福 


 人質交換は滞りなく行われた。「このままおれも返してくれちゃったり……」「しねえな」「ですよねぇ」交渉能力も0.40なのかもしれない。うーむ……日本には『亀の甲より年のこう』という諺もあるけれど歳を重ねれば良いというわけでもない代表がおれのようです。


「さっきの会話を聞いていて思ったけど、私たちが悪者にされてないかしら?」
「ひっ、あなたたちが怖いのは確かです……」
「私たちはあくまで侵入者がいたから捕らえたの。警察に引き渡すだけよ」
「し、侵入者……。状況的にはそうなるのかもしれませんが、おれたちは入りたくて入ったわけじゃありません。気づいたらここにいただけで」


 言い訳のようになってしまった。実際言い訳には違いないのかもしれない。
 けど! 本当なんです! アイアムノットジョーキング、トラストミー!!


「気づいたら……? けれどその門のセキュリティを突破したんでしょう?」
「さ、さっきもそんなことを仰っていましたけど、おれたちはこの敷地から外に出ようとしたんですよ。そしたら警報が鳴ってあなたたちが駆けつけてきた、というわけで」
「ちょっと待って頂戴。門をくぐった拍子に警報が鳴ったわけじゃなく、出ようとして失敗したの?」
「失敗っていうか……門がシャッター式になっているとは誰も思わないでしょう……。仲間とゲームをしていたら何かに巻き込まれてここの庭にいて、とりあえず出ようと思ったらシャッターに殺されそうになって、必死に飛び退いたらあなたたちに囲まれて……天に見放された気分です」


 まあ天が神のものであるならとっくに見放されてはいるんですけどね。
 泣きっ面に蜂どころか、欲張りな老婆が雀から奪った大きなつづらを泣きっ面の上にひっくり返されたようだ。「ワープ系の個性を持ったヴィランの被害者か」とか何とか聞こえるけど、多分何かしらのバグなんですよねえ。原因に心当たりが無いこともないんですけど。
 ……さて、#コンパスに残っているヒーローは無事でしょうか。きっと消えた時のリプレイを観たVoidollが、ワープ系カードは使用しないように呼び掛けているはず。


「Voidoll〜……」


 早く来てくださいー……。
 しかしそう願ってもあのプライドの高いAIが『ドウカシマシタカ』なんて言って顔を見せるはずもなく。正座のせいで膝の下の骨が潰れてしまいそうだと喚いている。
 ビルディングを見上げても乃保さんとルチアーノさんの姿はなく、彼らはきっと場所を変えてどこかに潜伏しているのだろう。


「あの……この世界の警察はまともに機能していますか?」
「世界? 何が言いたい?」
「警察とは基本的に汚いものと認識しています。それを悪だとは言いません。人が作った機関である以上、あらゆる欲にまみれていて当然です」
「それを訊いてどうする?」
「どうやらおれは警察に引き渡されるらしいですから。気になるのも当然ではありませんか。可笑しな事態に巻き込まれただけでなく、正しく機能していない警察にまともに話も聞いてもらえず悪だと決めつけられて処刑を受けるのはごめんなんです」


 ふるりと体が震える。格好つけて残った以上、涙をぼろぼろと落とすのはけたい。どうしておれはいつもこう上手くいかないのだろうと、情けなさに鼻奥が痛んだ。


「おい……処刑って、話をデカくしすぎじゃねーか?」
「この世界の刑法を知らないもので……すみません。的外れでしたか」
「的外れもいいとこだ」
「では、悪にしようとを使ったりはしませんか? あれとても痛いんですよ。そんなものが使われたら、その苦痛ゆえにおれは偽りの自白をしてしまう自信があります。有罪ロードをノンストップで突き進みます」
「おいおい、今を一体いつの時代と思ってやがる……」


 いつの時代かなんて知らない。かなり発展していることは見てとれて、おれが#コンパスに行く前ときっと大して変わらないと思う。
 でも怖いんだから訊かせてください。使うなんて言われたら何が何でも逃げる。おれは逃げるぞ! 逃げるからな!!


「この国ではないかもしれませんが少し前まではフォークもブーツもいたって珍しくない自白強要具だったでしょう」
「少し前? んな時代はとうの昔に終わってんだよ。取り調べで拷問なんかしてみろ、人権侵害じゃ済まん。それこそ犯罪だ」


 ちらほらと見えるニンゲン離れした姿の者たちを一瞥いちべつし、この世界のニンゲンという存在は異形も含まれているらしいことに心の中で感謝を述べる。背中の節足が見えていないはずがないのに同種だと思われているのはとてもありがたい。
 ――なんて優しい言葉なのでしょう!


「本当にそうであるなら、おれは大人しく警察へと引き渡されましょう。一年かかろうとも、百年かかろうとも、人々が求める限りおれは事情聴取に応じましょう。そうです、話し合うのです! 双方の納得が幸福へ繋がると信じて!」


 両手を広げたいところだが、生憎テープによっておれは息苦しいほどにぐるぐる巻きだ。そしてどうしてか場が随分と静まってしまった。おれは何か変なことを言ったのでしょうかか。「……ヤバい奴っぽくね?」「おれを侮辱したのはどなたです?」「オ、オイラの声聞こえた!?」ほう、モヒカンなのかよくわからない髪型の小さい男の子らしい。
 ああいえ、全く怒っていないですよ。そう恐がらないで。怒ることは得意じゃないんです。


「少し傷つきました……」


 いちいち突っ込みもしないが地獄耳だと何人かが口にしたのも聞こえている。その代わりあまり視力は良くないんですけど。
 どこぞのもちもちドーナツを輪ではなく列にしたモヒカンを持った男の子だって、顔のつくりまではよく把握できない。


「それよりも、逃げませんからそろそろこちらの捕縛テープを外していただきたいのですが」
「少なくとも警察に引き渡すまではできないわね」
「ならせめて緩めてはいただけませんか。とても苦しいんです。少しずつではありますが、持続ダメージを受けています」
「何を言っているの?」


 今ここでカードの一つでも発動したら反撃の意志ありと見られてしまうでしょうね。おれは平和にいきたい。
 けれどライフがすでに二割を切っている。逃走をしないと言っているのだから早急さっきゅうに自由にしてほしいのですが……。
 ああ、苦しい、苦しい、苦しい。


「申し訳ないのですが説明している時間も惜しい。早くおれを解放してください。サア早く!」


 誰も動かない。ライフゲージをバトル中のように誰でも見えるよう頭上に表示させると、離れた所にいたアダムさんとジャンヌさんの顔がわかりやすく焦燥へと変わった。この距離ではジャンヌさんの魔法陣も届かない。
 打てる手も見当たらず、じりじりと減っていくライフゲージを横目に見ていると、ジャンヌさんが珍しく声を荒げた。


「これはお願いではありません! 命令です! 早く霊々さんを――」
「マズ」


 い。
 最後まで言い切ることはできなかった。たった一瞬の、体が崩れていく感覚、遠くなる音、そして脱力感。幾度となく経験したその感覚に、すぐさま自分がデスになってしまったことを察する。


「……生の脆さを再認識しました」


 威厳を示すように建つのは窓硝子がらすいっぱいに青空と白い雲が映り込んだ、大企業を思わせる風貌のビルディング……。
 ――視界が一瞬でこの世界に飛ばされた時に見た光景へと変わった。しかし飛ばされた時とは違って前方には大勢のニンゲンたちがいる。どうやらリスタートは可能らしい。なるほど、ここがこの世界の始まりの場所というわけですね。
 ……嗚呼、摘まれてしまった。彼らはおれの脆さを知らなすぎたのだ。サンシャイン霊崎でダブル0.40と紹介こそしたけれど、#コンパスを知らなければそれがどういうものなのかわからなくても仕方がありません。
 けれどごめんなさい、仕様という名の呪いは受けてもらわなければなりません。「何か……急に気分悪い……」「わ、私も……」「俺吐きそう……」そうれ、見なさい。


「だから解放しろと申しましたのに」


 溜め息をつき「自業自得ですよ」と付け加えると、まるで幽霊の声でも聞いたかのように全員がおれへと体を向けた。


「な……お前、ワープ系の“個性”だったのか……」


 おれが先まで捕まっていた所は早くもナタデココが消えてしまってテープだけが地面に落ちている。「ワープ? 違います違います。悲しいことに、ただ摘まれただけですよ」ワープなんて自由に使えたら、裏取りし放題じゃないですか。


「今の状況でおれの“個性”の一部を説明するなら、『敵がおれを消した場合、敵全員が被毒する』という具合でしょうか」
「何だと……?」
「この急な体調不良はあなたの仕業ってワケね」
「嫌なアビリティでしょう?」


 肩をすくめて「お願いですから、もう摘まないでくださいね」と付け足せば、目が怖い白い襟巻さんが「解毒剤を寄越せ」と先ほどよりも低い声を発した。


「持っていると思いますか?」
「毒を扱う者は持っていて当然だ。そうしなければ交渉にすらならない」
「交渉……? 嫌ですね、どうしておれが交渉なんてしなければならないんです? もとより皆さんの利益を考えているというのに! だから先も、早く解放してくれと頼んだんじゃないですか」
「本当に俺たちのことを考えているのなら解毒剤を寄越してくれ。生徒の分だけでも」


 見た目こそ怖いけれど彼は良い教師なんでしょうね。けれど、すみません。「持っていませんよ」と言って身にまとっている中華服を自分で叩いてやれば、彼は「は」と声帯を驚きに任せて短い声を出した。


「本当に持っていないんです」
「そんなはずは」
「ですがどうかご安心を。その持続毒は後遺症も残さずすでに綺麗さっぱりと消えているはずですよ。十秒間でライフをきっちり半分削ったら自然と消えるんです。ですから」


 てのひらを合わせ、軽快な音を立てる。相手をキルすることはチームのためになるというのに解毒剤なんて持ち合わせているはずがない。


「もうおれを摘まないでくださいね。ええ、二度目はありませんよ。あなたたちは一瞬間で回復などできないでしょう? 次おれを摘んだ時があなたたちの命のカウントダウンの始まりです。一定時間ごとにライフがじわりじわりと削られ死に近づいていくのはどれほど恐ろしいでしょうか。いえいえいえ、おれも持続毒カードで苦しんだことはあります。大変恐ろしい。しかしそれで摘まれたからと、おれは本当に命尽きるわけではありません、生の脆さを再認識するだけなのです。ですから本当の命を削られるあなたたちの恐怖はおれには量り知れません……」


 その恐怖を想像したらつっと涙が頬から顎へと伝った。沈黙とともにまるで気持ちが悪いものでも見ているかのような不快な表情の数々がおれへと向けられて心が悲しみを訴えたが、これでも長く生きてきたのです、それを怒りと履き違えはしません。
 憤怒はいさかいを呼び、反対に幸福を遠ざけてしまう。怒りは必要最低限で十分です。


「――さ、世間話でもしながら警察の到着を待ちませんか?」


 口もとだけしか見えないとはわかっていても半狐面の下で深く笑顔を作れば、沈黙は一層腰を重たくした。
 ま、そろそろ帰ろうとは思っていますけど。いえ、嘘はついていないですよ。ここにいる限りしっかりと警察を待ちます。
 でもやっぱりこのバグを仕掛けたであろう方に会わないと、おれたちの平和な世界が脅かされてしまいますし。ええ、もうでしょうしね?


(P.7)


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