「私の事を、何か言っていましたか」

 男は目を上げた。

「アイさん、ですか」
「其れは、何処で」
「お名前だけ伺っています」
「慎から?」
「……はい。お名前だけですが」
「どのようなことを」

 彼は思索に目線をゆらしながら語った。丁寧でありながら抑揚のない口調だった。

「どのようなことだったのか……取り留めの無い会話でした。貴女に対する悪意はありません。僕は貴女方をよく知らないので、どう言ったら良いのかよく分かりません」
「何故、慎と話していたのですか」
「彼が僕に語りかけてきました。雨で、傘が無いから雨宿りをしようと。M駅傍の古書店の中でした。そこで暫くお話をして。そうしたら彼のご友人が迎えに来て……コクリという方が」
「黒梨が」
「その時に傘をお借りしました」
「成程」
「だから、もしその人の事もご存じでしたら、彼にもケーキをと思うのですが」
「其うですか。分かりました」

 と言いながらも、私にケーキを渡す気は無い。私の適当な返答にも気付かずに、客人は目的を果たした事に安堵したらしい。
 男の話に嘘は無いようだが、本人の情報不足は拭えない。年は幾つで所属は何処か。この男の何が慎を会話に導いたのか。そもそも、名前すら聞いていない為、私はこの男を客人としか認知出来ない。それは向こうも同じことだと私も知っている。こちらが客人に与える情報も欠乏している。例えば彼は、私と慎の関係がいかなるものかも知らない筈だ。
 食べ終えたケーキの皿に男は手を合わせた。短くカジュアルな動作ではあったが、私はやはり、そこに葬式のにおいを嗅いだ。
 気まずいような沈黙が流れた。客人は慎の客人であり、私にとっては全くの異邦人だった。「お葬式のような人」としか聞かされていないし、いざ対面して抱いた印象もその一言に尽きた。一体、何を考えているのか。何も考えていないのか。沈黙に退屈した私は口を開く。引き留めろと言われているのであり、失礼するなとは言われていない。

「お葬式があったのですか?」

 男は顔を上げた。その一瞬に怪訝と狼狽が見えた。

「違います」
「では何故其のような服を着るのですか」
「何故そのような質問をするのですか」
「『お葬式のような人』と紹介されているからです」
「葬式のような人間であるだけで、僕自身は喪中でも何でもありません」
「喪中でも無いのに喪服を着る、理由は?」
「……よく、分かりません」

 分からないという投げ遣りな発言に、私は露骨に眉間にしわを寄せてみる。それを男は見なかった。

「しかし、あの人には、これが自傷だと言われました」
「慎に、ですか」

 客人は素直に頷く。神妙な態度の中に子供のような愚直さを察した。私はそれに見覚えがある。泣いた後の慎を思い出した。

「外傷ではなく精神的な自傷であると告げられました。自らを弔っているように見える、と」
「貴方はそういう意図をお持ちでしたか」
「……言われてみればそんな気もしますし、こじつけのような気もします。事実を述べますと、礼服は洗濯の回数が少ないし衣服に迷わないので、慣れてしまうととても楽です」
「では、自死の意図は少ないと」
「そう断定することは難しいですが」

 私は首を傾げる。

「全く、煮えきらない発言をしますね」

 つい、声に出す。しかし男が気を悪くしたようには思えない。無感動なのだろうか。

「僕が僕を理解出来るとは思えません」

 カップに目を落とし男は呟く。未だに正座は崩れていない。足は痺れないのだろうか?

「彼にも申し上げたのですが、僕には理解出来ないことだらけなのです。自問自答しても解が得られるとは思いません。だから長らく自問する習慣が無く、僕には答えられない質問ばかりです」
「しかし、対話に於いて、其れは卑怯ではありませんか?」

 私は冷ややかに見据える。彼は悪意ない一瞥を返し、曰く、

「その場限りの嘘をつくよりは、正しく、分からないと伝えるべきではないでしょうか」
「……そう」

 私は生温くなったプーアル茶を口に含む。

「其れは、愚直ではありませんか?」

 男は答えない。私は続ける。

「馬鹿正直な真実を貫いて自らを貶めるよりも、適宜、嘘で己を守る方が、余程利口で生き易いでしょう?」
「……そうですね。上手く生きる為には、その場その場に嘘が必要でしょう」
「貴方は上手く生きないのですか?」
「下手くそもいい所です」

 何の抵抗も無しに男は語る。しかし、生きることの下手さを告白されても、私に出来ることは何一つ無い。私には関係ない。私に関係する他人は、恐らく、慎ただ一人だけ。
 では慎は何故この男に興味を抱いたのか。共通項は“死”だけだろうか。慎のあの衝動は死とも違うのだろうけど。
 生き辛さや醜さなど、嘘を吐いて誤魔化せばいいものを、慎は愚かにも血を流し正直に泣く。それはペテン師の私とは真逆、歪み過ぎた故に歪み無い生。愚かで真っ直ぐな生き方は、嘘をつきながらしか呼吸出来ない私には辿り着けないとても遠い世界だろう。私には触れられない。私にとって愚直とは異邦人の生き方だった。


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return / 0313 written by.yodaka
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