006 2/3



 天空闘技場を出た後、飽きもせず彷徨さまよい続けて三箇月ほどが経った。ずっとずっと歩いて、時に飛行船に乗って、船にも乗って。迷っていたわけじゃない。どこに行けばいいのかわからなかった。
 ある程度の世界地図は頭に叩き込んであったが、行った国では実際に自分の足で確かめることができたから細かい地図も覚えられた。そう考えればただ彷徨さまよっていただけでも有益な時間になったと思う。
 とはいっても疲労が溜まらないはずがなく。
 念で作り出した小さな舟に乗って、行く宛も潮の流れも考えることなくただゆらゆらと海上で波に揺られていた。ごろりと寝転がれば太陽の光が少し眩しくて、腕で目を覆って目を閉じる。ぽかぽかとした暖かさ、ふわふわと優しい船のゆれ、波の心地よい音、ゆっくりと感じられる時間。
 すべてが心地好く感じられ、疲労もあり、何もかもを投げ出すように目を閉じた。
 辿り着いた先が無人島だろうと海底だろうとクジラの腹の中だろうと、それが次に俺が行くべき所だったのだと、運命というものを受け入れてみるのもたまには悪くない。


◆ ◇ ◆



「ん、ん……」


 どのくらい眠っていたのだろう。気がつけば船は浜辺に乗り上げていて、心地好い潮風が鼻をかすめることも無くなっていた。
 寝ぼけまなこで薄ぼんやり映っていた視界がある程度はっきりとした頃、自分のすぐ周りを大人たちが囲んでいることに気がついた。「んうっ!?」思わずくぐもった短い声を発する。囲んでいるというよりも、至近距離で顔を覗き込まれていた。
 驚きのあまり器官に入った唾液でむせていると背中をそっとさすられて、俺に危害を加えようとしていたわけではないことを理解する。跳ねた心臓が肋骨を砕いてしまいそうだったけど。


「また捨て子だね……」
「今月で何人目だ?」
「さあ? 数えきれないですよ」
「それもそうだったな」


 俺は捨て子だと勘違いされているらしい。ここでは捨て子が多いのか、驚いた様子も無く大人たちは会話を進めていく。今の状況的にはそう見えるのかもしれないが、俺にとっては少し不本意だ。捨てられたんじゃない、俺があのウツクシイ村を捨てたのだ。
 会話を聞くに、言語は公用のもので大丈夫らしい。「俺、捨て子じゃない……です」誤解を解こうとそう言うと、大人たちは可哀想なものを見るような憐れんだ視線を向けてきた。しばらく寝ていたせいだろうか、喉が渇いて少しかすれた声になってしまった。


「最初はそう言う子も多いのさ。捨てられたことが信じられなくてね」
「でも心配することはない。私たちは人だろうが物だろうが、何でも受け入れる」
「ここが“流星街”である限りな」


 流星街。その単語を耳にしたことでようやく状況を完全に理解することができた。古ぼけた本で曖昧な記述をいくつか見たくらいだが、印象的で覚えている。
 信じていなかったわけではない。それでも実在するなんて、ましてや自身がその土地に足を踏み入れることになるなんて思ってもみなかった。


「本当に違うんです。俺、旅してて」
「旅?」
「はい。よろしければしばらくの間ここに置いていただけませんか」


 この街に興味がある。本は大事な情報源だが、本をいくらめくったって実際に自分の目で見るのには敵わない。だからこの“社会的には存在しない街”に滞在したい。
 そもそも、ここから出るのはエンジンの無い小型の舟では難しいはずだ。辺りを見渡せばごみだらけであることからもわかる通り、潮の流れが漂流物をこの地まで追いやる。予定も漕ぐ気も無く舟を出せば再びここへと戻ってくることになるだろう。


「そうか、誤解して悪かったな」
「さっきも言った通り、私らは何でも受け入れるのさ。許可なんか無くてもいくらでもいるといい。坊やがここが故郷だと思えばその日からここは故郷になるのだから」
「……ありがとう、ございます」


 滞在の許可は素直に嬉しかった。俺の容姿を見ても顔色一つ変えない大人たちは今までにを見てきたのだろう。あの閉鎖的で息の詰まる場所とは一八〇度異なると、この短時間で思うことができる。
 しかし俺がこの地を故郷だと思うことは、今もこれからもきっと無い。あの森で育ったからこそ今の俺があることは紛れもない事実なのだ。
 故郷とは大切にしなければならないものではない。この大人たちの口ぶりからして、彼らは故郷を大切にするものであると疑問も持たずに思っているのだろう。非難しているわけじゃない。そのように思えるほどこの地が彼らにとって、普通で、当たり前で、素晴らしい場所であるのだ。


「今までお前さんがどうやって生きてきたかはわからないが、ここでの暮らしはきっと今までよりもずっと大変さ。まず生活が満たされていない。それだけで人間ってのは心も弱るもんだ」
「覚悟はしています」
「そうかい、なら後は頑張りなさいな」


 一番年上らしき女性がそう言って頬のシワを濃くして微笑むのを最後にして大人たちは去っていった。「とは言った……ものの……」これからどうするべきだろうか。
 とりあえずは舟を消し、近くの廃材の上に腰掛ける。夜で空が暗いせいか、きっと淀んでいるであろう海もさして汚く感じることはなかった。まあ廃棄物だらけの砂浜は綺麗とは言えないが。それでも不思議とこの世界は嫌いじゃなった。


「……よし、家でも作ろうかな」


 小さく意気込んだ後、秘密のノート(シークレットブック)を出し、まっさらな新しいページを開く。そして同じく念で欲張りな黒いペン(グリードブラック)を出し、まずは電池と電池式のスタンドライト、そしてシンプルな机と椅子を具現化させた。
 暗い夜の海で煌々と光る黄色い光は眩しすぎるような気がしたが、まあいいかと机に向かうことにした。


◆ ◇ ◆



「もう朝……」


 いつの間にか顔を出していた朝日に目をこする。いくら舟の上で長時間寝ていたとはいえ、夜通し作業はきついものがあった。しかし無事完成することができたのだから後悔は無い。
 目の前に立つ少しだけ大きな煉瓦れんが造りの家に満足して大きく伸びをする。
 あの後ずっと秘密のノート(シークレットブック)に出したい家の設計図やら何やらを描いていたせいで――文字ではなく絵でも具現化できるところは気に入っている――、一睡もすることができなかった。
 こんなに頑張ったのに秘密のノート(シークレットブック)を閉じてしまったら二十四時間しかたないのは悲しいが、とりあえず今は休みたい。
 新築の香りがする家の中に入り、しっかりと施錠する。誰の香りもしないふかふかのベッドに飛び込んで、新しい生活の始まりに想いを馳せながら緩やかに意識を手放した。

(P.24)



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