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「人を……殺したことがあるのかい?」
これがドッキリだったらキョウスケの表情は完璧だった。
見開いた目は食い入るように俺の頭から指先までを往復している。
「にわかには信じがたいな……」
「おい、神のお告げを受けたわけじゃないんだぞ。奇遇だなんてふざけたが全く珍しくない。誰しも何かを殺して生きてるんだ。俺やキョウスケはそこに人間が加わっているだけで」
「……君は一体何人を?」
「取るに足りない質問だな」
問いを
一蹴し、ミルクピッチャーに入ったコーヒークリームをとぽとぽと注ぐ。
キョウスケは俺のカップに生まれたマーブル模様を眺めながら「僕は君を知りたいんだ」と不敵に微笑んだ。
「……俺にとって多くの場合、殺人は目的じゃない。何かの過程に発生するものだ。手段の一つであり、時には誤算でもある。キョウスケ、お前だって切れた弦を数えちゃいないはずだぜ。素晴らしい演奏を成すための犠牲であったにもかかわらずな」
小説のページのように丁寧に番号が振られているわけではない。年齢のように毎年誰かが祝福し思い出させてくれるわけでもない。
己に数える意思がなければどこかの過去に溶けていくだけだ。
「なあアイヴィー君。
Hの自殺後、
Cである
調一朗伯父さんは半年後に余命が尽きて病死するが、僕には不安が拭えないのさ。一番殺してやりたい奴が余命宣告を乗り越えて天寿を
全うしたら胸糞が悪くて地獄にも行けないだろう?」
怠惰に任せてカップを揺らすだけでは当然混ざりきらなかった。使い捨てのプラスチック製マドラーを手に取って色を均一に整える。
期待を隠そうともしない瞳が俺を正面に映した。
「俺に殺してくれと言っているように聞こえるな」
「悩んでいた時に殺人が日常の一部である人間に出会えたんだぜ……こんな機会を逃すわけにはいかないさ」
「俺の日常を過激に捉えすぎだ。少なくとも俺は殺人に対して消極的だぞ」
「奪命を手段でも誤算でもなく目的とする日もあってもいいだろう? 君の気まぐれを起こしてはくれないか」
口を閉ざす。
わかったと言うことはとても
容易い。そして、チョウイチロウを殺すことも。
しかしどうせ数日後には自殺してしまう死にたがりとこの場以上の関わりを持つことに価値を
見出だせない。それどころかリスクさえ付きまとう。
キョウスケが俺に感謝し好意を向けるほど、俺はそんなキョウスケの死に悲しみを覚えるかもしれない恐怖が増していく。幸い、今まで俺に愛情を向けてくれていた人が死んでもそんな感情になることはなかったが。
一秒前にどんな熱烈な愛を交わしていたって、そいつが二度と愛情を寄越さないただの死体になれば悲しみも怒りも伴わないただの過去と化してきた。
それは酷く楽だった。
だからこそ、自殺を決めたキョウスケが例外になってしまう可能性が恐ろしい。
ただ、
旅団の仲間を弔う日が来た時までもそんな楽をするほど愛し甲斐のない落ちこぼれになるつもりはない。同じ星空を地図にした者同士、したくてもできないはずだ。
「
設楽家の屋敷は相続者がいるから譲れないけれど、僕自身が構えた屋敷なら君に譲ろう」
「へえ……
賢しい提案に感激したよ」
「この国の身でない以上、安定した屋根は欲しいだろう?
隠るのにも十分なんだ。細かいことは知人に任せるから、君は自由な宿ができたと思えばいい」
魅力的な提案であることは事実だった。
未来を捨てた人間は往々にして取引を成功へと運ぶ。己にとって本当に必要なものだけを選び、それ以外を容易に差し出すことができるからだ。
「音階の奴隷め」
契約は成立した。
小瓶から角砂糖を一つ掬ってキョウスケのコーヒーへと落とす。「僕はブラック派なんだけど……」「奇遇だな。俺は少しまろやかなほうが好きなんだ」「そいつは奇遇とは言わないんだぜ……」コーヒークリームが注がれた俺のコーヒーのほうが色こそ明るいが、甘さでは砂糖が溶けたキョウスケのコーヒーが勝るだろう。
「もし僕が何も知らない一般人で君の顔が載った指名手配書を目にしたら、警察の勘違いを疑うかもな」
「可哀想な警察のために、凶悪な
表情を練習しておかないと!」
(P.43)