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「なにィ!? 殺人だとォ!?」


 すすの臭いが充満する焼け焦げた部屋にコゴロウの声が荒々しく響く。
 誕生会の中止が執事から伝えられ、あとはメガネたちが帰るのを待つだけだった。しかし何かに気づいたメガネは背中を押されたように現場へと駆け出し、そしてこれが寝煙草による事故ではなく放火であることを言い放った。
 ……キョウスケも運の悪い男だ。
 あれだけの火事だったのに火元となった煙草が焼き尽くされずに残ってしまったのだから。
 メガネが指摘したのは煙草を吸う時の癖についてだった。本館でゲンザブロウが吸っていた煙草はフィルターが噛まれて折れ曲がってしまっているが、別館の吸い殻にはその特徴が見受けられない。
 不幸中の幸いは、メガネがまだ密室の謎を溶けていないことだ。生憎、のだが。
 ドアノブを回して密室を確認したのも実際にドアを破ったのもキョウスケだということに気づければ一気に見えてきそうなものではあるが、アヤネを殺すまでの間にそこまで辿り着かれることはないだろう。キョウスケがアヤネさえ殺すことが叶えばこっちのもんだ。


「バーカ! 寝る前に一服、もう一服と吸っちまうことはよくあるんだよ! ですよね、アイヴィーさん?」
「アイヴィーさんは吸わないわよ! 煙草の臭いがしないもの、お父さんと違ってね!」
「ム……いずれにせよ! きっと最後の一本を吸ってる最中に睡魔に襲われてだな……」


 コゴロウたちの話を耳に入れながらも、キョウスケは俺を聖なる愚者ユロージヴィまがいに見ていたのではないか、なんて思考で脳は埋まっていた。
 コゴロウが咥えた煙草から立つ煙を薄ぼんやりと眺めてされど口もとだけは穏やかなだけの笑みを絶やさぬようにしていたのに、メガネが事故ではなく連続殺人の可能性を口にしたことでそこに愉悦の色が混じった。


「アイヴィーさんは気づいていて言わなかったの? 三十年前に強盗に襲われて亡くなった弾二郎さんがD、二年前に階段から無くなった詠美さんがE、一年前ベランダから落ちてなくなった降人さんがF、そして今日火事で亡くなった弦三朗さんがGってことにさ……」
「推測にも満たない発言で場を混乱させたくねぇからな。順に殺すなら俺はアヤネから始めるぜ? そうしたら次は執事さん、あなただ」
「ええ、わたくしの名前は紅生ベニオでございます」


 まあ本当にアルファベット順になっていたとはいえ、キョウスケが恨みのない相手を殺害することはないだろうが。これは理性の残った復讐劇だ。
 俺のアルファベット順という言葉を飲んだメガネたちはHがイニシャルであるハスキが危険だと言って血相を変えて走っていってしまった。
 一人になった事件現場で煙草とマッチを具現化する。水浸しの部屋では靴裏が使えないことに気づいて、マッチの先端を親指の爪で弾いて着火を済ませた。
 咥えた煙草に火を移しながら静かに息を吸い込む。肺奥に広がった煙を美味しいと思える日は来ないだろう。脳を包む浮遊感も好きになれない。
 半分ほど吸ってマッチの燃え殻と共に煙草を消し去った後、屋敷に戻ろうとすると屋敷から出てくるキョウスケとかち合った。
 話すことも特にないためすれ違うだけのつもりだった。しかし振り返った時に見つけた物に足を止められ、きびすを返してキョウスケに同行する。
 この一家では親族が亡くなるとレクイエムを演奏する慣わしがあると聞いていたが、その役目を担ったキョウスケは車に積んである愛用のバイオリンを取りにいくところだったらしい。


「叔父が亡くなってキョウスケだって辛いだろうに……気をしっかり持てよ」


 どの世界に、自ら手にかけた仇の死を悲しむ奴がいるだろうか。案の定キョウスケは呆けている。並んで歩く俺を見る顔は言っている意味がわからないと言いたげだった。


「あ、あぁ……」
「すべてのものはいつか壊れてしまうんだ。人間だけが例外なはずもない。偉大なる聖人であったゾシマ長老の遺体が、一体何の試練か腐ったようにな」


 彼の背中に手を伸ばし、ジャケットの裾から外した物を地面に落として踏み潰す。親指の爪ほどの大きさのそれは真っ二つに割れた。


「それは……?」
「盗聴器だろうな」
「一体誰が僕に……。僕は疑われ始めているってことかい?」
「おそらくあの子供さ。無知なガキだと思うな、アイツは驚くほどよく頭が回る。だが……あの様子じゃまだ怪しむところまではいけていないはずだ。盗聴器が付けられたのは、キョウスケに付ければキョウスケが連れてきた俺の事も知れると踏んだんだろうよ。事故ではなく連続殺人なら十中八九屋敷内の誰かの仕業だろうからな」


 午前零時を知らせる鐘が鳴る。
 それを聞きながら二人で屋敷に戻ると、早速キョウスケは演奏に取りかかった。
 子供騙しの仕掛けを用いてレクイエムの最中さなかにアヤネを転落死させる計画だったはずだが、何が起きるかを知っている俺でも目の前の演奏以外のことを考える余裕は持てなかった。
 背骨を溶かす陶酔と腹の底から這い上がってくる歓喜で心臓が強く収縮する。握った手は小刻みに震えていた。
 悦喜で瞳孔が開いたのか、照明が白すぎるように感じられてチカチカと眩暈めまいに似た感覚が襲ってくるのに耐えていると、ついにその時はやってきた。
 キョウスケの背後にある開かれた窓の向こう側で、悪魔に取り憑かれたような顔が逆さまに落ちていったのだ。
 ハスキが下手なバイオリンのような声で絶叫する。


「は、早く救急車を!」
「くそっ、なんてこった!」


 バタバタと部屋から走り去っていくメガネたちについていかずに窓から地面を見下ろすと、頭がかち割れたアヤネが絶命していた。
 万が一死にきれていなかったら今殺してしまうつもりだったが、当たりどころが良くてきちんと死ねたらしい。
 アヤネの死体まで辿り着いたメガネにビジネスライクなスマイルで手を振ると苦々しく歪んだ顔で睨まれてしまった。
 よせやい、俺はまだ誰も殺しちゃいねぇっての!

(P.50)


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