マーレの休日
調査兵団がマーレに到着して少し経った頃、何かの話題の続きにリヴァイがぽつりとつぶやいた。
「港をもう少し見学したい」
マーレの港と言っても広い。軍艦が停泊する軍の基地になっている場所から、貿易船が行き交う海港、リヴァイたちが滞在している場所から離れた場所には、一般人が利用する遊覧船に乗れる場所まである。
そんなリヴァイのつぶやきを拾ったオニャンコポンは。
「これなら遠くまで行けますよ」
アズマビト家の屋敷の前に用意されたのは、一台の小型バイクだった。
このスクーターは軍事用のモーターを利用して開発されたもので、一般人への普及はまだ低いものの、最近利用されはじめた。
「乗りこなすまでには資格も必要なんですが。あれだけ立体起動装置を使いこなすリヴァイ兵士長なら、運転も簡単なのでは?」
薄いグレーのボディに、丸いフォルム。メタリックな塗装は、パラディ島にはなかったものだ。スクーターを一目見たリヴァイは、純粋に乗ってみたいと心が躍った。車を見た時は多少驚いたものだが、スクーターは「カッコイイ」のだ。
オニャンコポンに運転のレクチャーを受ける。スクーターは正面から見た部分のボディが幅広く、スカートをはいた女性が乗るにも向いているらしい。それを聞いたリヴァイは、すぐさまナマエのことを呼びつけた。
「うわぁ、何この乗り物!楽しそう」
屋敷から出てきたナマエは、一瞬でスクーターに釘付けになった。ハンドルを触ったり、ボディを撫でてみたり。リヴァイと同じく、ワクワクした様子で落ち着かない。
「二人乗りもいけるらしい。な?」
「はい。疲れずに長距離を移動できますから。今日はこれで港沿いを見物してきては?」
「素敵!」
オニャンコポンにスクーターの扱い方、道の説明、おすすめの店などなど。はしゃいでばかりはいられない、注意点を含める話をリヴァイが聞いていると。
しびれを切らしたナマエは先にスクーターにまたがった。足を乗せるステップの部分は広く、ハンドルを握ると気分は高揚する。
「は?!あ、ナマエさん!」
エンジンをかけたのと、オニャンコポンが叫んだのは同時。
「オイオイオイオイ、待ちやがれ」
「わぁ、走ったー!」
そしてリヴァイとスクーターは同時に走りはじめる。満面の笑顔でスクーターを走らせ始めたナマエ。リヴァイはオニャンコポンに振り返り「行ってくる」と言い置いて。
「だ、大丈夫なのか……」
不安げに見送る彼であったが、リヴァイはすぐにスクーターに追いついた。ナマエの後ろから飛び乗る。ひょい、と重力を無視したような身のこなしは、立体起動装置さながらである。
「リヴァイ!これ、すっごく楽しいね!」
「ああクソ、バランス取るのにコツがいるな」
リヴァイはハンドルを握るナマエの手の上から、自身の手を重ねてハンドルを操る。
「でも走れてるよ!すっごい、気持ちいい!」
車体をグラつかせて仕方ないナマエの分まで、リヴァイがバランスを取っているのだ。真っ直ぐ走れているのは全てリヴァイのおかげ。
風を切って進んでゆく。
今までにはない風景が、二人の後ろへと流れてゆく。歩くでもない、船とは違う、しかし立体起動装置よりは随分と遅い。気持ちを上向きにさせるような爽快感で、風が強くなる。
オープンカフェのテーブルとイスの間、路肩沿いに野菜を並べた屋台のすれすれ、噴水広場の側。ナマエが行き先の主導権を握っているので、リヴァイが支えていても、危ない所までをも抜けてゆく。
街中にナマエの高い笑い声が響く。折角目立たないようにと帽子をかぶってきているのに、これでは台無しだ。
「ナマエ、そろそろ運転代われ。お前にセンスがねぇことはわかった」
「えー!せっかく楽しいのに」
「そもそも道がわからねぇだろうが」
急ブレーキがかかる。前輪に体重が前のめり、二人は同時に衝撃を受けた。スクーターから落ちそうな寸での所でリヴァイがナマエを抱き寄せ、ことなきを得る。
「あははは!」
「笑いごとじゃねぇ。さっさと代われ」
口調の割には、リヴァイも随分と楽しそうだ。早く運転したかったのかもしれない。
運転手交代。スカートをはいていたナマエは横座りになって、リヴァイの腰に巻き付いた。彼の肩に顔を乗せると、進行方向遠くまでがよく見渡せる。
「わぁ、リヴァイ運転上手ね」
「あたり前だ」
ナマエがハンドルを握っていた以上にスムーズだ。今度は車道を走る車や他のスクーターの波に乗りながら、一路海を目指す。
海が近付いてくると潮の気配がすることには、随分と慣れてきた。段々と風が強くなり、二人は同じタイミングで「もうすぐだ」と顔を見合わせる。
帽子が飛ばされそうになるのを何度か押さえながら、古い煉瓦積みの建物が続く道を抜けると。
「海だ!」
急に開ける青の視界。空と地上とが一緒くたになる、海を臨む瞬間。
近くには遊覧船乗り場があり、観光に向いている建物が近いせいもあってか、周辺にはのんびりと歩く一般の民間人ばかりだ。軍事色の薄い様子は二人の心をやわらげ、穏やかに寄せては返す波のような気持ちになった。
スクーターを押しながら歩く恋人同士、自転車に乗った親子連れ、浜辺で本をめくる老人。
「リヴァイ、少し歩かない?」
「ああ。そうするか」
海辺の広場にスクーターを停め、二人は周囲の空気にすぐに溶け込んだ。歩調だっていつもより緩やか。
「少し寒いね」
ナマエがそう言えば、リヴァイはナマエの手を引いた。リヴァイの手だって冷えているけれど。
浜辺に降りて歩き始める。波止場の方では、またアイスクリームを売る屋台を見つけたが、さすがの寒さに今回は買わなかった。
「海に入って遊びたかったなぁ」
「冗談でもよせ。体が濡れた状態であれに乗ったら死ぬぞ」
リヴァイが大真面目な顔をして言うので、ナマエは再び声を立てて笑う。お母さんみたいなこと言って、と。
「あそこまで歩いてみるか」
寒い海の中に入る代わりに、リヴァイの視線は浜辺から傾斜になった丘の上にある、建物へと移っていた。教会だ。この浜辺の近くには観光地にもなっている教会があることを、リヴァイはオニャンコポンから聞いていた。
「素敵な建物だね」
遠目からでも特徴的な教会は、品の良い色をした煉瓦積みの建物だ。屋根の縁取りには装飾が施され、アーチ状になった支柱が並んでいる。
手を繋いだまま、二人はのんびりと教会へ向かったのだけれど。
「あれ……なに?」
教会の入口に突如現れた物体に、ナマエは怪訝に顔をしかめた。
「真実の巨人の口、だと」
石の彫刻のようで、インパクトは絶大であった。
ナマエとリヴァイよりも大きな円形の巨人の顔が、突如として教会の壁に存在するのだ。まさに巨人の顔。
「薄暗い状態で見ると、本物の巨人と間違えちゃいそう」
「顔もそれらしいじゃねぇか」
真実の巨人の口の側には説明書きが添えてある。エルディア語で書かれた説明書きを、ナマエはたどたどしく読み上げた。
「なになに?この巨人の口に手を入れてみて下さい。あなたが嘘つきであれば、手を噛みちぎられてしまいます……だって」
彫刻の巨人の口の部分は、てのひらを差し入れるにちょうどいいほどのくり抜いた穴が空いている。リヴァイはわずかに口角を上げて「お前からいけ」と呟いた。
「なにリヴァイ?私が怖がってると思ったの?これ作りものでしょ」
わざとらしく笑って見せるナマエであるが、どこか腰が引けている。巨人の口にちょんと指先を乗せた瞬間、体は固まった。
「ほ、ほら!全然平気なんだから!」
「それでいいのか?」
「いいの!はい、次はリヴァイの番」
「そうか。この巨人に確認してもらおうじゃねぇか。俺が嘘つきか、正直者か」
リヴァイはつんと鼻先を伸ばして、背筋も伸ばして、てのひらを口の部分へと差し入れた。ナマエよりもずっと堂々と。指先、てのひら、全部をすっぽり口に入れてしまって。
「何?!」
「え?!何?!なになに何なの?!」
「クソが……!だまされた!」
「え?抜けないの?!やだ、リヴァイ!」
リヴァイの声は緊迫している。右手を口に差し入れていたので、左手で右手の手首を持ち、しきりに引っ張ろうともがき出した。
「抜けねぇ!」
慌ててナマエもリヴァイの右手を引っ張る。しかし次の瞬間──!
「きゃあ!」
右手が抜けたリヴァイの袖から先に、手がなかった。驚いたナマエは目を見開き、一瞬で本気の涙が浮かんでしまった。
「リヴァイの手が……!」
リヴァイはちらりと目の端でナマエを見やり、袖口から隠していた右手を大げさに飛び出してみせた。巨人の口の中で、右手は袖の中に隠していたのだ。
「嘘だ。ほら」
「嘘つきじゃない!本当にびっくりしたわよ!」
「こんな子供だましに引っ掛かるな」
「だってリヴァイの演技がうまいから!」
驚いたやら騙されて悔しいやらで、ナマエの涙はますます溢れてくる。少し悪ふざけがすぎたかと、リヴァイは慌ててナマエの額にキスをした。
「悪かった。機嫌を直せ、冗談だ」
「冗談に見えない人が冗談言わないで!もう」
「俺もたまには冗談くらい言う」
まだ涙を浮かべたナマエの肩を抱きながら、リヴァイは行こうと促した。ナマエはリヴァイに抱かれた途端、心なしか壁の彫刻の巨人が怖くなくなってしまったのだった。
それからまた、二人は海辺に戻って散歩を続けた。
古い教会があるせいか、付近の建物も歴史を感じられるものが多い。海も近く、雰囲気がよかった。
途中の広場には噴水もあって、二人は噴水にコインを投げた。後ろ向きにコインを投げ入れると、願い事が叶うという言い伝えのある噴水だ。
多くの観光客がゲームのようにコインを投げていて、ナマエも噴水にコインを落とす頃には、巨人の口の件で曲げていたヘソがすっかり直っていた。
二人は互いの願い事を口には出さなかったが、きっと今、同じことを願っているだろうなと思っていた。
港の見学というよりも、もはやすっかりデートになった一日。段々と日が沈んでゆく。壁の中にいた時よりも、幾分か日中が長く感じられるが、それでも楽しい時間はあっという間だ。
スクーターに戻って、夕飯を食べる場所を探そうということになった。
薄暗い道をしばらく海沿いに走ると、様々な形をした船が停泊している船着き場に辿り着く。その中で一際二人の目を引く船があった。丸い電球をいくつもぶらさげた船で、船上では樽をテーブルにして食事をする人たちや、ダンスをする人たち、ドラムやギターの演奏。
「パーティみたい!ねぇ、あそこに行ってみない?」
近付くと、その船の入口にはフォークとナイフが交差した看板が下がっていて、船上レストランと銘打たれていた。
「ここでメシにするか」
「うん!」
船と桟橋を繋ぐステップの上に足を進めると、船内のバンド演奏の音楽が二人を手招く。ウエイターらしき男性が二人に「ご注文は?」と尋ねたが、リヴァイは「適当に頼む」と返しただけだった。
リヴァイやナマエくらいの若い男女は、皆食事よりもダンスに夢中だ。
二人もご多分に漏れず食事もそこそこに、早速手を取り合って踊り始める。完全に空気に飲まれていた。
「せっかくのピザが冷めちまうな」
「一曲踊ったらテーブルに行こうよ」
ね、と首を傾げたナマエはリヴァイの首に巻きついた。距離は近い。今すぐキスしてしまえるくらいの距離を保ちながら、二人は音を踏む。
決して激しいリズムじゃない。
ドラムはこそこそとお腹の底をノックするような、ギターは夜の帳をピンと張らせるような、管楽器は恋人たちを冷やかすような。
「こんな風に、私服でリヴァイと出掛けるのって初めてじゃない?」
「……そうか?」
「そうだよ。だって壁内にいたときは」
迂闊なナマエの発言に、一瞬だけリヴァイが睨んでみせる。壁の中、パラディ島からやって来たなどと、外で言うものではない。
「あっちにいた時は」
言い直して、リヴァイは頷く。
「休日に出掛ける時も、お互い兵服だったりしたじゃない?そうなると自然に、私はリヴァイの一歩後ろを歩くわけ」
「私服の時もあっただろうが」
「なかったわけじゃないけど……」
「でも、そうだな」
リヴァイから、こつんと額を合わせた。二人は互いの首に手をかけながら、ワンテンポ遅いリズムで左右に揺れる。
「あっちにいる時は、どこにいても俺は俺で、お前は補佐官だった」
「部屋の中以外はね」
「ベッドの中以外な」
こんなロマンチックな場所で、真顔で冗談を言うリヴァイがおもしろおかしくて。ナマエは吹きだして笑った。
「変なの。リヴァイが羽目外してるみたい」
「お前を見てると、羽目の外し方を思い出す」
「何それ」
おもむろにリヴァイが帽子を脱いだ。そっと二人の顔が隠れるように帽子をかざすと、薄暗い帽子の中で唇を重ねた。
二人のダンスはすっかり止まっている。
絡み合うのは互いの口内。リヴァイは何度か角度を変え、ナマエを抱き寄せた。
「ん……」
「これだけじゃ、足りなくなっちまうな」
帽子をかぶり直したリヴァイは、口角を上げてナマエの頬に触れる。薄く塗っていたリップの赤が、崩れていた。
「今もすごく楽しいんだけど。早く帰りたくなっちゃった」
肩をすくめながらナマエが呟くと、リヴァイも頷いて返事をした。
冷え切ったピザでも美味しいと言いながら頬張って、二人はまた、スクーターに乗って帰る。
たくさんの「初めての風景」の中に、互いの姿があったこと。今は、今だけはそれが何よりだと思いながら、二人は同じベッドに潜り込んで、今日という一日を終えるのであった。