エトランゼ

 葬式のような人が来ます。

「そんな事を言われても」と、私は彼に食いかかった。彼に外出の都合があるのはとても珍しいことだった。客人というのもとても珍しいことだった。そして彼の留守中に客人が現れるらしい。私は、その客人を迎えるように、と、たった今言い渡された。

「私は貴方の家政婦ではないのです」
「そこを、何とかお願いしますよ」

 ゆるやかな笑みを浮かべつつも、目の前の男が意志を曲げる気は無いようだった。順応に振る舞うのはいつも私の方だった。承諾の代わりにため息をつくと、彼、慎はほほえむ。今日は慎も天気も穏やかだ。でなければ外出などさせない。

「なるべく引き留めて下さいね。僕もお話したいことがあるのですから」
「何を話すというのですか」
「愛がかわいいってお話をするんですよ」

 どこまでが真実でどこまでが冗談なのか。
 嘘は止めて頂きたい。喉元までこみ上げた台詞を私は発声しなかった。日頃、嘘つきは私の方だった。
 笑顔で誤魔化し、するりと玄関ドアの外に逃げ出したその背中に、今更反論も皮肉も言えず、私は呆然と見送った。また面倒を被ってしまった。いつ現れるのか分からない知らない客人を、私は彼の部屋で待つこととなる。
 その日の午前の事だった。

 私は部屋に置いていた自分のプーアル茶を入れて、漠然と客人を待っていた。来訪する時刻も外貌もなにより来訪者の目的を知らなかった。引き留めるというのも何を会話しろと言うのか。私は、つくづく、彼の無責任さを呪ったが、彼を呪いきれないことは私自身が深く知っていた。
 そもそも彼に客人があるということが、私には信じがたい。私と彼が住まうアパートの外部に彼が接続しているなど思っても見なかったのだ。
 本棚に並ぶ背表紙を眺めて暇を潰した。また本が増えていると気付く。読書は彼の安定剤なのだろうか。適当な一冊を取り出し、ソファベッドに腰を下ろして表紙を開いた。カミュの短い処女作。それは母親の葬儀から始まる。

  きょう、ママンが死んだ。

 目を通す位の気持ちで頁をめくった。淡々とした文体を私は淡々とした気持ちで見遣った。夏の話だ。秋冬のやわらかな日差しには似つかわない、攻撃的な真夏の太陽光線に、淡々と甘んじる男の話。あらすじだけは知っている、理解しがたい男の話。暑さの中の葬儀を終えて、海水浴に行き、女と映画を見、退屈な街を眺めた頃。まだ人を殺す前。
 丁度よく章の区切りで、こちらを伺うかのように控えめで繊細な、玄関ドアのチャイムが鳴った。栞を挟んでソファに置いた。
 私は覗きから来訪者を伺った。確かに「葬式のような人」だった。きっちりと黒のスーツを着込みいっさいの笑みを漏らさないような、見覚えの無い、若い男の姿があった。
 扉を開けた私に対し来訪者はわずかに目を見開いた。

「留守を任されている者です」

 名を明かさずに身分を告げた私に、彼は傘を手渡した。それは乾かされてきれいに畳まれていた。

「先日、傘をお借りしたので、返却に伺いました」
「そうですか」

 私は事情を知らなかった。知らされていなかったのだ。
 今一度、目の前の客人の姿を点検した。頭髪、タイ、コートや靴のつま先まで黒で統一され、空いた手には紙袋を下げていた。葬式という語句が的を射ている。

「それから、こちらを」

 と言って客人は紙袋を差し出した。

「これは?」
「傘のお礼です」

 袋には駅のデパートの洋菓子店の名が印刷されていた。少し驚きながらも私はそれを頂戴した。

「中へ入って下さい」
「え?」
「留守にしているのです。貴方が来たら引き留めるようにと言われています」
「そうなのですか」
「お急ぎですか」
「いいえ」
「では、中に」
「……お邪魔します」

 ぎくしゃくとした会話を通じて、私は客人を主不在の部屋へ招いた。
 彼は部屋の隅に腰を下ろした。正座だった。ますます弔事のようだと思った。私はキッチンで紙袋を開封した。箱入りのロールケーキだった。律儀なことだと感心した。二人分を切り分けたが、キッチンには客人用の食器が無かった。私と慎の物しか無い。自宅から食器を持ち込むのも面倒だと思い、慎の食器を貸し出した。プーアル茶とロールケーキをテーブルに並べると客人は小さく頭を下げた。私はソファに腰を下ろし、ケーキにフォークを差した。やわらかなバニラの風味が頬を満たす。好みの味だ。彼は正座のまま黙々と食した。


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return / 0313 written by.yodaka
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