ブラックジョーク #5



 サンマがきれいに焼けた。セレスタは大根を摺り卸してくれた。昨日オムライスだったことを考慮してだし巻き玉子は止め、玉子とじのスープに替えた。

「帆来くんを、起こしてきて」

 セレスタに頼むと遠慮がちな目で

『じゃまじゃ、ないかな』
「起こして欲しいって言ってたし、あいつ寝起きいいし、もう起きてるかも知れないね。でも、目覚めの透明人間より、美少女の方がスッキリするじゃん?」

 冗談にセレスタは笑い、家主の部屋へ入っていった。お茶を淹れ少しした頃にセレスタは帆来くんを引き連れ戻ってきた。セレスタは含み笑いを浮かべながら。

「おはよう、帆来くん」

 呼びかける。

「おはようございます」

 返事がある。彼の瞼はまた少し腫れている。覚醒しきっていない面持ちでダイニングの椅子に腰を下ろした。

「食欲あるの? 食べられるか?」
「大丈夫です」
「体調は?」
「落ち着きました」

 目線はしっかりサンマを見据えている。

「セレスタが、大根おろしを作ってくれたよ」
「そうなんですか」

 彼の目はちらとセレスタを見た。セレスタは照れたようだった。

「魚、好きなの?」
「好きです。魚」

 そうか。
 少なめに装った飯、玉子とじのスープ、大根おろしを添えたサンマが一尾。手を合わせ、いただきますを言う。
 彼はサンマに箸をつけた。腹を開き、背骨を剥がし、骨と皮を避けながら黙々と可食部だけを口に運んだ。器用である。しかしそれ以上に丁寧だった。そうやってじれったい程にゆっくりと食すから、彼が汁物や白飯を食べ終えてもなお皿にサンマが残っていた。小骨を除き、身をほぐし、おろしを乗せ、口にする。自宅での食事にしてはひどく真面目に、淡々と、集中し、真剣に。
 飽きてしまう映像だった。おれ達はそこまで丁寧に食べることは出来ず、とっくに食べ終えて食器も流しに片付けていた。セレスタはソファに座り自分の携帯画面を見ていた。おれは飽きる方を選んだ。目の前で彼の挙動のすべてを窃視していた。その光景は味わっているというよりも、一口も残さず食べ尽くそうとする執拗な意志が見え、これは食事というよりこの男なりの儀式なのではないかとまで考えた。血合い肉も骨の周囲も食べられる所は全て食べ、大根おろしも無くなった。皿の隅に寄せられた骨と、全てをついばまれたサンマ。やっと彼は箸を置き、ごちそうさまと手を合わせた。彼は皿を持って流しに立った。茶碗を水に浸したのち、箸でサンマの頭と背骨を三角コーナーへ捨てた。それから小骨と皮を寄せて同じように袋へ放った。そして箸と皿を水につけた。これで儀式を完遂したらしい。ごちそうさまでしたと声が聞こえた。

 お茶を飲もう、と、緑茶を淹れた。セレスタをテーブルに呼び戻した。

「どう、体調は」
「悪くありません。今は良くなりました。魚もおいしかったですし」
「魚、好きなんだって」
「はい。食べるのも見るのも好きです」
「釣りは?」

 確か書斎に釣竿もあった筈だが。

「幼い頃にはよく連れていって貰ったのですが、今は、めっきり」
「魚、好きだけど食べるの?」
「それとこれとは分けて考えています」
「飼いはしないんだ、金魚とか」
「責任を負える気がしないので飼いません」

 成程。
 帆来くんの好みを聞くことは少ないからなかなか楽しい。素面で多弁な事も珍しい。先程塞ぎ込んでいたときの反動を考えればより。

「魚というより、水生生物が好きなんです。だから、貝や微生物や鯨も好きです。今思えば、無脊椎動物の方が好きなのかも知れません」

 セレスタをちらと見て、

「昨日、クラゲが好きというお話をしました」
「クラゲ?」
「佇まいがとても好きです。やわらかで不定形で、透明であるところとか、ただ存在として浮游するだけの生態が。
 僕はクラゲが好きで、……」

 唐突に彼は口籠もった。おれは嘔吐を心配したが、そうではなく、

「洗い物をしますね」

 と、どこか逃げるようにして、顔も上げずに台所に立った。おれはセレスタを見た。セレスタのノートとペンを借り、筆談を試みた。

『昨日 何かあった?』

 セレスタは少し考え込んだ。蛇口の音にかき消され、筆談の必要は無さそうだった。

『夜 魚とかくらげとか海 好きって、色んなことおはなししてもらいました』
『くらげの本を見せてくれて 今度いっしょに水族館いくって約束』
『手つないでいっしょにねました』
『いっしょに海いこうって約束 さそってくれました』

 言葉に詰まり筆を置いた。唇をかすかに震わせたが何を言おうとしたのか分からなかった。やっと顔を上げ、訴えることには、

『びょうき?』

「おれには、分からないよ」

 意地悪をする気はないから頭をなでてごまかした。やがて水流が止まり静かになった。彼が会話に勘付いているかは知らない。ただ、セレスタに目を向けない。

「浴室も洗ってきます」
「……いいよ、おれがやる」
「いいんです、洗い物、好きなので」

 固執しているのだろうか。「あっそ」とおれは適当に片付けた。

「僕は入浴したいので沸かしますけど……」
「好きにしろよ」

 黙っていたセレスタが、ふと口を開いた。帆来くんには分からなかった。

『わたし、かえる』

 そう言って立ち上がった。


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