さて、学祭二日前にもなると、講義は止まり、終日作業準備に取り掛かれる。逆に言えば模擬店の組み立てをこの二日間で終わらせろというのだから酷な話だ。
 店舗は客が四五人は入れるそこそこな広さである。作業も大詰めな頃、森澤君の上った脚立を抑えていると、組み立ての見物人がやって来た。現れた二人のうち黒髪の女性は見覚えがあった。同じ講義を受講している。会話を交わした仲ではない。

「晴記」

 上にいた森澤君を呼び付けた。

「あ、なあに、どうしたの、わざわざ」

 思わぬ来訪者に声が上ずる。ふふ、と彼女は含み気に笑う。

「冷やかしです」ともう一人の金髪が言う。
「学祭中が本番ですよ。一眼持ってって撮りまくってやるので覚悟してください」
「でも今日は差し入れ」
「なにそれ?」
「甘いもの。皆の分は無いから、ここにいる人で早いもの勝ちね」

 いくらか立ち話をして二人組は去った。脚立を降りてタッパーを開けると、手作りのクッキーだった。
 生地の真ん中をくり抜いて、溶けた飴が入っている。カラフルな色ガラスみたいで美しかった。私は赤い飴を頂いた。

「すげえなあ」と森澤君は呟き、薄青色の飴のを選んだ。
「あの人おれのツボを押さえ過ぎなんだよ」

 独り言は私に同意を求めるように聞こえた。パキッ、と、飴が砕けた。横顔はしみじみと幸福そうだった。
 その笑みが彼女の意味を物語っていた。当日化粧を仕込んであげようかと、言わなくてよくなったんだと気付いた。

 白い看板を描いたのも彼女だった。彼女ははじめから、目に見える場所にいた。彼を知り、彼の傍にずっといたのは、彼女だった。
 完成した店舗を前に、それぞれハイタッチで喜び合う。悪意のない彼は方々に手を叩き、他の人達と変わらぬように私とも手を叩いた。
 あとは、解体するだけだ。そんな想いに囚われて、呆然と看板を眺めた。ペンキ塗りの看板はどうやったって光らない。

 そして学祭の日。

「文芸部オカマバーやるんだって?」

無邪気な友達に案内を求められて、オープン後の『土瀝青』を見に行った。幸いにも彼のシフトではなかったが、先輩や同級生のオカマちゃん姿を見るとさすがに笑ってしまった。一杯だけ軽く飲んで、店内を仰ぐ。青い室内は陶酔感がある。程々の頃合いで店を出て、看板を描いたことは語らなかった。
 三日間もある祭の期間、私は早々に暇を持て余してしまった。メンテナンスや買い出しを結局手伝ったが、所詮はそれだけだった。あとは屋台で軽食を買うだけ。
 学祭マジックという言葉がある。学祭の期間中苦労を共にした男女が、仲間意識の一線を越えて気付けば交際に至るという、この期間のあるある話。労苦と達成感の吊り橋効果だ。吊り橋効果に踊らされていたんだとすれば、惨めにも程がある。
 二日間をさまよい歩いた。三日目の夕方、大物らしいけど全然知らないゲストバンドがステージに立ち、殆どの浮かれた人間はそちらの方へ吸い寄せられた。どうせ〆の作業もあるしと、時間潰しのために『土瀝青』に入店した。

「いらっしゃい」

 と語りかけたのは彼で。

「あ、あの」
「いいから座っちゃって。ちょうど誰もいなくてヒマしてたのよ。みーんなステージ観に行っちゃって……」
「森澤、君?」
「あら、どなたと間違えてるのかしら。アタシ、プリティー桃子っていうの」
「ハア?」
「プリティー桃子。もう一回言うわね、プリティー桃子」
「はー……」
「あなたの名前は?」

 バーカウンターに肘をついて、“プリティー桃子”は私に問いかける。頑なにプリティー桃子と名乗るこの場の彼は私の知る人ではない。別人だった。そう気付いて、

「詩苑、です」
「詩苑ちゃん?」
「そうです」

 プリティー桃子は彼の声で語った。

「一杯奢るわ。何がいいかしら?」
「おごり? でも、そんな」
「いいのよ。アタシだって喉が渇いた時に勝手に飲んでるんだから」

 改めて見ると彼はミニスカートのコスプレナースで、詰め物を入れた胸は妖艶にたゆんでいる。組んだ脚はガーターで吊った網タイツというたいへん不純な出で立ちである。白衣にはところどころに真っ青なシミが浮かんでおり、ホラゲのナースを思い出した。不気味でキッチュな彼の姿は青い壁面に囲まれて不思議と青ざめた姿に見えた。この部屋の影は青い。客ひとりいない店内を眺めて気付いた。

「森澤君……じゃなかった、プリティー桃子さんのオリジナルカクテルって、ありますか」

 部員は一人一杯必ず提供している筈なのだ。

「『ソーラーフォルト』ウォッカベースだけど良いかしら? あとアタシ、実は下戸で、味見してないの」

 と言ってコップの底に注いだウォッカに足したのは、かき氷のブルーハワイのシロップだった。
 とろりとした真っ青な液体を、ソーダで割っただけ。彼も同じものを作り飲み始めたが、どうやらウォッカは入れていないらしい。

「舌が青くなりそう」
「たいしたことないわよ」

 人工甘味料の甘ったるい味は、ソーダで割ると不思議なことに、メロンソーダのあの味と全く変わらない風味だった。
 しかし下戸の彼が入れた酒は、加減を知らず、かなり強かった。喉を焼くアルコールの味はメロンソーダに似合わない。

「どうして緑じゃないんですか」
「ん? 青の方が好きなの。かき氷のシロップなんて、味は一緒で香料と染料が違うだけなのよ」

 バンドの演奏が始まったようだ。大きな音はベニヤを通じて言葉と音程があいまいになり、感動やら精度やらをこそぎ取られて芸術性を失い、ただの無感動な大きな音として、私に届いた。森澤君は聴いているのだろうか。
 青い壁面に囲まれた照明は、不安に似た感傷を呼び起こした。本当の不安ではない。ただ、酔いのような非日常性、例えば水族館のなかやプラネタリウムにいるような感覚を受ける。ふたりで不安の空間に酔いに行くことをデートと言うのかもしれない。不安を乗り越えて相手の確かさを改めて愛しむんだろう。

「プリティー桃子さん、相談事しても、いいですか、っていうか、告解っていうか、愚痴なんですけど」
「アタシもあなたに何か聞かなきゃいけない気がしてた。……秘密は守るわ。誰にも言わない」
「森澤晴記という人にだけは漏らさないでくれますか?」

 プリティー桃子はグラスに目を伏せたままクスッと笑った。

「後腐れないように、いま全部吐き出しちゃった方がいいわよ」

 それを皮切りに。

「私はカノジョがいる人を好きになってしまったんです」

「恋人がいることを知らなかったし、私は私で、恋なのか何なのか、分かりませんでした。吊り橋効果なんじゃないかって、思います。学祭マジックだと、きっと思い込んでたんです。
 でも私のクラブで、私が作ってた看板の絵を、そのひとはいっつも褒めてくれて、嬉しくて、優しくて、間違えちゃって、絵を褒めてくれるのと、私が、好きなの、違うのに、期待、しちゃって」

 どうしても途切れた。プリティー桃子は急かさなかった。涙と鼻水が顔を伝って、顔を伏せて、声が震えた。

「私がバカな期待をしてたこと、彼には知られたくないんです。何にも無しで、何にも無かったみたいに、明日からも同じクラブで友達でいてほしいんです。気まずくなりたくない、ゼロに戻してほしい」
「……そうね。詩苑ちゃん、アタシ知ってるけど、あの男、どうしようもないクズだわ。バカで無様で、頼りがいの欠片もないし、ナイーヴでひたすら惨めに内省してるくせに好意には鈍感ってホントサイテー。あなたはしっかりしてるんだから、あんなヤツを伴侶にしちゃダメ」
「でも私、絵を褒めてくれたの、嬉しかった」
「頑張ってる詩苑ちゃんのこと、本当はみんな応援してたのよ、きっと。応援は誰でも本心よ。アタシ、あなたの絵、好きよ。
 ね、だから泣かないで?
 大丈夫なんだから。ぜんぶ、アタシと詩苑ちゃんだけの秘密」

 打ち明けるのは恥ずかしかった。けれどすべてを終えられた安心感で、しゃくりあげるのを堪えきれずに、泣きながら笑ってしまった。

「カノジョさん大事にしなかったら、ブッ飛ばしますからね」
「大丈夫よ、あのカノジョ、めちゃくちゃ怖い女だから。二人でボコしてやりなさい」

 そんなことを言ってウィンクする。それにしてもノリノリである。っていうか、

「プリティー桃子さんめっちゃ衣装似合ってますよ」
「明日からこれで登校しようかしら」



 さて学祭後、迫真のオカマちゃん演技が高く評価された森澤君がしばらくの間「よおプリティー桃子(笑)」と学内で囃され続けたことは全く別のお話である。学祭明けの講義で「カノジョ」さんと話をし、打ち解けられたのも、また別の話だ。

(やだオカマ言葉抜けないんだけど!)
(森澤君ソッチの素質あるのでは)



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