014 1/3



 感情表現において目を重視するか口を重視するかは民族によって異なる。
 気持ちの昂りが色として瞳に現れてしまうクルタ族にとって重視されるのはもちろん目だが、同じく目を重視するらしいジャポンの奴らはその文化のわりに人の目をじっと見てくることはない。
 アイコンタクトを取ろうとしても数秒やそこらで居心地悪そうに目線が下がって、取り繕うためにへらりと笑うのだ。
 目は口ほどに物を言うという言葉があるが、数歩先で足を止めている男がショーウィンドウを眺める瞳はまさに哀愁と呼ぶに相応ふさわしい感情を帯びていた。
 その横顔に自然と足が向いて横に立つ。
 ギターや管楽器だけでなくオーケストラを模した人形も並ぶなかで男は奥に見える店内のバイオリンだけを熱く見つめていた。


「……僕はどのくらいここで立っていたかな?」
「さあ。少なくとも楽器は錆びてないようだぜ。もちろんバイオリンの弦も」
「それはよかった。僕は作曲家だがバイオリンも弾くのさ……」


 身振りで促されて並んで歩く。くたびれた空気を持つ男はその風貌に似合う低い声だった。


「君も音楽を?」
「楽器を扱えるだけの素養なんてない。残念ながらな」
「そんな格式高いものじゃないさ……。ただ、心の赴くままに」


 ベージュの石畳で舗装された道に、ソールの音が二つ。
 隣で歩いているのが不自由のない暮らしをしてきた人間であることを知っても不快な気持ちは湧かなかった。
 主に木の実や種、芽、花を食べつつもタンパク質の不足を補うために鳥の雛などにも手を出すリスが、だからといって日常的に高タンパクな食事をしている肉食動物を羨むことはないのと同じように。


「気が向いたら海に楽器を流してみてくれよ。無駄にはならないさ、融かされて武器の一部になるからな」


 仮に廃材の頂で高らかに奏でられたところで、寄ってくるのは配給の合図と勘違いした腹を空かせた奴らだろう。
 あの街で娯楽を娯楽のまま受け取れるのは一握りの狂人だ。


「おっと……君の国はそんなに物騒なのかい」
「悪いようには思わないでくれ。流れ着いてくる死体の処理さえ怠らなければ安全ではあるんだ」


 ごく稀に街の常識を知らない外の奴らが入り込むが。そういう馬鹿な奴らは、生きて街から出られたとしても必ず報復が迎えに行くことになる。


「はたしてそれを安全と言っていいものかね……」


 先までの憂い顔はどこへやら、楽しそうに目を細めた男はひとしきり笑うと喫茶店の扉を開けた。コーヒーの薫りが一番に鼻先を掠める。
 慣れた様子で店奥まで進む背中についていって、ボックスシートになっている窓際の席に向かい合って座る。
 互いに名乗ったのは注文を済ませてからのことだった。キョウスケは俺をアイヴィー君と呼んだ。
 俺たち以外に客はいない。一歩外に出れば都会の喧騒が広がっているとは思えない空間を独占していた。


「静かな所だろう?」


 ブラインドを半分まで下ろしたキョウスケは「ここは集中するのにうってつけなんだ」と店側からしたら嫌味にも取れることを言ってから「嫌味じゃないさ、断じてね」と後付けした。
 ――面倒事が好きではないのだから、気まぐれなど起こさずにその時点で逃げてしまえばよかった。
 そこから始まった人生相談はコーヒーがすっかり冷めてしまうまで続いた。


「初対面の奴に聞かせる話かよ……」


 三十年前、キョウスケの父親であるシタラダンジロウは兄の誕生日を祝うためバイオリン『ストラディバリウス』を贈りに行ったが運悪く強盗と鉢合わせした。
 ダンジロウはその際に怪我を負い、彼の妻は病弱な体に鞭打って看病したのがたたり過労で亡くなってしまった。その後彼も息を引き取ったが、兄は抵抗しなかったため怪我もなく助かっていた。
 両親を失ったキョウスケは母方に引き取られて姓がシタラからハガへと変わったらしい。
 ――しかしそれらは表向きの事で、真実は別にある。
 三十年前、ダンジロウは兄の頼みでストラディバリウスを貸した。しかし返すのが惜しくなった兄はレプリカとすり替える。
 それに気づいたダンジロウは兄との口論の最中さなかに階段から足を踏み外し重傷を負うも放置され、兄は誕生会に来ていた四人と口裏を合わせて強盗に襲われたことにした。
 これらは当時口裏を合わせていたうちの一人、叔母エミを問いただして確かめた事らしい。
 叔母は動揺のあまり話の途中で階段から転落死してしまい、そこでキョウスケはあることに気がつく。
 身内を死亡した順番に並べると、母チナミ、父ダンジロウ、叔母エミとなり、イニシャルが音階(ツェー)(デー)(エー)(エフ)(ゲー)(アー)(ハー)と合致していた。
 そして殺したいと願っている四人は、父の兄チョウイチロウ、父の兄の妻アヤネ、父の兄の息子フルト、父の弟ゲンザブロウでそれぞれイニシャルの適正があり、自殺する予定の自分――ハガ――を付け加えると丁度音階が一周するらしい。
 最後となるチョウイチロウは肺を患い余命半年で、キョウスケは自殺後も上手くいくだろうと語った。


「今はエフまで進んでいるよ」
「フルトを手にかけたんだな」


 人生相談とは言ったものの、もっと近く言うなら殺人計画リベンジだ。彼が己の行動を公共のための正義と主張するならアベンジと呼んでも俺は構わない。
 まあ、コーヒーの苦味に劣らない恨みつらみを吐露したその口で主張することはないだろうが。


「僕を警察につきだすかい?」


 カップを軽く傾けて舌を湿らせたキョウスケの唇は緩く孤を描いている。
 ここで止めるのは非常に簡単に思えた。彼自身が自覚している以上に精神は擦り減っているのだろう。見ず知らずの男に計画を告白したのは、その炎症部に入り込める誰かを探していたからだ。


「そうしてほしいなら気が向いた時にでもしてやるよ」
「君は……不思議な雰囲気が同居しているんだ」
「“怪しい”と“信頼に足る”かな」
「おっと、知っていたのか……。こんな感覚、そう味わえるものじゃない。麻薬ってのはこんな感じなんだろう……」
「羨ましいだろ? 裏切られたとわかってもみんな心の端で信じることをやめないでいてくれるのさ」


 冷めたコーヒーを口に含む。少し水っぽく思えて、早く飲み干してしまおうと一気にカップを傾けた。


「同居の秘訣を教えてくれるかい?」
「微笑んでいればいい」
「その笑顔は君の特権だと思うな……」
「なら……そうだな、わざと俺自身について大勢が知らなそうなことを共有することはある」


 秘密とまではいかずとも、こちらがアクションをかけない限り相手にとって知る機会がなかったであろうことだ。“特別”というものは良い事にも悪い事にもよく働いてくれる。


「僕は君から何かを共有してもらったかい?」
「出身についてだけでは足りなかったのか?」
「…………」
「大丈夫だ、欲しがりな奴には慣れてる」


 二杯目のコーヒーと空のカップを二人分交換していった店員の背が見えなくなるのを確認したキョウスケが詰めていた息を吐くのを見ながら熱いコーヒーを少しだけ口にする。
 店内にはオルゴール調にアレンジされた何かの曲が控えめにかかっていた。


「よう、奇遇だな。ちょうど俺も人殺しでね」

(P.42)


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -