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 駆け込んできた男の言う広場へと駆ける。
 ネズミの死体がごろごろ転がる不衛生な路地を近道に使って辿り着いたその場所には、まさに魔女狩りと聞いた万民がイメージする光景が広がっていた。
 二、三人が縛り付けられた杭が乱立しており、その足もとでは薪が大量にくべられた炎がパチパチと火の粉を飛ばしている。


「調査に来たハンターだ。話を聞かせてくれ。彼らはなぜ火刑を受けている?」
「オレたちはバタバタと死んでくってのに、ヂュデーア教徒だけ全然死んでねえのさ! アイツらが井戸に毒を入れていたに違いない!」


 枯れた歯茎を見せて歯を食いしばる男の虹彩が、ぼうぼうと上がる炎の色で焼き付いている。
 この宇宙で最も尊重されていない存在は、案外カミサマってやつかもしんねーな。
 結局のところ、赦しを説く者を信仰できるのは都合の良い時だけだと火刑が物語ってしまっているのだから。


「だからと言って、はは……同情はしねぇがな」
「オイ、何だありゃ――」


 金魚鉢を底から覗き上げた時のような、ちらちらとした光。空を覆う水の巨塊が太陽の光を浴びて目映く輝いている。
 それは広場にざぷんと重たく降ると、一瞬間のうちに業火を消した。


「アンタの仕業か!」


 一緒になって濡れつつも、杭に縛られていたヂュデーア教徒を解放していく。
 業火と言えどもこの程度の儀式では炎は人を焼き殺せるような高温には達していなかったが、半数以上は煙によって意識を失っていた。


「ああ、関心したぜ? 人を火にかけるなんて、流石さすがウィッチ・ハンティングだ!」


 先ほど立ち寄った教会はキリスト教のものだった。
 この国が総帥を崇めるような政治体制であるからしてどの程度信仰が根付いているのかは知らないが、土葬をしていたということは少なくとも文化レベルでは根付いている。*1
 それならば、同じく旧約聖書を正典に持つヂュデーア教徒について知らないはずはない。
 魔女狩りという呼び方はグリムヒルデの呪いという言葉になぞらえたものだろうが、ただ殺すには飽き足らず極刑によっていのちの書から名前を消すとなると、俺とて黙って見ているのは難しい。


「我々を……ゲホッ、助けて何になる……総帥への土産にでもするつもりか」


 友情を得たいなら、同じ娯楽に興じればいい。
 恋情を得たいなら、時間を出し惜しめばいい。
 仲を深めたいなら、秘密を共有すればいい。
 信用を得たいなら、味方であると証明すればいい。
 そして――信頼を得たいなら、信仰を尊重すればいい。
 神や救世主を信仰していなくとも、誰かの信仰心を尊重することは可能だ。


「――貧しい兄弟に向かって心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない」
「…………!」


 氷のような目つきが一瞬で溶解する。
 申命記の十五章に記された一文を声に乗せてすぐのことだった。
 キリスト教徒が神と救世主を愛しているのなら、ヂュデーア教徒が愛しているのは神と人間だ。
 俺が口にした言葉は薄ら汚い偽善か、あるいは寛大な慈善のように聞こえる。だがヂュデーアに誇りを持つ者に言わせるならまったくのお門違いだ。
 たしか……憐れみの正義ツェダカーと言ったか。
 彼らにとってそのは義務である。


「ハンター! なぜ異端者どもを助けた!」
「俺は調査のためにここにいるからだ。聞くに、ヂュデーア教徒は死者が少ないらしいな。この町は等しく苦しんでいると思っていたが、そうでないのならば調査に大いに役立つ事実があるかもしれない」


 手近な農具や木材を手に、町民は俺たちを囲い出した。
 困ったな……頭に血が上っているらしい。もう一度水を被せても、その真っ赤な顔では熱湯にでもなってしまうかもしれない。
 かろうじて意識のある一部のヂュデーア教徒は、虎に迫られたうさぎのように縮こまって悲嘆を盛らしている。
 もし発狂しかけのヂュデーア教徒を安心させようと強く言い返せば、町民の疑心は深まり調査に支障が出る。かといって柔らかな態度で町民を説得しようとすれば、ツェダカーによって掴みかけたヂュデーア教徒の心を手放しかねない。
 クソ、前も後ろも手に負えたものじゃない。
 舌打ちの一つでもしてしまいそうになるのを耐えていると、「諸君!」背後で酷く掠れた声が上がった。


「恐れてはならない。落ち着いて、今日、貴方たちのために行われる主の救いを見なさい! 貴方たちは今日、呪いと不義を見ているが、もう二度と、永久に見ることはない。主が貴方たちのために戦われる! 貴方たちは静かにしていなさい」


 一言で済ませるなら、下手な演説だった、と言うほかない。
 なにせ、内容がどうであれ、煙で傷んだ喉に鞭を打っているせいでモーセの言葉を知らない者にはろくに聞き取れなかっただろうから。
 しかし、ヂュデーア教徒にはしっかりと届いたはずだ。
 その言葉は、前は海に行く手を阻まれ、後ろからは敵の軍勢が迫る絶体絶命の状況で、取り乱すヂュデーアの民にモーセが掛けた叱咤激励を仰いだものであるからだ。
 奮った心によって怯えを吹き飛ばしたヂュデーア教徒に、思わず小さく感嘆する。
 俺はモーセのように海を割れないし、ましてやかみなどではないが、後ろの心配が必要なくなったのなら、町民との関係を悪化させることなく妥協点を話し合える。


「異端者どもをこのまま放っておくなんて言わないだろうな!」
「しばらくの間、俺が水と防毒マスクを全町民に提供するのはどうだろうか」
「馬鹿言うな! 小さな町とはいえ、どれだけの家があると思ってる。どうせすぐに勿体ぶるんじゃないのか」
「おっと、誤解しないでくれ。これは毒が混じっているかもしれない井戸水を使いたくないだろうと思ってのからの提案だ。ヂュデーア教徒を罰したいのなら自由にしたらいいし、そんな奴にも生活の一切に困らないだけの水をくれてやるつもりだから安心してくれよ」


 薄情な目付きをした者たちに先ほどあれだけの水を見せたのは、消火とは別でこの時のためでもあった。
 水を勿体ぶるにしろ勿体ぶらないにしろ、用意すること自体は可能であると思ってもらえているのなら成功だ。


「…………? ヂュデーア教徒を助けたいんじゃなかったのかよ」
「結果的に助けることにはなるはずだ。井戸水を使わない生活でヂュデーア教徒を恐れる必要はないからな」
「いや、そんな単純な話じゃ……」
「もしまた感情的な疑いだけで不必要に殺そうってんなら、フツーにしょっぴくだけだぞ。ブラックリストハンターっつって、捜査協力金を報酬にするハンターもいるんだ」


 常識人のような口振りに、自分の事ながら失笑する。
 どの口が殺しを止めているんだか。シャルあたりが聞いたら転げ回るかもしれない。
 それにその実、賞金首以外はろくな金にはならないしなあ。ま、私怨で極刑にした奴となりゃ彼女に良い飯くらいは食わせられるだろう。
 この薄っぺらい脅しで一番大きな成果は、捕まるリスクを認識させてヂュデーア教徒に手を出させにくくさせたことか?
 ――否。
 すでに一度行動に移してしまった彼らに、二度目はないぞと見逃してもらったという負い目を持たせられたことだ。
 それも、小さな窃盗などではなく理不尽な極刑を、だ。


「それにな、こんな面倒事を起こす必要なんてはなからなかったんだぜ」


 エセ医者どもも、ヂュデーア教徒も、一般町民も、もう好きに動かせるだろう。この町においては地獄の沙汰も俺次第だ。


「『偽証してはならない』――敬愛なるモーセが神より与えられた十戒の一つだ……。さて、かつて彼に導かれたヂュデーアの民に問おう。俺はツェダカーを果たしたぞ。兄弟よ、誇りを持って答えてくれるな?」


 先ほど同胞を奮い立たせたヂュデーア教徒の男の前で膝をついて視線を合わせる。


「グリムヒルデの呪いは、本当にお前らが引き起こした事か」


 何よりも簡単な話だ。
 知りたいなら、訊くだけでよかったのだから。
 ま、老魔女狩りウィックド・ウィッチ・ハントを行った町民にとって必要だったのは真実ではなく、気を鎮めるための山羊だったのかもしれないが。


「モーセの言葉を借りたこの身、恩人に決して偽証しないと誓おう。――我々は何もしていない」


 いつ気を失ってもおかしくないほどに火傷を負った男は、やはり痛ましく掠れた声でしっかりと否定を返した。


「そうか、よかったよ。さあみんな、疑いが晴れた彼らを家族のもとへ帰してやってくれ!」
「ちょ、ちょっとハンターさん! 彼らだけ被害が少ないのは確かですよ!」
「くどい。俺は聞き分けの悪い子供は好きだが、聞き分けの悪い大人は嫌いなんだ。こんなことでお前を嫌いにさせないでくれよ」


 不満の声を一蹴いっしゅうして、運ばれていくヂュデーア教徒たちに目を向ける。
 様子を見るに、なぜ自分たちだけが被害が少ないのかもわかっていなさそうだったが、理由の心当たりはある。ただ、不完全な心当たりだ。
 ヂュデーア教徒特有の何かを俺は知らないのだろう。


「さ、騒ぎも収まったことだ。している者がいる家に案内してくれ」


 特有の何かによっては一から考え直す羽目になるかもしれないが、きっとその可能性は低い。ここに来る前から立てていたありきたりな推測が覆らないかの、ただの確認作業と言えよう。
 しかし今すぐにヂュディーア教徒の家に押し掛けるのは俺とて引け目を感じるし、実際に臥床がしょうの者をこの目で見てからでも遅くはない。
 人知れず二重線を引くと体を冷やしていた水は具現化が解けて、何事もなかったかのように髪や服が乾く。
 広間に水が降ったことを証明できるものは、焦げた薪の山と、流されて奥に追いやられた路地のネズミの死体だけだろう。





脚注

[*1] キリスト教の死生観
キリスト教において死は命の終わりではなく、最後の審判までの安寧の時間とされている。最後の審判では、いのちの書に名前がある者は永遠の生命を与えられ、ない者は地獄に落とされる。その際、肉体が必要であるため、遺体を焼くことはタブーとされている。


(P.48)



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