青い薔薇が泣いた理由 1/2



「死ぬってどういう感覚?」


 それは私が幻影旅団のホームでクロロの学術書を読み耽っている時だった。意外なお客さんだ、と私は掛けていた金縁の眼鏡を外して彼に体を向ける。その珍しい話し相手に思わず瞬きを二回。でも私、こう見えてお喋りは大好きなのよ、と心の中で独りちる。


「――なぁに? ルーファス、貴方興味があるの?」


 そこに「意外だったわ」と付け足すと、彼、アイヴィー=ルーファスはその柳眉りゅうびをぐっと寄せた。その混じり気のない透き通った群青の瞳がじっとこちらを射抜く。もう片方の前髪で隠された瞳にはどんな宝石が埋め込まれているのかしら。思わずそう考えてしまうほどにその瞳は美しい。左目と同じラピスラズリ――それとも、なんて。
 私が幻影旅団なんてところに厄介になっているのは、ただのクロロの気まぐれにほかならない。
 目の前の彼とは異なる真っ赤な瞳。クルタ族の緋の眼ともまた違った、血のような鈍く重い輝きを放つこの目玉と、満月の光を浴びると研磨された鉱石みたいに輝くこの肌を持った私という“モノ”をクロロが気に入っただけでこのホームにいるだけなのだ。
 ちなみにクロロは用ができたと言って、先ほど出かけていった。私の瞳をじっと見つめるあの黒い瞳には面白味もあるが四六時中はこちらもうんざりのため、ちょうど良い余暇だと思っている。初めは目玉を抉られるかと思ったが、私の瞳はクルタ族の緋の眼のように綺麗な色のまま残らないため、こうして今に至る。
 しかもつい最近の話なこともあり、いくら団長命令とは言え人外。ルーファスに限らず、手足である一部の彼らからは随分と警戒されていると思う――特に人間の私を殺したフェイタンなんてクロロの存在が無ければ今すぐにでも首をはねてきそうだ、殺されても死にはしないけれど――。
 化け物の皮を被る人間の集団に、人間の皮を被る化け物が突然現れたらそれが普通の反応だろう。
 特に今日は盗むものも無いようで、辺りには目の前のルーファス以外の気配は感じられない。ゼツでもしていた場合は別だけれど、ここでする意味もないだろう。おそらく監視なのか何なのか彼がここにいるわけだし。


「そうねぇ……。――貴方は死とは何だと思う?」
「質問を質問で返すなよ」


「知らないから聞いてるんだろ」と息を吐く彼に私はたわけるように唇を歪ませる。


「そうね、そうよね。普通はそうだわ」


 私は何の事なくひざの上に置かれた古書の背表紙を指の腹で撫でた。年期が立っているそれは角がすり減って少しざらざらしていた。


「――私ね、死というものをとてもとても知りたかったの、だから殺されたのよ」


 私がそうして口もとを上げると、つられたように「結果は?」とルーファスが笑う。


「答えはノー。一度体験したけれど、とても形容しがたいものだったわ。強いて言うなら、私という個人が少しずつ解けていくような、少しずつばらけていくような感覚だった。でもそれからは覚えていないの。人間の終着点は確かに死であることは変わらない。けれど、バスの中で居眠りをしていたらいつの間にか終点に着いていたみたいにそれは酷く呆気なかった」


「残念だったわ、とても残念」私がそうこぼせば、「ただの死に損ってやつだ」とルーファスは言う。ええ、ええ、本当。本当にその通りだわ。


「私がヒトだったときはね、色んな仮説も考えていたけれど、その一つに永劫回帰もあったのよ」


 私が言うと、彼は猜疑さいぎ深い表情をありありと浮かべる。そんなルーファスの顔色に私は笑みを更に深めた。


「ニーチェはお嫌い?」
「いいや、とても現実的な哲学者だと思うけど」
「あら、意外」
「俺が神とか仏だとか考える奴に見える?」


 そう言って彼は落葉のような乾いた笑みを落として首を傾げる。幻影旅団なんてところに身を置く彼が言うと実に説得力のある言葉だと思った。


「たしかにニーチェはとても現実的な哲学者ね。彼は絶対主義とニヒリズムを問い続け批判した。この世に天国と地獄なんてものは無いのだと。貴方が眉を寄せた永劫回帰だって、まるで無限に繰り返される苦悩を帯びた物語を何度も何度も繰り返す痛烈な世界の中で、どんなに小さな幸福であったとしてもそれを糧に生を肯定できるはずだと説いた。リセットされたカセットテープが巻き戻されて初めからになるように。それって、生への渇望で現実逃避をする人間にピッタリなのではないかしら!」


 ルーファスが悠々と私の近くに腰を下ろす。頬杖をついて、真正面を見て、彼は一つの確信を落とした。淡紅たんこう緑青ろくしょうが混じった真っ白な髪に隠されて表情も見えない。


「――でも、あんたは巻き戻されてはいないよな?」


 私はおもむろに足を組み直す。満面に貼り付いていた笑みは、引き際に顔のあちこちをゴワゴワとさせた。


「私は生まれ変わったのかもしれない。すなわちこれは永劫回帰ではない。だからと言って東洋の輪廻転生でもない。人間でもなくなった私は一体何者なのかしらねぇ……」


 顔つきは人間だった頃と変わらない。それでも瞳の色と、人間のものではないこの皮膚は一体何だというのか。私の生きてきた記憶は本当に私のものなのか。考え出したらキリがない。それでも――


「――一つだけわかったことがあるの」
「……?」
「私はきっとね、死にたいと望みながら、自分でも気づかぬうちに生を望んでいたのよ」
「知識欲に生物の本能が勝ったわけだ」
「ええ、とても、とても残念だわ……。人間をやめてから、そんな簡単なことに気づくなんて馬鹿みたいよね。――私は生きているけど死んでいる。死んでいるけど生きている。成長は止まった。この体は酷く冷たい。まるで血が流れていないように。止まってしまった時計みたいに。きっとこの私自体が死そのものなんだわ。私は一度死んで、人間ではなくなった。きっと死ぬことを許されない生ける屍になったのよ」


 生前の人間だった頃の自分より、化け物になった今の自分のほうが正しい生に執着してるだなんて、昔の私が知ったら「どうして?」だなんて言うのかしら、と考えて失笑する。
 ああ、嫌だわ、嫌だわ。私って意外と人間的なところがあったのね、なんて。
 まぶたをゆっくりと閉じて、深く息を吸った。そうして目覚めれば視界に入る美しい群青に「なぁに?」と私は瞳を細めた。声色はいつもと変わらない。
 彼は何を思ったのか、グッと肩を押してその場に私の肢体を倒した。冷ややかな瓦礫がれきが背中に当たる。組み敷かれるなか、驚きで思わずぼんやりと彼のニヤリと歪む口もとをじっと見ていた。そうして一瞬見えたルーファスの黒い爪に飾られた指先に、秘め事を見てしまったみたいな気分になった。だって、彼っていっつも手袋をつけているんだもの。
 ああ、もう。こんなことを考えてるぐらいは余裕があるみたい。それとも私の頭が追いつかないだけかしら。
 そのまますがるように、でも相反しておふざけのように私の首もとに置かれた彼の左手の温かいこと温かいこと。それから彼の青色に私の赤色が灯ったとき、ついにルーファスはその口を開いた。


「――でも、きちんと脈はあるよな」


 さも当たり前のように発せられたその言葉は、窓のブラインドを風が鳴らすような、軽い言い方だった。


「人よりずっと体温も低いけど、氷のように冷たい死体ってわけでもない。あんたは物言わぬ死体じゃないからな。確かに人間だったあんたは死んだかもしれない。さっき死ぬ時に自分が解けていくようだって言ったけど、どうであれ、今、俺の目の前にいるのが今のあんたじゃないの?」


 唖然茫然。虚をつかれた吸血鬼の姿が彼の瞳に映っていた。だって彼がこんなことを言うなんて思わないじゃない!
 そうしたらもう耐えきれなくて呵々大笑。けらけらと笑い転げる私に、不愉快そうにルーファスはムッとした。その表情は再び私を笑いの渦に落としめる。でもやられっぱなしも面白くない。ええ、実はとても面白いけれど面白くないじゃない。とっても面白いけれど!
 興醒めたのか何なのか、すっと離れていく彼のストライプの入ったシャツの襟もとをグッと引き寄せて、その耳もとに唇を近づけた。


「――やあね、誘っているの?」


 中身のない言葉遊びに乗ってくるように、常より低い彼の言葉の羅列が私の耳もとで楽しげに踊っていく。


「――ご想像にお任せしますとも」


 私が彼のシャツから手を離すと、その襟もとには少しだけ皺が寄ってしまっていた。でも、少しだけ赤くなった首もととおあいこよね。
 それから立ち上がって散らばった古書を拾い上げた。本は大切に扱わなければ。私は埃を落とすように軽くその古書を撫でながら、隣で手袋をはめ直すルーファスを横目に見やった。


「貴方のこと、もっと面白味のない人間だと思っていたわ」
「何だそれ」
「あとけられているものだともね」
「――は? 害だと思ったときにそれ相応の処理をするだけだろ」


「というか」と彼は続ける。そうしてあっけらかんと彼はまた私に言うのだ。


「俺たちのこと、嫌ってるのはあんたのほうだろ?」


 思いがけないその言葉に、私自身気づいていなかった感情が浮き彫りになってくる。こんなに驚かされるのは初めてだわ、と思う反面、対照的に口もとには明け方の三日月のような笑みが浮かんだ。


「――さあね、少し嫉妬してたのかしら」


「まるで人間みたいだ」とルーファスが言った。その表情にはチェシャ猫みたいな幅の広い微笑が一つ。自業自得なのに、「まさにその通りね」と私は肩をすくめた。




青い薔薇が泣いた理由
title by larme

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*補足
古くから、青いバラの品種を生み出すことが世界中のバラ愛好家の中では夢とされており、青いバラは「不可能」という意味も持っていた。しかし年月を経て、開発に成功。世界初の青いバラの誕生と大きな反響を呼んだ。(wikiから一部抜粋)


(P.54)



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