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遠くから聞こえていた音が霧掛かった思考が晴れるにつれて明瞭になっていき、やがてそれが鳥の啼き声であることを知った。長い間、俺は何かを考えていたような気がする。しかしその何かが何であるのかは考えてもわかりそうになかった。
目を閉じていても
瞼を通った光は心臓へと朝の知らせを届ける。若干の眠さに甘えながら指先だけをそっと動かせば、植物の囁きほどわずかに、耳に心地好いしゅるりと布が
擦れる音が立った。
「……えっと?」
「アイヴィー!!」
「ウ、ぐッ……」
瞼を持ち上げると同時に上体を起こすと、まるで白雪姫の棺桶に集まる小人たちのように俺が寝ていたベッドは大勢に囲まれていた。寝て起きたらこの状態だ、なんとも間抜けな声が出たのは仕方がないと思う。
蛙が潰れたような声が喉を通ったのは、記憶よりも体格が何割も増して良くなっているウボォーによる熱烈なハグが原因だった。
「待あて待て待て待て待て待っ骨、骨が! 折れるって! 骨が、ってオイ、フィン! お前も乗じるな! 冗談抜きで折れちまうだろ! ノブナガ頼む、ウボォーだけでも離してくれ、って、ノりやがった!? いや本当に駄駄駄ッあ゛あ゛あ゛ーー! 嫌な音した! したよなあ!? ア!? ア!? ッづうー…………ほら折れました!! 折れちまったよ見事にな! クッソ、強化系トリオ……!」
必死の訴えでようやく渇望の自由を得た体は、右腕が全く求めていなかったフリーダムさで垂れ下がっていた。着ていた赤いシャツを苦労して脱ぎ、「愛ってヤツだぜ」と突き出した唇を頬に寄せてくるウボォーの顔を左手で掴んで方向を変えてフィンへと流す。「ンゲッ」身代わりに感謝しよう。
服を脱ぐや否や治療を始めてくれていたマチにはきちんと口に出して感謝を述べた。
ただの医者のように傷口をどうこうするのではなく、血管も肉も神経も骨も、すべて元通りに繋いでくれるマチには怪我の大小
拘わらず昔から何度も世話になっている。
「……ハイ、ほぼ百パーセント繋がったよ」
「へぇ、随分と手際がいいな」
「どれだけアンタのぐずぐずの体を繋げたと思ってんだい」
「ぐずぐずって……そこまでの怪我はしたことないだろ……」
シャツを着直しながらマチを眺める。俺の知っているマチとは明らかに別人だ。いや、目の前の女がマチであることにも、そのキツい印象を与えがちなつり目の俺の映し方にも変わりはないが、むず痒さは否定できなかった。
にしても、女って生き物はどうして会う度に磨かれてゆくのだろう。
額にかかった鮮やかな癖毛を完治したばかりの右手で
避け、開けたそこにそっと口付ければ「……死んでた間も溜まったりするわけ?」とあからさまに呆れられてしまった。
「手を出すつもりなら、んなトコにしねぇって……」
「そ」
「にしても、やっぱ死んだのか……呆気ねぇなあ」
「随分とアッサリ受け入れられるんだね」
受け入れるしかないだろ、とは口にできなかった。その言い方ではまるでマチたちを責めているようだからだ。
悲しいだとかつらいだとか、そういった感情は一つとしてない。目が覚めたから起きた。骨を折られたから怒った。マチがいたからキスをした。何も特別なことはない。
死者を
蘇らせる念能力者――十中八九それだろう。……探すのにどれだけ苦労したんだか。
有能な奴らがおそらく血眼になって探してくれたにも
拘わらず、それぞれの成長を見るに一年から三年ほどは経過していると思っていい。
先ほどマチが言った“ぐずぐず”とやらも、先ほどはああは言ったがきっと
蘇る過程でいろいろあったのだろう。もしかしたら腐る過程かもしれない。
……まぁ、事情はよく知らずともマチ様様ってことは理解しているし、裸の付き合いどころの話ではなく骨肉の付き合いになってしまっては一生頭が上がらない。ういーっす一生こき使ってください。
「みんなが取り戻してくれた身体なんだろ? 嬉しいさ」
紛れもない本心を伝えれば、一体何のつもりかフィンが立派な図体に似合わずおずおずと鏡を差し出してきて「代償」とだけ気まずそうに口にした。先ほどウボォーの愛を受けたその頬は何度も強く拭いたのか薄ら赤くなっていて、化粧を覚えたての女のようだ。だからって可愛くはない。
俺よりも自分が見たらどうだ、なんて思いつつも覗き込んだそれに映っていたのは異常を起こしていないどちらも青い目を持つ男だったが、それよりも目を引いたのが長かったはずの後ろ髪がうなじまで短くなっていたことだった。
正に絶句。驚きの言葉すら出てこなくて、手から滑り落ちたらしい鏡の割れる音が俺を覚ました。
「犯人の場所と名前を正確に」
「二階、クロロ=ルシルフル」
「よく吐いてくれたな、いい子だぞフィン」
間に髪の毛一本も入らないほどとはよく言ったものだが、その通り間髪も容れない即答だった。
真っ先に顔を見にきてくれたっていいだろうに――そう思っていた相手の名前が出てきたものだから、感情のままに立ち上がる。
部屋から出る直前、「一発きりにしてあげて」と背まで髪が伸びていただけでなく例の如く綺麗に磨きがかかっているパクに言われてしまっては、力が有り余っていたはずの俺の腕は一発ほどの余力しかなくなってしまった。
階段をゆっくりと上りながら、以前と唯一長さの変わっていない前髪に手を伸ばす。一度意識すれば首の後ろを撫ぜる風の冷たさがどうにも気になって、それはもう鏡を見ずとも自分の髪が物心ついてから今までのうちで一番短くなってしまったことを不安とともに知らせてくれた。
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