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 ジャポンの文字は一匙程度なら知っている。特別なことではない。念能力を少しでも学んだ者は誰だってそうだ。
 四体行のテンゼツレンハツを始め、各系統でもジャポンの漢字というものが使われている。
 あとは――『心』か? ハンター協会会長アイザック=ネテロが本気で闘うときにその文字がプリントされたシャツを着るらしい。
 閑話休題。ジャポンは表意文字の国かと思っていたが、異世界であるニッポンではメガネの読み上げた内容と資料の文字を比べた限りそうではないのだろう。明らかに種類が違う文字が混じり、かつそれらは表音文字のように見受けられた。


「あら……? あの子たちは……」


 濃いミルクティーの香りが部屋に流れ込む。婦人の持つ銀のトレーからだった。


「騒がしくて申し訳ない。事件の調査へと発ってしまいました」
「そうなの……小さな探偵さんたちも大変ねぇ。あなただけでも飲んでいってくれたら嬉しいわ」
「いや、ああ……では、お言葉に甘えて」
「ごめんなさいね、独りの夜は寂しいものよ」


 脳裏によみがえったヒロキという名がミルクの甘さに乗って喉奥を温める。どこか寂しい味がした。


「孤独の厄介な点は、一度背負ったら独りでは下ろせないところです」
「それなのにとても重いのよ」
「子供の心身からだでは、きっと、なおさら」


 飲み干したティーカップを一撫でしてゆっくりと戻す。休息の提供に感謝を述べると婦人は目尻のシワを濃くした。


「ヒロキという子供がここに来たら、アイヴィーが話したがっていたとお伝えください」
「……はい、必ず」


 最後に会釈して下宿を発つ。
 ゲーム外との交信は途切れてしまっているがおそらく一方通行の聞き耳くらいは立てているのだろうと「ヒロキについて調べておけよー」と雲へと声を上げると、一瞬のノイズの後に雑音が街に混ざった。
 お、赦されたか?


「――聞こえるかね!?」
「ああ、聞こえるな」
「警視庁捜査一課の目暮です。見たところ君は……」
「アイヴィー」
「アイヴィーさんは大人のようですが」
「検問のオネーサンに通してもらったんですよ」


 歩調を早めて子供たちのもとへと急ぐ。
 何の気まぐれか、先ほどは橋まで壊してペナルティを与えてきたノアズアークが交信を赦してくれた。ヒロキという存在はこの世界において最も重要なものであることは確かだ。
 しかしプレイヤーの俺たちには無関係である可能性のほうが大きい。それがゲームクリアに影響するものならとっくに情報の一つ二つは見つかっているはずだからだ。
 となれば、現実の者に謎を託すまで。あだ討ちを思わせるノアズアークの言葉も、現実でしか解決できないはずだ。


「こちらでわかっているのはヒロキというガキがノアズアークの暴走に関係しているってことくらいです。万が一ゲームクリアが厳しくなったらノアズアークの暴走そのものを止めるしかない。解明の努力はしておいてください」
「わかった、努めましょう」


 ま、必要になるかはまだわからないが。念のためってやつだ。楽しみはしたいが死にたくはないんでね。


「はじめまして、アイヴィーさん。私は工藤優作……しがない小説家です」
「本題をどうぞ」
「主催のトマス・シンドラー氏があなたを招待した覚えがないと仰っていますが?」
「はは、俺も招待された覚えはないですね」


 両者の胡散臭い笑い声が霧にじっとりと湿る。この中ではマッチをっても火花一つ上がらないだろう。


「我々は唯一の大人であるあなたを信用するしかないのです」
「たとえ俺が悪い人間であっても、今はただ生き残るために動きますよ」
「どうか……よろしくお願いします」
 

 にじんだ懇願に、彼の子供も参加しているのかと余計な推測を立てる。
 親の心などわからないが大切な者を持つ者の気持ちなら少しはわかる。
 とはいえ俺が俺のためにクリアを目指すことが変わるわけではない。学のない脳で考え、見つけたできることを行動に移していくだけだ。
 雑音が無くなったことで再び交信が切られてしまったことを知った。これといって支障はないだろう。
 しかし代わりに聞こえだした破壊音はく足を止めた。
 マチでなくてもわかる。これはまずい。
 木の割れる音、何かが強く打ち付けられた音、ガラスが砕ける音。どれも嫌な予感しかしない。
 甘く見すぎたか。俺がいなかったこの短時間で何があった?
 ゼツはできないため、最大限息を殺して正面入り口前に立つ。この状況では下手に裏口に回るほうが危険だ。
 ――さて、どう立ち回るべきか。
 俺が加勢するのが手っ取り早いが、念が使えずたった一つの怪我も許されない今、不測の事態はけたい。かといって、待つだけでは子供たちが次々ゲームオーバーになっていってしまうかもしれない。
 最も穏便に、最も安全に――
 普段の自分からは想像もできない考え方にむず痒さを感じていると、残っていた余裕をぜるように銃声が響いた。


「……考えている時間もくれねぇってことかよ」


 仕方ない、なるようになれ。
 ゆっくりとドアを開ける。カランコロンとドアベルの音が張りつめた空間に面倒臭そうに響いた。
 あれだけの騒ぎが嘘のように静まり、廃墟へと足を踏み入れたかのように錯覚する。しかし夜霧がスーツから抜けていく感覚と橙色に灯る店内はそれを嘘だと教えてくれていた。


「誰だ貴様!」


 子供たちが灰色のスーツを着た奴に銃口を向けられている。既視感を覚えるそれは、結局誰かが持ち出していたらしい。
 怒鳴るように尋ねられ、声の方を向くと男がワインボトルを慎重に抱えていた。先までのあの騒ぎから守ろうとしたのだと思う。その行動は称賛に値するものだが、少々わかりやすすぎやしないか?
 打開策を教えてくれてありがとな。


「私はここの見習いですが……これは一体何の騒ぎです?」


 眉尻を下げてそう言うと、ワインの男ではなく銃の男が疑り深い視線をこちらに向けてきた。おうおう怖いねえ。


「見習いだと……? 聞いていないぞ」
「私が未熟なばかりにまだ表には出れていないんですよ」
「ほう……?」


 いい感じだ、相手の警戒心がどんどんと薄れていくのがわかる。思わず口角が上がってしまうが、ビジネスライクの笑顔に変えて顔に貼りつけた。


「ところで、VIPとは程遠い者が見られますが」


 子供たちを一瞥いちべつすると、今にもひっくり返りそうな表情を浮かべていた。数人の姿が見えない。
 とりあえずお前ら、後で話は聞かせてもらうからな。


「ふん、ネズミが入ったようでな」
「ネズミ……と言いますと?」
「この銃は奴らが持っていたものだ。S・Hと彫られていた」
「シャーロック・ホームズ……それならばこの子供たちはモラン様にとってたしかにネズミだ。モラン様にとってネズミということは、この店をご贔屓にしていただいている以上、この店のネズミでもあるわけです」


 今話している奴がセバスチャン・モランだろうとアタリをつけて言葉を返す。賭けであることは否めないが正しかったようで、彼は「なかなか見所があるじゃないか」と悪深くわらった。
 木製の床をゆっくりと踏みしめて、ワインボトルを抱えた男の前で手を出す。やはりコミュニケーションは重要だ。あれだけ大事そうに持っていたそれを流れるように手渡してくれるのだから。


「あーあ。やーっぱ読めねぇよなぁ」
「……は」
「ワインの渋味は収れん作用によるもの……だっけか?」
「貴様、まさか……」


 エチケットを見ても、目まぐるしく変わる文字が読むことを赦してはくれない。見続けていると酔いそうですぐに視線をモランへと逃がした。
 今さら顔を青めさせたってもう遅い。


「温度について細かく口出す奴はいるけどよ、味覚は人それぞれだろ? まあたしかにバランスってもんはあると思うぞ。だが酸味や渋味を楽しみたいなら低い温度で、ボリューム感と甘味を楽しみたいなら高い温度で飲む、それじゃ駄目なんかなぁ。アンタらはどう思う?」


 手にしたワインをゆらゆらと見せびらかして挑発するように笑ってみせる。ビジネスライクの笑顔なんてもう用済みだ。
 さあ、大事な大事な品を盗られたお前らは次、どうすんだ?
 せっかく奪った銃も、撃てないんじゃただのガラクタだぜ。

(P.19)


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