血を流すか涙を流すか 2 1/2

Side:Seijuro Akashi


 ――夢を見た。
 いつだったかの幼き日の夢を。ぼやけていた、なんて感想が生まれたのは目が覚めてしまったからだろう。あのまま目が覚めなければ僕はずっと――
 ……何を考えているのだろう。夜の夢がうつつになることなど決して無いのに。
 自分にだけ聞こえる程度に息を吐き、制服のジャケットに腕を通す。冷えた布に包まれた体が少しだけすくんだ。小さな窓の外には見るだけでも熱いほどの茜が広がり、開けたロッカーの内側に貼り付けてあった写真が照らされている。しかし写真に写る人物が当然暑がるわけでもなく、いつもと変わらず柔和に微笑んでいた。


「――あら? 征ちゃん?」
「玲央か」
「こんな時間までどうしたの? それに、電気もつけないで……」
「……ああ、少しだけ休んでいたんだ。玲央こそなぜ部室ここに?」
「私は昨日きのうちょっと忘れ物しちゃったのを思い出したのよ。んーと……そうそうこれこれ。流石さすがに使用済みのタオルを置きっぱなしになんてしたくないでしょう?」


「だからわざわざ戻ってきたってわけ」と玲央は白いタオルをヒラヒラとさせて笑った。


「玲央、今は何時だい?」
「さっき時計見たとき十九時十五分だったわ」
「もうそんな時間だったのか。少し眠りすぎたな」
「……え!? 征ちゃん、“休んでた”って寝ていたの?」
「ああ。ここ数日上手く眠れなくてね。授業や部活に支障をきたすほどではないが、一人でいたらどっと疲れがのしかかってきて……」
「ねえ征ちゃん、」


「今日ずっと沈んでいたようだけど。何かあったの?」そう言った玲央に僕は着替えの手を一瞬止めてしまった。これだと図星を突かれて狼狽うろたえたみたいじゃないか。……いや、まさにその通りか。


「玲央にはそう見えたのか」
「ええ。今もそう見えているわよ」
「……そうか」


 いつも通り、いたって普通に過ごしているつもりだった。しかし、こう指摘されては認めざるを得ないだろう。


「どうやら僕は相当参っているらしいね。……玲央に指摘されただけでなく今の今まで普段通りに過ごせていると思っていたよ」
「征ちゃんたら酷いわ〜。私、こう見えても周りの人のことはよく見てるのよ? ……でもね、征ちゃん」
「……玲央?」
「私でなくとも、今日の征ちゃんの様子がおかしかったことくらい一目瞭然よ。みんな心配していたわ」
「……みんなが、かい?」
「あったりまえでしょ! 何てったって征ちゃんは洛山高校バスケットボール部の主将様なんだから!」


 ――主将だから、か。
 もし僕がなんの役割も持っていない人間だったら誰も僕のことは見てはくれないのだろうか。……なんて考えるだけ無駄だ。僕は、僕らしくいればいい。
 兄さんは学校では何をしていたのだろう。クラス委員、部長、生徒会……何でもいい、何か役職についてたりしたのだろうか。兄さんは、慕われていたのだろうか。先輩から、友人から、後輩から。
 ああ、何も知らない。僕は、何も知らない。
 兄さんの学校生活で知っている事と言えば、兄さんが中学二年生の時まではバスケ部だったらしいということだけだ。兄さんがいなくなった後初めて知ったことだった。
 ――兄さんと同じスポーツを選んでいたのか、僕は。
 初めはそんな温かな気持ちがじんわりとにじむだけだったが、後に僕は自分が盲目すぎたことに気がつく。僕と兄さんは二歳差。僕が中学に上がった時、兄さんは中学三年生だ。そして、兄さんは三年になった直後に自主退部したらしい。……つまりは、そういうことだろう。


「征ちゃん行きましょう? 外に小太郎もいるの。私が待たせてるんだけど……どうせだし、一緒に帰っちゃいましょ!」


 思い出は少ないはずなのに、霧雨のように僕に引っ付いて次第に僕と言う人間の質量を増やしていく。着替えも終わり、エナメルに荷物を詰める。
 最後にロッカーの扉の内側に貼っている写真を一瞥いちべつして玲央とともに部室を出た。




(「……んんっ、赤司がいる!?」)
(「僕がいたら悪いかい?」)
(「んーん! 一緒に帰ろ〜!」)

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