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今日も今日とていつもの場所で飽きずに本を読む。木漏れ日の暖かな光の斑点が、紙の乳白色をじわりと焼いていく。ページを
捲ると自然やインクの香りに混じって独特の苦い香りが鼻先に漂った。
そういえば古書店の主人は煙草呑みだったか、と霧のように
紫煙のくゆる
仄暗い店内を思い出して口端をわずかに吊り上げる。
一週間ほど前に大ガラスの背に乗せてもらって行った最寄りの町、ナンチャ市で購入した本の山も、残すはあと一冊となってしまった。
町へは本来ならば地走鳥で六時間前後かけて行くが、ここは森だ。俺が生まれる少し前にこの地へ移ってきたらしいが、閉鎖的に暮らしているのだから当然道が舗装されているわけでもない。それならば障害物のない空から行った方が何倍も早く辿り着く。
行って帰ってきて半日、だなんて大人たちは面倒なことをよく続けられるものだ。まあそもそも空を飛ぶ生き物を彼らは飼い慣らしていないから村人は地走鳥に頼るしかないし、ここら一帯の地走鳥は飼育下にあるから子供の俺が無断で使えるわけもない。
この村では、森から外に出ることを掟で禁じている。大人になれば許可が下りるらしいが、勝手に外に出ることは一番重い掟破りとされていた。
だが物心ついたときからフラフラとしては気まぐれにこの木のもとで数夜を明かすこともあったからだろうか、村にいなくとも誰にも不思議に思われない俺は時折森を抜け出すことがある。地走鳥の数が合わなければすぐに知られてしまうだろうが、使わなければ案外知られないものだ。
とはいえ十にも満たない子供が帰らなければ、否、帰りが遅くなるだけで周囲の人間は普通心配になるものではないのだろうか。育児放棄はされていないと言ったが、一つ付け足すなら、それは親の目が届く場合に限るということだろう。存在しているときにしか興味なんて持たれず、『今日はいないのか』程度の認識しかされていないはずだ。きっと町に行っていることも、こうしてここで本で読んでいることも彼らは知らないに違いない。
公用語で書かれたそれは読むのにまだ少し時間がかかる。
町に行くようになってから言語の違いというものを知った。話す分には町で働かせてもらっているうちに体が覚えていったからいいものの、読むのはいろいろなものを見て地道に覚えていくしかない。
初めは辞書片手に一冊読み切るのにも途方もない時間がかかったものだ。何とか読めたとしても一文単位でしか考えられず、頭の中で前後の文章と繋げられずに話の面白さなど少しもわからなかった。そこから考えれば、辞書が無くとも大抵のものは理解できるようになった
現在は大きく進歩したと我ながら思う。
――このまま誰の手も借りずに生きていけたら。
ふとそんなことが思い浮かんだ。人間たった一人で生きていくことが不可能に近いことくらい理解している。しかし一度考えてしまえば水が
溢れるように、あっという間にそのことが頭を埋めていく。
自分で働いて、自分で欲しいものを手に入れて、自分で必要なものを集め、自分の力で歩いていく。そんなことができたら――
すでに本の内容が頭に入っていないことなど、今は
些細なことだった。
一人で生きていけるだけの力があればな。
(P.4)