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 どうやら彼らの言うニッポンとは、俺の知るジャポンであるらしい。それが判明したのは全員から丁寧な自己紹介を受けたときだった。
 ファミリーネームを先に名乗る文化を構築している国は多くない。クルタ族という内向的な……言い換えよう、一族や集団というものに重きを置いていらっしゃる民族でさえ、ファミリーネームを持つ者は後に名乗った。
 糸車のように記憶を手繰り寄せてジャポンもファミリーネームを先に名乗る国だったはずだと伝えたら、ジャポンではなくジャンであり、またそれはニッポンと同国だと手厳しく指摘されてしまったが、あまり納得がいかない。
 記憶の棚をどれだけ引っくり返してもジャポンしか出てこないし、ここが本当にジャポンなら通話が繋がるはずだってのにコール音すら働いちゃくれない。会場内は電波を遮っているのかと通路へと出てみても、畜生なことに何も変わらなかった。
 もし俺が十字架に貼り付けられた男を敬愛していたのなら、今頃そいつは解決策の一つでも示してくれたか?
 なんて馬鹿馬鹿しいことを考えながら、先の見えない現状に焦らないようにと右耳に垂れ下がった逆十字を撫ぜる。
 ――神は気に入った者を早く連れていってしまうらしい。
 いつだったか、そんなことを聞いた。どこで聞いたかも、誰に聞いたかも、何という神だったかすら覚えていない。
 それが本当であるなら俺は一度熱烈に愛されていたことになるのだが、もしかしたら神に中指を立てているようなこの挑発的なピアスは俺を隠してくれているのかもしれない。
 あまりにも今さらすぎるが俺を取り戻してくれたクロロからの貰い物なのだ、効果の有無は知らないが少なくとも願掛けくらいは含まれているに違いない。本当に願掛けしかなかったら『いつの間にそんな繊細な奴になったんだ』と笑ってやろう。


「あっ、さっきのお兄さん!」


 つい先ほど聞いたばかりの声が足もとで弾けたのは、素知らぬフリを続ける端末を眠らせてポケットへと押し込むのと同時だった。


「よう、少年たち。また会えて嬉しいぜ」


 ひざをついて目線の高さを合わせる。くしゃくしゃと頭を撫でると、三人は記憶喪失で通っている俺にこのパーティーのことを教えてくれた。
 この後『コクーン』という体感シミュレーションゲームの完成披露が行われ、選ばれた一握りの子供たち――参加証バッジ持ち――が一足先に体験できるらしい。目に入ってくる子供たちは皆自慢するように胸もとにそれを光らせていて、先ほどの意地悪な会話はこれが理由かと腑に落ちた。


「ボクたち、コクーンに乗りたいんです」
「でも金持ちじゃないしよー……」
「歩美たちのお小遣いを足してもきっと千円もないよ」


 ハンターの世界では金さえ積めば手に入るものは入手難易度が低いと見なされる。数百億だろうとD級にも認められないなんて珍しくない。反対に幻影旅団の首はせいぜい一つ数十億程度だが、その危険性からA級の獲物となっている。
 ハンターという仕事は危険であると同時に、やりようによっては無限に稼げると思っていい。
 たかがゲームの参加資格。金ならいくらでも都合がつくのだから協力してやることは容易たやすい。……はずなんだ。
 ――エンだって? 何なんだよその通貨単位は。
 どの国の都市でも現代はジェニーだってのに、ニッポンとやらはどれだけ内向的なんだ。


「それならくれる人を探せばいい」
「まさか。そんな人いないですよ?」
「タダで貰っちまおうってわけじゃない。お前らの手持ちには何がある?」
「あ、それならオレ、プレミアのゴールデンヤイバーカード持ってるぜ!」


 ゲンタはポケットからキラキラと淵が金色に輝く一枚のカードを取り出した。
 物々交換というのは直接的でシンプルでもありながら非常に便利な取引方法だ。


「歩美持ってなーい……」
「ボクもです……」
「コナンと灰原も合わせて……えーっと、あと一、二、三、四枚……」


 指を追って数えた後、はあ、とクリスマスローズのように子供たちは顔をうつむかせた。
 ゴールデンヤイバーカードとやらは今初めて知ったが、現役の子供であるゲンタたちが取引材料になると踏んだのだからここの子供たちにはそれなりに支持を得ているものに違いない。
 俺たちが幼かった頃にもすでに存在していた物かもしれないが、所詮紙切れだ。潮に乗って流星街まで流されてくる時にはすでに破れていたに違いないし、百人の子供がいたら百人ともが紙くずよりも果物の一つを喜んだだろう。
 これが幻影旅団の奴ら相手だったなら幼かろうが『欲しいなら盗ってこいよ』と手を振っただろうが、こいつら相手にそれをしろと言うほど俺は鬼じゃない。
 たった一枚しかないカードを前に、自分だけでも欲しいと言い出さないゲンタに免じて協力しよう。
 キリストへ何も贈れず困り果てていた貧しい少女のために天使が出したのがクリスマスローズである……なんて言い伝えもあることだし、ガキの頃に天使カネづると呼ばれていたこともあった俺はほどこしを与えるのに最適な存在じゃないだろうか。


「ほら、そのカード寄越してみろ」
「いいけど……傷つけんじゃねーぞ、兄ちゃん」
「へいへい。指紋の一つも付けやしねーよ」


 ゲンタからカードを受け取ってよく観察する。ホログラム加工がされているそれは、角度を変える度に宝石箱を倒したような気持ちにさせた。


「楽しんでってくれ、マジックの時間だ!」


 そう言って秘密のノート(シークレットブック)欲張りな黒いペン(グリードブラック)を出すと、子供たちのつむじから高い声が上がった。
 洋墨(インク)壺に浸けたわけでもないのに、ペン先にはてらてらと黒が光っている。生命エネルギーを膨らませると、ペン先で留まれなくなったしずくがぽたりと紙上に垂れた。
 その小さな水溜まりを惜しみ、ペン先で掬いつつ書き始める。枚数指定も済ませれば、ほつれた糸を静かに抜かれている人形になったかのような僅かな脱力感とともに手もとにそれらが具現化された。


「すごいすごーい!」
「これで五枚そろいましたね!」
「マジックっつーより魔法だな!」


 実際魔法でもなく念能力だが、彼らにとって魔法というものが『欲しいものを出せる』というものであるならばこれは間違いなく魔法になるのだ。
 たとえ戦車を具現化しようともウボォーの肌には傷一つつけられず、機関銃を具現化しようともフェイはすべての弾を避けきってしまうだろう。玄人くろうと相手では戦闘向きとは言い難いこの念能力ではあるが、こういったには非常によく役立ってくれる。


「まだ喜ぶときじゃないぞ。ほら、いいカモを見つけにいかないと」
「鴨鍋食うのか? うな重のほうがうめーぞ」


 食わねぇよ。どうしてそこで『飯食おう!』に繋がんだ。売り飛ばして金にする気か?
「交換してくれそうな奴を見つけにいくぞ」と言い換えれば、彼らは右手を真っ直ぐに挙げて子供らしい元気な返事を揃えた。いい笑顔だ。
 今さら善人になどなれないし、なりたいとも思えない。つい先ほどだって幸せな家庭を壊したばかりで、これからだって今までと生き方を変えていくつもりはない。
 時には子供の屍だって喜んで踏みつけるだろう。
 それでも眼前の子供が欲している救いが己の手の届くところにあるのに見ぬふりをするのはどうにも気に食わない。
 首の後ろへ手を当てると、「よく泣かずにこらえたな」という低い声がよみがえった。

(P.8)


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