002 1/3



「どこだここ……パーティー会場か……?」


 ウボォーに肩車をされても指先すら届かないような高い天井。すべて一口だけしか食べずとも腹が膨れてしまいそうなほどに豊富な種類の料理が並べられたテーブルに掛けられたクロスにはシミ一つ見当たらない。飾られた華美な花々と気取った香水の香りが混ざった中を自らも招待状を受け取った主役かのような顔で硬い靴音を鳴らしながら歩くウェイターたち。彼らが支えるトレイの上には細身のグラスに注がれた酒が景色を色付けながら美しく透かしていた。
 疑問符が付いてしまったが、必要はなかっただろう。
 きらびやかな照明の光を浴びながら、正装の紳士淑女が揃いも揃って楽しそうに笑顔を浮かべている。やけに小さな子供が多いのは気になるところだが、そういうパーティーもあるのかもしれない。
 ごみ溜めで乾燥したパンと薄いスープを口にしていた俺たちには無縁だった世界だ。誰かが正義を果たして死ぬ時だって、誰かはこうして生を潤している。
 どう行動するかはこれから考えるとして、まずは警備員の体の中に触れたせいで手袋にべっとりと付いてしまった脂と血を至急取る必要があるだろう。格好はともかく、血は場違いにも程がある。
 そのためにはまず、秘密のノート(シークレットブック)悪食消しゴム(ハングリーイレイサー)を出さなくては。
 あの時すぐに取らなかったのは団長以外には消失の能力を伏せているからだ。直接見られていなくとも察知されたら面倒極まりない。
 誤解されそうだが仲間の裏切りを疑っているわけでも、ましてや嫌いなわけでもない。俺は俺を愛してくれている仲間のことを愛しているし、信じている。
 どうかこれで悲しむ者がいないことを願う。これは念という一騎当千の能力を操る者にとっての身を守るための暗黙の了解じょうしきなのだ。
 だから俺以外の奴らは俺の知らない能力を持っているだろうし、互いに不快感を覚えることもない。むしろ話すことが異常なのだから。


不思議な文房具(マジックステーショナリー)


 ゼツをした後、ぼそりと口先だけで呟く。これで発動条件は満たされた。
 具現化した秘密のノート(シークレットブック)を開き、閉じないように持ちながら悪食消しゴム(ハングリーイレイサー)は右の手の中に握る。続けて、同じく右手の人差し指で秘密のノート(シークレットブック)の何も書かれていない所をなぞりながら、消したい物を思い浮かべた。
 すると、ただの一文字も書かれていなかったそこには消したかった物の言葉が、墨のように真っ黒なインクで紙が焦げたかのように出てきた。
 それを確認して、握っていた悪食消しゴム(ハングリーイレイサー)を持ち直す。後はこの文字を消すだけで――


「イタッ」
「わっ……やべっ」


 ぶつかってきたのは赤いドレスを着たカチューシャの女だった。明るい茶髪が肩の上で切り揃えられている。接触の衝撃で持っていた秘密のノート(シークレットブック)が床に落ちて鈍い音を立てた。
 ゼツ状態だったために、相手は俺がいたことに気がつかなかったのだろう。ゼツだからといって視界からすっかりと消えるわけではないが、このような派手で注意力が散漫する場所では存在が朧気になった者に気づくほうが難しい。これは俺の落ち度だ。


「いったた……もう、どこ見てん」
「悪い。怪我はないか?」


 血が付いていない左手を差し出す。先ほどまで古書を抱えていた左手だ。落としてしまったが、マチは拾ってくれただろうか。『読書をしない休息は死んだり生き埋めにされたりすることに似ている』とはよく言い表したもので、生活が疎かになる事も珍しくないほどクロロは読書家だ。そんなクロロの楽しみを俺のせいで奪ってしまうのは心苦しい。
 余談ではあるが、クロロは愛読家ではあるが愛書家ではない。集めることに素晴らしさなど見出さず、読み終わりさえしてしまえば稀覯本きこうぼんであろうと床にでも放られる。教えるつもりもないが、それは俺がクロロの気に入っているところの一つだ。
 少女というよりも女性と呼ぶに相応ふさわしい彼女は、俺が差し出した手を掴んで立ち上がった。


「大丈夫です! わたしったらよく前を見てなくて……」
「いや、俺がこんな所でつっ立ってたのが悪いんだ。怪我がなくてなによりだよ」


 許してもらえたらしい。いさかいというものをあまり好まないタチなのだ。繕ってまで人の機嫌を取ろうとは思わないが、どうせなら貰える好意は多いほうがいい。
 彼女との会話を終え、どこかに落ちたであろう秘密のノート(シークレットブック)を探そうと床に視線を落とす。すると俺が足を後ろに引くよりも一瞬早く、下から声が聞こえてきた。


「はい、これお兄さんのだよね?」


 声の方を向くと、探していたそれを両手で持ってこちらへ差し出す少年がいた。随分と印象的な眼鏡を掛けている。ずり落ちているということはないが、顔に対していささか大きい。しかし違和感と言ってしまうには、あまりに似合いすぎているとも思った。
 コツン、と音がしたような気がした。磁器で作られたチェスセットで駒を打ったような、鋭く、それでいて痛くない真っ直ぐな音だ。先ほどの不快感なんてすでに過去のもので、今はチェックメイトでも決めたような気分だった。


「……お兄さん?」
「いや、何でもねーよ」


 くしゃりと小さな頭を軽く撫で、そして秘密のノート(シークレットブック)を受け取る。
 一般的に子供は好奇心旺盛な生き物だ。きっと中を見たりもしただろう。けれど見られて困るようなことは特にない。今しがた浮かび上がらせたばかりの『手袋に付着した血と脂』なんて文字も、読まれたところですでに活動自体は終えているのだ、支障をきたすようなことは何もない。そもそも念能力自体、表向きには隠されているものであるからして、答えに辿り着かれるとも思わない。


「ありがとな」


 そう言うと、ニコリなんて音が付きそうな人懐っこい笑顔が返された。


「…………」


 俺も同じように人好きのする笑顔を向ける。
 つまらなそうな顔をしていると昔はよく言われた。それなのに会ったばかりで俺の事など何一つとして知らない奴に、笑顔が好きだと言われた。似合うと言われた。それが俺らしいと、そう決めてくれた。だから散々練習したのだ。

 ――たかだかガキ一人の作られた笑顔を見抜けないと思うなよ、メガネ。

(P.4)


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -