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「我慢できるな?」七年前、クロロはあと一箇月ほどで十一歳になる俺にそう訊いて、俺をこの街に繋いだ。
 しかし実際には我慢なんてする必要はまるで無かったのだ。あの日、一気に広がった世界はあらゆる夢を俺に見せてきた。飽きることなくそれらすべてに魅せられて過ぎた日々にはいつだってどこかの国の誰かによって不要とされた廃棄物が映っていたが、その中を駆ける仲間たちを汚すどころか、砂利の中に紛れた宝石のように一層彼らを美しく見せた。
 今はもう彼らのことを彼らの前でも仲間だと、口に出せるかもしれない。人は永遠に子供でいることなどできなくて、どの国の制度でも大人とされる年齢になった時、仲間という言葉が使えない関係になっているかもしれないが、糸が他人よりも細くとも、それらで織りなした紐は、布は、巣は、ほかの何よりも確かなものだと信じたい。
 もうすぐで俺も十八歳だ。流星街というこの土地で道を教えてくれる星たちは時々ふっと流れ落ちたが、それでも彼らと歩めば迷いはしなかった。好きに駆け、歌い、踊り、時折流星へ押し付けるための願い事を輪になって話し合ってみる日々のなんと充実したことか。
 衝突が無かったわけではない。元は別の区にいたフェイタンとフィンクス、ウボォーとノブナガと出会った時はそれなりに争い事もあった。水も食糧も問題が山積みなこの街では特に珍しくもない、小さな戦争だった。
 あの時は念能力があったおかげで俺たちに軍配が上がったが、もしあいつらもその時すでに念能力を使えていたら侵略を防げなかったかもしれない。ここの住人が身内に甘くなるのは対外の場合で、基本的には皆それぞれ生きることに必死なのだ。


「もう今年も終わるのかー」


 ブラウン管テレビに腰掛けているシャルはそう言って配給されたパンに齧りついた。「うーん……アイヴィー、ジャム出してよ」味気なかったのだろう。「何の」「クランベリー」十二月もすでに三分の一は過ぎてしまった。逆に言えば三分の二は残っているが、歌の一つでも口ずさんでいればそれも流星のようにあっという間に流れてしまうのだろう。


「少し酸味が強かったか……?」


 シャルに渡した後、自身のパンにも塗って口に運ぶと想像よりもほのかに強い酸味が舌にまとわりついた。しかし控えめな甘さが角を消していて食べにくさは無い。「ラズベリーじゃないからいいんだよこれで」求めた本人が満足なら問題ないだろう。


「ねえ、アイヴィーが味をわかるようになったのっていつだったっけ?」


 パンをすっかり食べ切ったシャルが、指先のパンくずを払いながら問い掛けてきた。俺も残っていた一口分のそれを口に放り込んで、甘酸っぱさを感じながら頭を悩ませる。日付なんてあって無いような場所だ。いちいち出来事を何月何日だなんて記憶していない。


「三、四年くらい前じゃないかしら」


 答えられないでいると、代わりにパクが答えを返してくれた。となると十三、四歳の頃か。今ではすっかりと正常に戻ったおかげでその頃のことを忘れかけていたが、普通に食べられることを当たり前だと思ってはいけない。
 小さな歯車が違う動きをするだけで次の歯車も動きを変える。そうやって、いずれは主軸となる大きな歯車までも狂ってしまうのだ。


「あたしにもジャムそれくれる?」
「もちろん、喜んで。ご所望とあらばルバーブもアプリコットもどうぞ」


 ぽんぽんと新しく次々に出した小瓶に付いているリボンが、にっこりと微笑んで受け取ったパクの長い指によってしゅるりとかすかな布の摩擦音を立ててほどかれる。「オレと対応違くない?」「一緒にするはずがないだろ?」「うーわ、開き直った」俺でなくとも美人と顔だけしか可愛くない男とでは対応を変えるはずだ。しれっと「桃」と単語だけ言ってきたクロロに、白桃のジャムの小瓶を投げ渡す。


「どうした、マチ」


 夜でもないのに遠くの空を見ていたマチにノブナガが声を掛けた。「夜、雨降るね」すん、と鼻を利かせたマチの横顔は初めて言葉を交わした時よりも数段と洗練されている。この街が一体いくつからを成人とするかはわからないが、女の子と女性の間にいる現在の彼女は“美しい”とは異なる、うそ甘い花の香りのような美があった。


「……流星」
「何?」
「リュウセイじゃない、流れ星だ。お前を呼んじゃいない」
「ふうん」


「それならいいけど」とシャルは続けた。
 シャルナーク=リュウセイ、初めてフルネームを知った時、美しいと思った。リュウセイが流星のことを指しているのかなど知らないが、口に出した時のすらりとしたその音は、よく舗装されたなだらかな道のようにすっきりと気持ちがいい。


「今夜は流星どころか星も見えなそうだと思ったんだ」
「雨ならそうなんじゃないか?」


 一時期、流星への願いが『アイヴィーの味覚が戻りますように』だなんて時があった。一人で願うよりも全員のほうが強いだろう、なんて子供らしい考えだ。自分の事に他人の願いを使うなど具合が悪くて恥ずかしさもあったが、「お前が終わったらオレの番なんだ、早く治れ」と全霊で願ってくれたフィンには感謝しなくてはいけない。気にするなと言ってもらえたようだった。
 流星に願うなど、くだらないことだと誰もが知っている。本気ですがりたいわけじゃない。流れ星など所詮宇宙の塵で、ここにある廃棄物と大差ない。ここが流星街だと名付けられたのも、きっと流星が宇宙せかいのごみだという事が由来だと思っている。しかし、たとえ汚くとも、くだらなくとも、ごみ溜めで暮らしてきた俺たちなのだ、それくらいがお似合いだろう。


「流星を見られても願い事なんざねーだろ」


 フィンはスープを一気に飲み干して「決まってねーんだから」と付け足した。「別に流星を見るのに願い事を携えなくちゃいけないってわけじゃないだろ」しかし年末には決まるだろうか。
 一度、ふざけて俺たち男が『マチが可愛らしくなりますように』なんて願いにしたらその晩はとことん絞められてしまった。彼女の念は捕縛に長けている。もう二度としないし、お世辞抜きでもマチは今のままが一番だ。
 空から遠くに見える配給所へ視線を移すといまだに人がずらりと列をなしていた。昼時は過ぎたが、人数が人数なだけあって時間がかかるのだ。「見慣れない顔」ぽそりと呟いたマチを見る。彼女の視線の先を見ると、筋骨隆々とした男が手にトレーを持って彷徨さまよっていた。
 言われてみればたしかに初めてみる顔だ。ほとんどの者の顔など覚えていないが、あの男のように印象的な背格好をしていれば一度でも見たことがあるなら朧気にでも記憶しているだろう。


「別の区から移ってきたばかりなんじゃねェか」


 ノブナガの言葉にマチは「……そうだね」と言って、男から視線をらした。歯切れが悪い。
 大して古くも汚くもない服をまとっているところを見るに、別の区から来たとは俺自身思ってはいないが、ほかに可能性があるとすれば何らかの理由で逃げるようにこの街に来たばかりか、マフィアの者が視察にでも来ているというところだろう。どうにも堅気には見えない。
 しかし、こういうことは珍しくもない。すぐに興味を失ってスープの器を手に取ると、薄い金属の器は底で支える指先へ、ぬるさを伝えてきた。

(P.31)



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