016 3/4



「やぁっ、お久しぶりですー、ドクター・ルーファス!!」


 ……どうもこいつと話していると爽やかを押し売りされている気分になるんだよなあ。「まだその呼び方に飽きていないのか」副会長室に入室して十秒も経っていないのにどっと疲れたような気がして、小さく溜め息を吐く。
 一目で上等な革だとわかるソファーにどかっと腰を下ろすと、エグゼクティブチェアに座っていたハンター協会副会長――パリストン=ヒルはわざわざ向かいのソファーに移動して、ニコニコキラキラと綺麗に口角を上げた。
 嫌いではないが、気力を吸いとられるような感じがしてあまり長時間会っていたくはない。


「いやーー、やっぱりアイヴィーさんに頼んでよかった!! 報酬と斡旋料の比率はなんだかおかしかったですけど、細かいことはいいですよね、それだけの仕事を貴方はしてくれましたから!!」
「……そういうのはいいから話を進めようぜ」
「素晴らしいことをしたら称賛される!! ……それって大切なことですよ? ここにボクしかいないのが悔やまれるなぁ」


 あははははとパリストンは楽しげに笑った。
 少しも悔しそうに見えないが、それをツッコんだらまた話が長くなりそうだ。


「そーかよ、ありがとな。で、報告書は上げたはずだろ? ここで話すようなことがあるのか?」


 感染したネズミあるいはノミがNGLから航路で東ゴルトーに入り、最初はネズミとノミとの間だけで伝播サイクルが築かれていたものの、感染したノミが人間を咬んだことで人間にも被害が及び、その後は接触感染や空気感染で爆発的に感染拡大した。
 東ゴルトーを離れた後NGLへ確かめに行ったところ、一部の農村で被害を確認できた。あそこの国民は科学に頼らず自然に生きているからとっくに淘汰されていてもおかしくはないと最悪を想定していたが、以外にも徹底的な隔離対策によって――隔離対策という名の無情な見捨てではあったが――封じ込めに成功していた。
 そしてヂュデーア教徒に被害が少なかったのは、清潔好きかつ飼い猫がネズミ捕りに貢献していたからだった。
 ヂュデーア教徒が清潔好きな性質タチであるのは知っていたため予防に繋がっているのだろうという推測はもともと立てていた。だがそれと同時に、清潔にするだけでは防ぎきれないネズミやノミが感染の大元だろうとも考えていた。
 それらを対策できる、俺の知らないヂュデーア教徒特有の行動がありそうだとは思っていたが……まさか猫好きとは。地味にあれが一番の収穫だったな。


「いや、貴方は協専ハンターなのにあまり仕事を取らないから、会う機会も少ないじゃないですか。親交を深めるためのただの雑談ですよ!! ……って言っても、アイヴィーさんは納得しませんよね?」
「そんなに疑り深い性格じゃねぇよ、俺は。大抵の人間は、真実よりも信じたいものを信じるもんだ。俺も例に漏れちゃいない」
「ほぉ……?」
「だから雑談ってのを信じて、俺はアンタと雑談する気は起きないから帰りまっす。じゃ」
「ちょちょちょちょ、待ってくださいよー」


 焦ったように行く手に立ち塞がったパリストンに、早くも二度目の溜め息を吐いて、もう一度ソファーに腰掛ける。
 パリストンと関わった件では、利益はあっても精神的に得をした気分になった試しがない。


「にしても、本当に随分と早いお戻りでしたよね。どんなに早くても一週間はかかっていたんですけどね……ボクの頭の中では。貴方のことを大分見誤っていたかな?」
「恋人を待たせてこそ女は淑女レディー足るが、男なら似非紳士スノッブ以下ってもんだ。だからこんな面倒事は二度と押しつけてこないでいただきたいね。運に恵まれなかったら、そうなっちまうところだった」
「またまた!! 謙遜がお上手ですね。わずか一日での原因の特定、物資供給による感染拡大防止、しかも!! それらは教会経由で民に行き渡ったから信仰も廃れず……!! どうでしょう、一気にトリプルハンターの申請……してみません?」


 向かいにあるビジネスライクな笑顔がより深まる。
 人払いをしているのだろう。俺たち以外の気配はなく、当然コーヒーの一杯も出てこない密室でしばらく無言の時間が流れた。
 本題はこれか? ……いや、正解とまではいかないな。


「ちなみに、貴方の後任で入国したウイルスハンターのサンビカ=ノートンさんはこの件でシングルに昇格予定です。ウイルスじゃなくて細菌による感染症らしいので四苦八苦してるみたいですけどね」


 パリストンの言う通り、前例から見ても今回の依頼達成は星を三つ付けても文句は言われないだろう。
 協専ハンターとはいえ真面目にハンター業をしていない俺にはサンビカ=ノートンとやらが誰かは知らないが、星つきになるのならこちらから調べずとも今後目にする機会はありそうだ。


「これも、ふてぶてしい先生から謙遜を学んだおかげかもな」
「…………?」


 紹介状を書いたパリストン本人の更なる名声向上だけが目的じゃないな。長年見下されてきた協専の地位を固めること――きっとそっちが本命だ。
 依頼数が増えれば協会の運営が安定するだけでなく、紹介料で自身も潤う。そして協専ハンターが増えれば、同時に副会長派スレーブも増えてくれるってわけか。


「融通が利くってんでシングルにはなったが、トリプルの責任を背負うのは勘弁だ。それに、今回みたいに手駒になってやるくらいならまだしも、政治道具にまでなるつもりはない」
「うーん、そのわりに東ゴルトーの政治のケアはしてあげてません?」
「独裁国家で信仰が完全に失われれば、独裁者こそが神になっちまうだろ? 今度タルムードをちゃんと見てみようと思っていてな、汚い聖書をめくっている暇はねぇんだ」


 クロロ=ルシルフルという男は自ら望んで団長になったわけではない。しかしそれでも決定事項として受け止め、ダレることなく前に進んでいる。
 そういう男を隣で見てきたせいか、超指導者やら全人民の父やらと自称するような奴はどうにも好きになれない。
 東ゴルトーの体制に真正面から挑むつもりはなくとも、これくらいの嫌がらせくらいは見逃してほしいところだ。


「本当にそれだけですか?」
「何が言いたい?」
「今ね、西ゴルトーでも感染が拡がっているんですよ。調べてみたら、仕立て屋のジョルジュという男から始まったようで。客が持ち込んだ布が原因じゃないか、というところまでしかわからなかったんですけど……なんだかタイミングがいいなーと思いまして、ね?」


 パリストンは組んでいた脚を解いて、少し前傾姿勢になった。よく糊の利いているスーツに影が落ちる。


「俺が西ゴルトーを引きずり下ろして均衡を保たせたって言いたいのか?」
「いやいや!! 東ゴルトーがミテネ連邦に合併されるほうが、独裁も無くなって気持ちが好いはずですから!! わざわざそれを阻止するような理由、清廉潔白なドクター・ルーファスにはないでしょ?」
「そうかァ? 呪いの正体を突き止めたと言えど、それは莫大な報酬ありきの労働に過ぎねぇよ。それとは別で、国が消えるのを防いだって事実は、東ゴルトーに対してこれ以上ないくらいの貸しになると思うぜ?」
「それ……自白です?」
「ただの事実さ。疑ってくれるな、俺は清廉潔白を心に誓ったハンターなんだ」


 もちろん嘘でしかないが。
 とはいえ、ゾルディックに貸しを作れた儲けに比べたら、東ゴルトーのそれは砂粒程度にしかならない。
 バーで最初に話を聞いた時、真っ先に疑ったのが感染症であり、そしてゾルディックに恩を売れるチャンスだと思った。
 ゾルディックは毒に対して耐性をつけていると聞いたが、逆に言えば薬が効きづらいということにもなる。つまり、グリムヒルデの被呪者一掃は、最悪一家全滅の可能性すらあった依頼だったというわけだ。
 今はこの貸しを使う機会が無いことを祈っておこう。


「知ってますよ、ボク。他人ひとの信心を敬うってのはね、簡単なように見えてこれが何より難しいんです。それをしてみせたドクター・ルーファスと集団殺戮ジェノサイドは結び付きません」


 人間が往々にして対極に位置する行いを平気でやれてしまうことは、言わずともパリストンはわかっているはずだ。むしろ対極にあるからこそ、ふとした切っ掛けで簡単に裏返ってしまうことがある。
 気づいていて圧を掛けてきているのかとも思ったが、胡散臭さを無くした爽やかなだけの声色は、どうにも本気で俺を信じているらしかった。
 そうこられてしまうとやりづらい。
 何と答えるべきかと、無難なものからふざけたものまでいくつか返答を頭の中で試してみたものの、どれもいまいち収まりが好くない。好手ではないが、無言でいることを選んだ。
 やりづらさを感じていたのはどうやら俺だけではなかったらしい。パリストンは落ち着かない様子で脚を組み直すと、「本当に羨ましいなーー」と普段の軽薄そうな声色に戻った。


「ホラ、真剣に話しても全っ然信用してもらえないじゃないですか、ボクって。反対に、貴方は無条件に信じたくさせてしまうんですよ。動いているのは天ではなく地球のほうだと貴方が言ったなら――ええ、きっと地球なんでしょう!!」

 
 二言目には『けれども、私は偉大な破壊が好きであった』とでも出てきそうな口を持つ男の話は半分くらいで聞いておくのが丁度良い。どんなものにも適正量は存在する。
 ハンター協会の副会長かつ三ツ星という偉大なハンターであるこの男は、いつもそのご立派な地位とよく合ったハイブランドのスーツで固めているが、彼が携えた倫理感の袋の底はとうに破れてしまっているように見える。
 これはあくまで俺からみたパリストン=ヒルの像でしかないが、とりわけ刺激を好み、何かを壊しては、壊された側の顔色を見て『このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする』と充足感に浸るような、程度を超えた奴だ。


「信用されたいと思ってないだろうに……」


 憎しみを買うことで愛情を消化するような人間にとって、俺のような手と手を取り合って生きていきたいぬるま湯を好む人間など、とびきりつまらないに違いない。
 ――「貴方と話していても、網で風を捕まえるような心地です」
 実際にそう言ってきたこともあったが、パリストンのことは好きではないが嫌いなわけでもないから、神経を逆撫でするような振る舞いをされたり、あるいはちょっかいを出されたくらいで憎悪を抱くのは少し難しい。
 パリストンは今現在も面白くないだろう。
 こちらから何も提供しないのも雑談においては失礼だから、一つくらい話題を上げてみてもいいかもしれない。そんな軽い気持ちで言った「とある奴の言葉だが」に、パリストンは思いのほか、目を輝かせた。


「『悪魔と呼ばるる者どもは、一神教特有のものなんです』」
「ほぉ?」
「多神教の神々は良い面も悪い面もあるが、一神教は神こそが絶対の正義でなくてはならないから、その正しさを証明するために別の悪を用意しなくちゃいけないらしい。その上、文字通り神は唯一でなくてはならないから、過去の神々の二面性のうち悪い面だけを取り上げて悪魔という烙印を押したとも言っていた」
「……面白い!! それを聞いた貴方は何と返したんです?」
「つまり悪魔は唯一神の存在を願う人間によって生み出された地上の存在じゃないか、というようなことを言ったと思う。だが彼は首を振った。神は人間の想像の産物ではなく、人間こそが神によって創造されたものだとな」
「ということは、今の悪魔は元を辿ればすべて神より出でた……不純物? ですが神が完全無欠というなら不純物があること自体が……困ったなー、パラドックスになってません?」


 パリストンの言う通り、いびつな話だと思う。
 完全無欠というのは人間側の願望だろうと今でこそ思っているが、崇拝していない俺でさえ神とは完全な存在という先入観を持っていたから、崇拝している者にとってそのパラドックスは強い違和となって心を曇らせるだろう。
 そのかげりを祓ってなお崇拝しているというのなら、幸福への探求心は計り知れないものだ。
『一神教はあまり好みませんが、一神教徒を愛さずにはいられません』――たしか彼はそう言って微笑んでいた。


「そのひずみを越えて信仰を持つ者はよほどの強い気持ちを……ああなるほど!! ドクター・ルーファス、貴方が他人ひとの信心を敬えるのはこういった考えを持っていたからですか」
「強い思いを持つことがどれだけ困難なことか、念能力者にはよくわかるだろ?」


 自らの腕っぷしこそが信じるべきものだと思っているハンターは非常に多い。実際、戦場で手を組んで祈る暇があるなら一つでも多く頭を落とすために走るべきだ。
 だが、強い思い無しには何事においてもいずれ限界が訪れてしまう。ハンター協会会長――アイザック=ネテロが武に関してそうであったと聞くように。


「だからどんな形であれ、進み続ける者は尊敬に値すると俺は思うぞ」


 俺や旅団クモの利益を前に、踏みにじらない保証はしないが。
 パリストンの言うところの“雑談”もそろそろ十分だろうとソファーから立ち上がる。思ったよりも長居してしまった。


「サンビカさんからの連絡です」


 扉を開いて廊下に一歩踏み出したところで、呼び止められて振り返る。
 億劫さを隠さない俺とは対照的に、パリストンは持ち前の清々しい笑顔を深めた。


「この度の感染症の名前を決めていただかないと、記録できないそうですよ」
「……本題、出すの遅ぇよ」


 ついに三度目の溜め息が漏れる。
 副会長ってのは忙しい役職だと思っていたんだがな。それともこいつの仕事の処理能力が高すぎるのか……まあどっちでもいいか。
 今頃はもう土の下に眠っているだろう炭のような手足になった少女の姿が脳裏によぎる。
 女王が世界で一番美しく在るためにほかを蹴落としたとも思えるような悲しい姿だった。しかしもうあれを呪いなどと言うつもりはない。ましてや、無実の女王に汚名を着せるなどもってのほかだ。
 見た目から名付ければ、またどこかの国で感染者が出た際に見つけやすくなるだろう。
 そう考えて口にした病名に対してパリストンが返事をしたのを最後に、副会長室の扉を閉めた。


「――黒死病、とでも書いとけ」

(P.51)



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -