血を流すか涙を流すか 2 2/2

Side:Seijuro Akashi


「じゃあ僕はここで失礼するよ」
「えっ? 征ちゃんが別れるのもっと先じゃない?」
「ちょっと用事があってね」


 帰り道は明るい話題ばかりだった。まだまだ日が落ちるのが遅い季節とはいえ、空はもう紺色で塗られている。煌々と光る街灯の薄黄色が僕らの足もとを頼りなく照らし、長い影を作りだしていた。


「ねえそれって」


 一瞬の間。「――赤司が元気なかったことと関係ある?」小太郎は右足を軸にしてくるりと一度回り、ぐいと遠慮無しに詰め寄ってきた。楽しそうに大きく口を開けて僕の返答を待つ小太郎に悪気は無いのだろう。


「ちょ、アンタ……!」
「いいんだ、玲央」
「征ちゃん……」
「玲央だってさっきから訊きたそうにしてただろう?」
「そりゃあまあ……征ちゃんが元気ないんだもの。気にはなるわよ……」


 ばつが悪そうにゴニョゴニョと喋る玲央は自分の伸びた影へと視線を逃がした。


「今日はね、命日なんだ。僕の……俺の、家族の死んだ日」


 想像はしていたが、玲央は一度大きく目を見開いて、そして「ごめんなさい」と謝ってきた。そしてそれに続くように小太郎も「ごめん」と視線を落とす。……困ったな。小太郎にまでそんな反応をされてしまうと僕のほうが対応に困ってしまう。 


「そ、それって征ちゃんのお母さんの、よね」
「いや、兄……兄の、兄さんの命日なんだ」
「赤司って兄貴いたの……!?」
「ああ、二つ上にね」
「初めて知った……赤司って弟だったんだ……」
「そーね。私もちょっとびっくりしちゃった。なんだか長男ってイメージしか湧かないもの」


 僕はそんな風に思われていたのか。僕にとって兄は兄さんただ一人で、自分が到底兄としての立場に相応ふさわしいとは思えない。だが、時間は僕がなかなか進めないのを気にもかけず、いつだってあっという間に過ぎ去っていく。どうやら僕はあと一年で兄さんにも追いついてしまうらしい。実感が湧かない。後から自然とついて来てくれるものだろうか? ……わからない。


「けれど僕のロッカーに写真が貼ってあるのを見たことはあるだろう?」
「え、あれ赤司の兄貴なの!?」
「そう言われれば征ちゃんがしなさそうな表情だったような……」
「……ちょっと待て二人とも。僕が自分単体の写真を貼るような人物だと思ってたのか?」
「だってすっげー似てたよ!」
「あれは兄さんが高校入りたての頃の写真だからね。二年前に撮られたんだ。あの写真では今の僕と同い年、ってことになる」
「ほんと瓜二つの兄弟だったのね」


 ふふ、と玲央は微笑む。似ていると言われた僕の心の中にも温かいものが広がった。家にあった兄さんの写真は少なすぎた。写真を好まない性格だったのだろうか。写真の裏に書かれた文字はどれも僕の名ばかりで、探すだけでも一苦労だった。


「今日は一周忌なんだ」
「てことは、もし今いたら高校三年生だったってことなのね……」
「ああ。兄さんが飛び降りたのは今の二人と同じ高校二年生のときだからね」


 何の気も無しにその言葉を漏らす。すると突然玲央が力強く肩を引っ張ってきた。


「……どうした?」
「ねえッ……自殺、なの……?」


 カタカタと小刻みに玲央の大きな手が震える。彼は震えを誤魔化すかのように僕の肩をさらに力強く握った。


「なぜ玲央がそんな顔をする?」
「いくら写真や征ちゃんの言葉からでしかお兄さんのことはわからなくても悲しいのは当たり前よ。ましてや、自殺なんて」
「……ありがとう、玲央」
「私たちは今高校二年生だけど、毎日が楽しいわ。もちろん授業はだるいし、課題や考査なんてもってのほか。部活は大変なんて言葉じゃ表せないほどハードだけど、毎日がとっても充実してるの」
「…………ああ」
「同じ高校二年生……だったのよね……」


「私、自殺だなんてこと考えたことすらなかった」そう言ってうつむく玲央の髪が風に吹かれてサラサラとなびいた。


「……ねえ、赤司」
「何だい、小太郎」
「“一周忌”……なんでしょ?」


 小太郎はごくりと喉仏を降下させた。珍しく緊張している面持ちで真っ直ぐ僕を見る。小太郎の言ったことはそれだけだったが、何を言いたいのかなんて訊かずとも理解できた。
 通常一周忌というものは法要を行うものだ。遠い親類ならまだしも、実の家族、ましてや血を分けた兄弟とあっては出席しないだなんて考えられないだろう。なのになぜ僕が学校、ましてや部活を休むこともなく今ここにいるのか。
 小太郎はそう疑問を持ったのだと思う。


「兄さんは僕に会いたくないだろうからね」


 精一杯の平静を保って答える。声は震えていなかっただろうか。少しゆっくりすぎたかもしれない。喉の奥がじんと熱くなった。
 いつの間にか僕は歩き出していた。分かれ道だったはずなのに二人も早足で僕に付いてくる。


「だから僕はここに来ることしかできない」


 なんて、ただの逃げなのかもしれない。死んでしまったらそこで終わりだ、とは使い古された表現ではあるが、兄さんはいつまでたっても僕の中から離れてはくれなかった。


「ここって――」


 ビルとビルの間。黒いシミ。生卵を落としたようにアスファルトに広がるその模様は何一つ語らない。寄せられるようにいくつも並べられている芳しい香りを放つ大輪の花束がビル風に吹かれてサワサワと静かに身を揺らす。沈黙を貫くシミの代わりに哀しみを囁いているようだった。一体、誰が、何人が、ここに来たのだろう。


「……もうあの時のように茶色ですらなくなっているね」


 今でも手に残るあの不快な感触。人肌と言うには冷たいが、妙に生暖かく。すでに乾いてしまったところは脆く剥がれ落ちていく。体の中身が飛び散って、妙にさらりとした液体と、拭っても取れない油が指先にまとわりついて。僕まで足先から死んでいくようなリアルが心臓へ向けてせり上がってきた時の、浮遊感に似た形容しがたい感覚。
 綺麗な姿とはとても言えない肉の塊の姿が、ここに来ると毎度のことながらよりいっそう鮮明に思い起こされた。


「ねえ兄さん。オレ、花は持ってこなかったんだ」


 アスファルトのシミを撫でる。ひんやりとした感覚が手の熱を急速に奪っていった。雨風にさらされて、いつかはここも脆く削られてしまうのだろう。


「だけどね、手紙を書いてきたよ」


 鞄からシンプルな白い手紙を取り出し、飛ばされてしまわないように置かれていた花束の下に滑り込ませた。


「あの時くれたオレ宛の手紙、今もたまに読み返すんだ。どうせならもっと色々なことを書いてほしかったよ。すぐ読み終わってしまうから暇潰しにもなりやしない」


 たまに、だなんて嘘だ。毎日何度もすがるように文字を追っているというのに。


「ねえ兄さん、どうして手紙で初めてオレの名前を呼んでくれたんだ? そのせいでオレは今もまだ諦めがつかないんだよ」


 嗚呼、なぜ兄さんは死んだのだろう。なぜオレの傍らで死んだのだろう。力になりたかった。つらいなら、その気持ちを分けてほしかった。
 そう願うことすら、あの日々には叶わなかった。



拝啓               

 最後に見た景色は美しかったですか

               敬具
赤司なまえ様           

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