えれば、手を伸ばすと触れられる距離で。いつも隣にいるときはどこかしら肌が触れ合っているのに、なんだかこの距離がもどかしくて彼がいる右側だけが妙に緊張してしまう。
いつも隣で見る横顔だけど、仕事のときの大人びた真剣な顔。キーボードを打つ指先は所々ささくれが出来ていて、長い指は綺麗だけどごつごつと男らしくて。二人きりのときは優しく頬を撫でて、時には甘く私の肌に触れる指先。
仕事のときは周りに誰かしらいるからこんなにじっくり見れることもなくて、いつの間にか義勇が私の顔をじっと見ていることにも気が付かなかった。

「…どうしたんですか」
「…いや、視線を感じた」
「気のせいですよ」

冨岡先生。マスクをずらし、少し笑って言うと、彼は表情を変えないまま、またパソコンの画面に向き直りキーボードを叩き始めた。

「そういえば」
「はい?」
「さっきの入院患者はどうだ」
「吐き気も落ち着いたようでだいぶ症状はいいみたいです」
「そうか。ならよかった」

はい。そう返事をすると同時に、再び義勇が口を開いた。

「眠いか?」
「そりゃもう」
「そうか…」
「先生もお疲れでしょう?ずっと救急車鳴ってましたもんね。早く帰って休まないと」

看護師以上にハードワークで責任の重いその仕事に本当に心配になる。早く、少しでも彼には休んでほしいというのは本心だ。
だけど、返ってきたのは「あぁ……」となんとも歯切れの悪い言葉で、振り向くと合いも変わらずその視線はカルテを眺めていた。

「……ななし、終わったら家にこないか」

俺も今日は休みだ。
視線は合わせず、ぽつりと呟いたその言葉に思わず頬が熱くなる。

「……なんでいまそんなこと言うのよ」
「返信が来ないからだ」
「ご、ごめん。…忙しくて見れてなかった」
「そうだと思ったからこうして言いに来た」

私の予定が入る前にこうしてわざわざ言いにきたと、ぶっきらぼうに言い放った言葉は私にはあまりにも甘くて胸をきゅっと締め付けるには十分なものだった。

「…定時で終わらせる」
「あぁ。帰りはできれば一緒がいい」
「うん。あー…帰ったらあの義勇の家の斜め向かいにあるケーキ屋さんのプリン食べたいなぁ」
「もう買ってある」
「え?」

だから、早く終わらせろ。そう言ってカルテ画面をログアウトし、彼は席を立ち行ってしまった。

…もう、買ってるって。
だってあそこのプリンは私が絶対に義勇の家に行った日に食べるやつじゃん。自分は甘いものが得意じゃないからって食べないのに。もう買ってるって。
今日私が家に来ることを想定して準備もしてくれたの?なのに返信が返ってこなくてやきもきして、ここまでわざわざ言いにきてくれたってこと?

「……なにそれ」

あまりにもいじらしい恋人に熱くなる頬を抑えるので精一杯だった。





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