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「い゛ッッ……づううウぅ……」


 金平糖の瓶が空中でひっくり返された。
 正確には、ぱらぱらといくつもの小さな星が降り注いだような軽い音がした。
 顔を覆った手の隙間からうかがえば、今まで人前では片時だって外すことのなかった半狐面が欠片となって転がっていた。
 デッドエンドを回避できたおかげか『ご愛読ありがとうございました。幽霊々先生の次回作にご期待ください』なんて文が添えられることもなく、床に叩きつけられた先で顔を見せられず猫のように背中を丸める。
 今が攻め時だと判断したらしいヒーローたちが矢のように一斉に襲い掛かってくるが、音を頼りに節足で返り討つ。数秒もせずにヒーローたちは散った花弁のようにおれの周囲に膝をついた。
 歯を擦り合わせたまま空気を抜くとキヒヒという笑い声が出てきて、気持ちが悪いとわかっていても何万年も付き合ってきたその癖を直すことは容易ではない。


「痛ぇじゃねーですか……。あれれぇ、おかしいぞー? ど、どうしてです? 今の皆さんのステータスはすべて0.50のはずなのに……。よろしくお願いしますの叫び方が甘かったのでしょうか」


『インフェルノ シュリーカー』*1は保険に過ぎなかった。ステータスの下方修正が即時反映されているかわからなかったから。
 んま、今の攻撃で節足の一本も千切れていないことがきちんと反映されていることの証明になったから、結果的にはまといさんに感謝はしないといけませんね! かなーり痛かったですけど。


「……は?」
「アダムよ、待て。これは普通ではない。なぜあやつの狐面……装備が壊れたのだ?」
「わあ、流石さすがです、忠臣さん! バレるのが早いなぁ」


 ずっと顔を覆ってうつむいているわけにもいかない。そっぽ向いてたら心を通じ合わせられませんからね!
 仕方ないですね、なんて腹を決めてゆらりと立ち上がると、最初に目が会った忠臣さんは「抜かせ」と吐き捨てた。


「おれとサーティーンさん、今はデータの肉体ではないんですよ。キヒヒ、これ生身です。データだったらVoidollに操られてしまう可能性がありましたから」


 Voidollはバトルの時だけデータの体へと乗り換えているけれど、ヒーローたちは基本的に常日頃データの体で過ごしている。怪我もしないし汚れることもなくて快適だからという理由で。


「Voidollが狂ったから破壊したというのは、でまかせだったのだな?」
「はい。必要なことだったとはいえ、嘘をついたことは心苦しく思っています……。それで、Voidollをエイヤットウッとした後にシステムをぽちぽちといじって皆さんのステータスを変えたんです! 普段のおれとおそろいの0.40にしたかったのですが、通常の最低値が0.50だからか、そこまでしか下げられなかったのは悔しいですが……」


 そこまでしても火属性の攻撃力が高いまといさんの攻撃は痛いんですねえ。次からはもっと気をつけないと。
「貴様……」と氷点下の声を出したアダムさんに応えるように、いつの間にか床から氷が這い上がってきておれの両足をカチカチに固めてしまっている。
 ひえ……無理に剥がせば皮膚が持っていかれそうですね。
 悩んだ末に通常攻撃の属性を火に切り替えて、そうっと節足で削っていく。
 地味だとか言わないでくださいね、これでも必死なんですから……!
 けれどそれを待ってくれるヒーローたちではないようで、恐ろしい目付きで俺へと走ってくるのを間に割って止めたのはコクリコさんだった。
 おれはズタボロにされてたってのに、メグメグさんを倒してくださってなおかつ助けてくれるなんてっ……くっ……有能悪魔か……! 執事にしようかな?


「オイオイ、ボクちゃんを忘れてもらっちゃあ困るぜ?」


 まるで屋根の下に入ったようにヒーローたちに影が落ちる。
 低い声を辿ると、空中で赤黒い大鎌を振りかぶるサーティーンさんが血を吸ったような瞳をギラつかせていた。
 背後から飛び掛かるなんて、実にサーティーンさんらしいですねえ。


「そぉい! ……今の俺、格好よかったんじゃないの?」
「ぎゃーーっ! 何でコクリコさんまで巻き込んでるんですか!」
「あ? わりぃ、本気出しすぎた」


 口では謝りながらもサーティーンさんに反省の色はない。


「……つーか霊々クンよう。白目が真っ黒くなってるなんて、やっぱお前とんでもねー奴だろ。どんだけ穢れてんのよ? 堕ちた俺ですらキレーなもんだぜ?」
「ウッ……だから顔を見せたくなかったのに! 彼岸花おれに赤子殺し*2をさせてきた歴史が悪いんですよう。ああっ、でも! 飢饉の時にはちゃんと大勢を救ってきたんですよ?*3
「オイオイ、はぐらかすんじゃねーよ。そんなんじゃねーだろ?」
「キヒヒ! ……そうですね。実は、偉ぶった神サマに怒られちゃったんです」


 たしかに、鉄の時代*4を見た者の行動ではなかったかもしれない。けれど、金の時代*5に憧れたを見て見ぬふりはしたくなかった。
 閑話休題、サーティーンさんが振り抜いた大鎌に巻き込まれて還ったコクリコさん、マリア様の二人ともおれはすぐに再会できるでしょう。
 アダムさんも範囲内にいたはずなのに、彼はマリア様に押されるようにしてそこを出ていた。
 二人の関係は現実の世界では敵対国だと聞いていましたが、仲間の絆ってやっぱり素晴らしいものですね……! これはアツいです!


「おれの、体は、冷たいんですけども……」


 ぶるぶると寒さか恐怖か痛みかわからずに体を震わせる。
 腹の真ん中を綺麗に貫通するのはアダムさんが力任せに投げた彼の武器、第一魔剣ザヴァイヴァーニィで、氷でできたそのいびつな剣は患部から体を急速に冷やしていく。
 ザヴァイヴァーニィでなかったら今頃体は燃えるような熱に支配されていたかもしれない。


「フン……本当に生身らしいな?」

 
 がぽりと口から血を吐く。
 メグメグさんと一緒にグスタフさんを訪問して多少の痛みには泣かない練習だってしてきたのに、少し気を抜けばぼろぼろと涙が落ちてしまいそうなほどに苦しい。痛い。
 ザヴァイヴァーニィを握りしめて、ゆっくりと引いていく。
 日本刀のようにスラリとした刀身だったらここまで体内が荒らされることもなかったでしょうに……。
 足止めしていた氷をようやく砕ききって膝をついたおれのすぐ隣に立ったアダムさんを見上げると、黄金の瞳の鋭さで千切りにされてしまいそうだった。
 彼岸花はっ……トンカツのお供にはならないですっ……!


「……何のつもりだ、ルチアーノ」


 アダムさんの声は驚愕に揺れてもなお冷たかった。形のいい唇も、眉も、目も、すべてが氷のようになってしまっている。
 わかってはいたけれど、彼はやはり怒らせてはいけない子ですね……。


「見ての通りだ」


 しかしルチアーノさんの声も劣らず冷たい。彼は平時と何も変わらなかった。しわも、髭も、発色の良い髪色も何も変わらず、眼前の男へとただ静かに銃口を向けている。


「訊き方を変えるぞ、ルチアーノ。なぜ仲間であるはずの俺を撃とうとしている?」
「聡明なお前が忘れたのか。私は殺し屋だ」
「高い依頼でもあなたなら受けなかったはず。霊々……貴様、何を報酬にした?」


 あの、おれ、今まともに喋れる状況じゃーねんですよ。
 精一杯頑張りますけどね……! だってただ痛いだけですから。


「どうしてサーティーンさんではなくおれが依頼主だと思ったんです? んま、おれなんですけど」
「質問しているのはこちらだ」
「アダムさんのご想像通りお金を積んだわけではありませんよ。おれ、所謂いわゆる“あの世”と呼ばれる場所へ行けますから――いえ、あちらの存在なので正確には“この世”へ来れるというのが正しいんですけど――、ルチアーノさんがいつも背負っている棺桶の中身……亡くなられた奥様に会うなど、ただの人探しと同じ要領でできてしまうわけですねえ」
よみがえらせてやるとでも言ったか」


 それはおれが初めに提示した報酬ですね、惜しい!
 殺し屋のルチアーノさんは沢山怨みを買っていらっしゃっていて、彼の奥様の死因がそれを証明してしまっている。
 魂を戻して再び生を与えたところでまた悲劇が繰り返されてしまうかもしれない。ルチアーノさんはそう考えたらしい。


「いいえ、愛妻家のルチアーノさんが求めたのは彼自身の殺害と死後奥様と共に過ごせるようにする手配でした」


 奥様は地獄ではなく天上の住人だから深い地獄行き確定なはずの彼の魂に特例を与えるのは骨が折れそうですけど……きっと優しい皆さんはおれのわがままを快く聞いてくれるはず!
 だっておれが拗ねて領域みちを閉ざしたら地獄にも天上にも魂は入って来ませんからねっ! キヒヒ、駄々っ子霊々君発動ですよ!


「クズが……」
「アダムさん、魔剣これはあなたにお返しします」


 膝をついたままグロテスクなザヴァイヴァーニィを突き上げて、隣でおれを見下ろしていたアダムさんの腹に穴を空ける。
 手を離しても生々しい感触はてのひらに残ったままだった。


「クソ、よくも……」
「おれとお揃いの位置ですよ」


 けれどおれの時と違うのは、彼はデータの体だから見た目は一瞬でそれが治ってしまう点と、アダムさんを傷つけたザヴァイヴァーニィにはおれの血がべっとりと付着している点だ。
 それこそおれの白目が黒くなるほどに凝縮された永年の穢れや罰を孕んだ体液をあれほどまで貰ってしまえばのたうち回って狂い死ぬだろうに、倍率0.50のデータの体ということが幸いして彼は被毒判定の数秒後に消えた。
 爽やかな容姿と物腰柔らかな青年には似合わないどす黒い暴言を最期に吐かれてしまったけれど、おれも血を吐いているのでおあいこです! 次会った時は気まずい空気を出さないでくださいね!


「うんうん! これで、おれ、サーティーンさん、ルチアーノさん対、まといさん、忠臣さんになりましたね!」
「――可愛いボクのことを忘れちゃダメだよ?」
「ああっ、ごめんなさいテスラさん! おかえりなさい」


 少年とも少女とも聞き分けがつかない可愛らしい声が聞こえて振り返ると出入り口にはテスラさんが立っていた。


「うーん……ルチアーノもそっち側だったのかぁ。霊々、最近よくルチアーノに昔話をしてもらってるって楽しそうに話してたけど、こういうコトも企んでたんだね?」
「そうなんです! 有意義な時間を過ごせました!」


 がぽり、ごぽり。少し興奮気味に返答した勢いでまたまた血を吐いて、情けなくうずくまる。「お前、馬鹿かぁ?」「無理をするな」サーティーンさんとルチアーノさんの差が天と地ほどにありますね……!?


「ありがとうございます、ルチアーノさん。おれはもうほんとにずっと我慢してました!! 魔剣を体から引き抜いた時も、アダムさんとお話ししている時も、すごい痛いのを我慢してました!! おれはグスタフさんのとこで訓練したから我慢できたけど、ノー練だったら我慢できませんでした」


 そろそろ多方面から怒られそうな気がしているしルチアーノさんはおれの早口についてこれなかったみたいだけれど、強くなれる理由を知ったおれはめげずにいこうと思う。
 サーティーンさんがぽつりと「霊治郎……」と呟いたのは、加点しておきましょう。おれは蓮華じゃありませんけど、紅仲間ですからね!


「がッ……は……」


 座り込んでいたはずの体が宙に浮いて、そしてすぐに壁へと強く叩きつけられる。何が起こったのかと目を開けると、テスラさんの相棒である工作アームズ*6のうち、片方がおれを殴り飛ばしたらしかった。
 もう片手はルチアーノさんを狙って返り討ちになったらしい。おれは全く反応できませんでしたね、お恥ずかしい。
 でろんとこんにちはしている腸をいそいそと体内に戻してから慎重に立ち上がる。二発目に移った工作アームズを全身で受け止めて遠心力でテスラさんへと投げつければ、それはスイスイと回避されてしまったもののルチアーノさんが回避先へと鉛玉をぶち込んでくれた。
 無能っぷりにめげている時間はないため、スプリンターらしくまずは走る。
 天才発明家であるテスラさんは罠カードの設置がとても早く、そして持続時間も長い。どさくさに紛れて経路上に罠を設置されていたら堪らないと、『全天首都防壁 Hum-Sphere LLIK』*7のシールドを展開した状態でテスラさんの体に節足を通すと、眼前の少年はイタズラが成功した小学生のように「ニヒヒ」と愉しげに笑った。


「飛んでっちゃえ!」


 あ〜^^







脚注


[*1] インフェルノ シュリーカー
コクリコット・ブランシュのヒーロースキル。範囲内の敵の攻撃力・防御力・移動速度を弱体化させる。

[*2] 赤子殺し
彼岸花はその毒性により、堕胎薬として用いられることもあった。別名に『捨子花』『親死ね子死ね』などがある。また、水子(生まれる前もしくは生後まもなくに亡くなった子供)の魂が咲いて現れると考えられ『水子衆花みずくしのはな』とも呼ばれている。

[*3] 食糧難時における彼岸花の役割
彼岸花は球根(鱗茎りんけい)にデンプンを多く含んでいるため、戦争中や飢饉の際は救荒きゅうこう作物として扱われた。毒は水溶性のためよく水にさらすことで食糧にできる。

[*4] 鉄の時代
ギリシア神話の人類史における五つの時代区分のうちの五番目。美徳が消え、争いが絶えない邪悪な時代。

[*5] 金の時代
ギリシア神話の人類史における五つの時代区分のうちの一番目。神と人間が共に暮らし、調和と平和が保たれた時代。

[*6] 工作アームズ
ニコラ・テスラの発明品。ロケット機能のついた巨大な二つの手型ロボット。

[*7] 全天首都防壁 Hum-Sphere LLIK
木属性の防御カード。六秒間完全ダメージカットするシールドを生成する。


(P.13)


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