STORY | ナノ

▽ 九月の向き合い方 時


 私の本名はフルドケイ。
 両親が付けてくれたとても大切な、そして縁起の悪い名前。
 それだけは覚えてる。その他のことは、ただ、普通で。両親は既に他界していて、私はずっと一人だったことくらい。
 だから不安だった。一人だったことがじゃない。私がずっと大切に保管していたロケットのことだ。見る度に不安になって、怖くなって、それを誤魔化すようにいつも目を背けていた。
 写真の入ったロケットペンダント。その写真は幼い頃の私と、知らない大人と知らない男の子も一緒に写っている。
 ねぇ、あなたは誰なの? 私と一緒に、幸せそうに笑う。あなたは一体、誰?



 カーテンの隙間から差す強い日で目が覚めた。
 壊れてしまった目覚まし時計の代わりに傍に置いておいたイカ型端末見る。時刻はもうお昼をとっくに過ぎていて。起きなきゃいけないのに体が鉛のように重くて、私は毛布に顔を埋めた。
 結局親睦会は途中で中止になり、あのまま解散になった。
 あの時のことは記憶が曖昧でよく覚えてない。ただフッチーが家まで送ってくれたのは覚えてる。きっとみんなへの中止の連絡もフッチーがしてくれたのだろう。どんな内容で送ったのかは分からないけど、優しいフッチーのことだ。きっと私のことは伏せてくれたと思う。そのお陰で特になにがあったのかを聞いてくるような誰からもメールは来ず、この数日間私は音信不通で、ずっと一人で家に籠り続けている。
 起きなきゃ。起きて、身支度をして。ああでも今日は特にチームの集まりもないか。そう思うと少しだけ心が軽くなった。だからといってベッドから離れる気力はやはりないのだけれど。
 何故こんなことになってるんだろう。そんなこと、既にもう分かりきっていた。
 スイレンさん。
 私の弟、らしい。
 らしい、というのは、私は彼のことを全く知らないからだ。スイレンさんとはサザエ杯の時にはじめて会った、目の前の敵。ただその程度だった。カラーや目の色が同じだといっても、そんなインクリングそこらじゅうにいる。別に珍しい訳でも家族である証という訳でもない。ましてやフッチーのことを刺したインクリングなんて、家族だなんて思えるはずがなかった。
 ただ、予感はしていた。はじめて会った時のなんとも言えないあの違和感。私に対する冷たい視線。私とエンギが二人で帰っていた時、後を付けていた彼の態度。きっと私達はただの他人ではない。そう予想するには充分すぎた。なにかを予感する度、私の心はいつも揺れて、震えて、焦って、落ち着かなくなった。
 でも私はそんな考えが浮かんではいつも振り払ってきた。彼のこと、知らないはずなのに、頭が彼を拒絶するのだ。あの子のことなんて知らない。私はなにも分からない。だから募る不安も、もやもやも、みんな私には関係ないのだと。知らないふりをしていた。
 だって私には、フッチーがいるもの。
 そうよ。私にはフッチーがいる。フッチーを見ていると心が落ち着く。フッチーは私のことを助けてくれるから。フッチーが私の全てなの。だから私は生きていける。そう。彼さえいてくれればそれだけでいい。他のことなんてなにも知らない。なにが起こったって、フッチーが傍にいてくれるなら私はなんでも構わない。そんなフッチーを奪おうとしたあの子が全て悪いんだ。だから私はなにも悪くなくて。あの子のことなんてなにも知らない。私は、フッチーのことだけ覚えていればいいの。
 私、は。

 その時だった。
 部屋中に呼び鈴が響き渡る。どうやら誰か来たようだ。早く出なければ。だけどこういう時だというのに体が重くて上手く動かない。それに身支度を全くしていないので今は寝巻き姿だ。来てくれた方には申し訳ないけど、居留守にさせてもらおうかな。
 そう思ったのだが、呼び鈴は止むことはなく、むしろ時間が過ぎていく度に激しさを増していった。さすがの私も何事だと思って上体を起こす。出なくては、いけないだろうか。
 チェーンロックを掛けて少しの隙間から話せばあまり姿は見られないだろう。それでいこう。そう思い、私は目を擦ると立ち上がると玄関に向かった。それからチェーンロックを掛けて、ドアを開ける。
「はい。どちらさ」
「遅い! 待ちくたびれたぞ!」
 ま、と言い掛けた矢先、私は言葉を遮られ、相手の迫力に圧倒されてしまった。
 ドアのかなり小さな隙間から相手を見る。かなり焼けた肌とは裏腹に真っ白なカラー。桃色の瞳。エリュだった。エリュは眉間に皺を寄せ、かなり不機嫌そうに片足を揺らしている。
「何故チェーンを掛けている。私とお前の仲にはそんな隔たりがあったというのか」
「違うのよ。ただ誰が来たのかと思って…。それに今、寝巻き姿だし」
「ねま…っ!? ま、まさかケイ。私との約束を忘れてしまったのか?」
 衝撃を受けたように目を見開くエリュに、私は首を傾げる。そんな私の様子に察したのか、エリュは項垂れてしまった。
 とにかく中に入れてくれ、とか細い声で言われるが、先程も言ったように私は今寝巻き姿で。少し待ってくれないかしら、とお願いしてみるけど、寝巻き姿などうちの野郎共で見慣れてるから問題ない、と返されて無事チェーンロックを外さなければならなくなった。そういう問題なのかしら。私も特別抵抗がある訳ではないからいいのだけれども。
 ゆっくりくつろいでいって、と声を掛けるとエリュは遠慮なしに座布団に座りテーブルに肘をついた。その表情は今もむすっとしていて晴れない。どうしたものかしら。とりあえずお茶と家族向けに売り出されている一つ一つが袋に閉じられているタイプのお菓子を出すと、エリュは少し頬を緩めた。どうやら正解だったらしい。やった。心の中で片手を高く掲げた。嬉しくなった私はエリュと対面する形でテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「で、どんな約束だったかしら」
「お前は本当に忘れているのだな…。料理だよ料理。私に料理を教えてくれる約束をいつもしているじゃないか」
 呆れたようにお菓子を口の中に放り投げるエリュ。あ、と私が口元に手を当てると、ようやく思い出したか、とエリュは溜め息を吐いた。
 日は決まっている訳ではないけど、週に一回は必ずエリュが家に来て私は料理を教えている。エリュ曰く「リーダーたるものこれくらい出来なければリーダーの名が廃る」とのことだけど、きっとそんなのは建前で、本音はメンバーの子達への償い、なんて思っているのだろう。本人は気丈に振る舞ってはいるが、時折表情が陰るのを私は見逃さなかった。教えはじめたばかりの頃なんて特に顕著で、私もずいぶんと対応に困ったものだ。失敗も何度かしていたいけど、彼女自身手先はなかなかに器用で、今ではもう私が教えることなんてないのではないかと思うくらいには料理の腕も上達している。でも欠かさず毎週来るのは、彼女なりの友達との遊び方、なのかもしれない。今ではほとんど他人と関わってきた
ようだし、私もなんだか、分かる気がするから。フッチーと出会ったばかりの頃の私も、きっとそんな感じだった。
 まだ和解したての頃のノワールではニサカが料理を担当していたらしいけど、最近はエリュが担当するようになったらしく、メンバーからも美味しいと評判のようだ。特にナノなんかいつもとびきりの笑顔で言ってくれるのだとか。嬉しそうに話すエリュを見ていると、こちらも自然に頬を緩んでしまうというものだ。
 こんな感じの、些細でありつつも大切なエリュとの交流を、毎週していたにも関わらず私はすっかり忘れてしまっていたのだ。今までは忘れることなんてなかったのに。これは悪いことをしたな、と思った。これではエリュが怒るのも当然だ。
 でも今はとても料理を教える、なんて気分にはなれない。申し訳ないけど、今回はやめにして、日を改めてもらうことにしよう。
「あのね、エリュ」
「私は悲しいぞ」
「え?」
 話を切り出そうとしたけどエリュの一言で私は首を傾げた。
 まぁ、当たり前か。私はエリュとの約束を忘れていたんだもの。その上断ろうともしている。悲しいどころか怒って当然のことだ。
「ごめんなさいね。次からはちゃんと忘れないから…」
「違う。そうじゃない」
 お菓子を食べていた手を止め、エリュは私をまっすぐと見据えた。
「確かにいつもの約束を忘れられてしまったことには腹が立つ。だがそんなものはどうでもいい。私は今日という日を楽しみにしていたんだ。その、友達のお前と、一緒に過ごせるいい機会だからな…。でもこんなにも楽しみにしていたというのにお前は忘れていた」
「ええ。とても申し訳ないと思っているわ」
「そこが一番悲しいと言ってるんだ」
「…?」
 私はいまいち理解が出来なくて、上手く返せなかった。私の反応にエリュは察したのだろう。そのまま言葉を続けた。
「私はこの日を楽しみにしていたのはお前も同じだと思っていた。しかしお前は忘れていた。楽しみにしていたのは私だけだったのか? そう思うと悲しくて堪らない。この気持ちは私だけの、一方通行なものだったのかと。忘れられるって、置いていかれる感覚に似ている。今回はケイはすぐに思い出してくれたがこれがケイに思い出されなかったら? 私だけが抱えていく気持ちなのだと思うと…悲しくなる」
 エリュが悲しそうに目を伏せた。

 私の中で、なにかしずくがぽたりと落ちたような、そんな感覚に陥った。
 広がった波紋は落ち着くことなく、むしろ荒さを増していく。

「だから…って、ケイ?」
 顔を上げたエリュがはっとなって焦ったような表情を見せた。
 当然だ。だって私は今、泣いているのだから。
 とめどなく溢れてくる涙を一生懸命両腕で拭っている。だけど一向に涙は枯れることなく、息をするのも苦しくなっていく。
 なんて滑稽なんだろう。こんなの酷い。まるで私が被害者みたいに。
 一番辛いのは、あの子なのに。
「す、すまない。そこまで追い詰めるつもりはなくて、その。だ、大丈夫か?」
「ち、違う。違うの」
「違う…?」
「私、あの子に酷いこと言っちゃった。どうしよう。どうしよう、私…」
 あの子、と不思議そうに呟くも、エリュは慌てて私の傍に駆け寄ったかと思うと背中を優しく撫でてくれた。
 とても優しい、しがみつきたくなるような手。どうしてこんな私に優しくしてくれるの。私はこんなにも醜いインクリングなのに。
 私はずっとスイレンさんのことを知らないふりをしてきた。どれだけの違和感を抱えても、私はフッチーがいてくれればそれでいいと思ってた。今までも、さっきだってそう。そうやってフチドリという存在に依存して、自分の中にのし掛かる不安は全て見ないようにしてきた。
 だけど、スイレンさんは?
 スイレンさんは、きっと私のことを知っている。ううん、知っているどころじゃない。きっとあの子は、私の家族だ。ロケットペンダントの中に入った写真に写っている男の子、そのものだ。本人が言っていたからじゃない。だって似ているもの。カラーも、目の色も、目付きも肌の色も顔の形も。唯一違うのは、幸せそうに笑うその表情だけ。そんな表情、スイレンさんから見たことがない。その表情を奪ったのは、きっと私。だというのに私は自分だけがあの子のことを忘れて、覚えているあの子は私が忘れた分の記憶を背負って、生きている。
 大好きだったのに、と言ってくれた。あの子に全てを押し付けて、私は自分の罪から逃れたくて、ただただフッチーだけを見てなかったことにしようとしてる。
 酷い話だ。
 とても、酷い話だ。
「私、あの子に同じことしちゃった。悲しいこと全部あの子に押し付けてた! なのに私、ずっとあの子が全て悪いんだって自分のことを棚に上げて、自分かに都合の悪いことは全て忘れてたの。私が、私達二人が、抱えて生きていかないといけないことなのに」
 咽び泣きながらまとまらない言葉を吐き出し続ける私。そんな私の背中を、エリュはじっと黙って撫で続けてくれた。
「思い出したい。今すぐに思い出してあの子のこと分かりたい。でも駄目なの。なにも思い出せない! 私、本当に駄目。駄目なの、私…!」
 なんて都合の良い女なんだろう。思い出したところで、それで? 結局スイレンさんを傷付けてきた事実には変わらない。私だけが忘れて、スイレンさんを置いてきぼりにしてきた事実に変わりはないのだ。今更、もうなにもかも、遅い。

「それで、お前は?」
 ずっと黙って聞いていたエリュが静かに呟いた。
 言っていることが分からなくて私は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。エリュは哀れむでも怒るでもない、真面目な表情でまっすぐに私を見ている。
「お前はどうしたい? その子に、なにをしたいんだ?」
「どうしたいなんて、そんな都合の良い話…」
「都合だとか今更だとかそんなものどうだっていい。私は今、お前の気持ちを聞いているんだ」
 エリュのまっすぐな目に、私は言葉が詰まる。言っていいのか分からない。本当に口に出していいのか、分からない。
 でも私は。
 私の今の気持ちは。
「…謝り…たい…。許してくれなくてもいいから、謝りたい…。そんなの結局は私の心を軽くしたいだけの、自己満足だってことは分かってる。でも今までのこと、全部謝って、それで…」
 それで、またみんなと楽しそうにしてる、あの子が見たい。
 身勝手な願望だ。だけど今はそう願わずにはいられない。
 私はスイレンさんになにもしてあげられない。なにかをする資格もない。だからあの子は私という重荷から抜け出して、親睦会の時みたいに、みんなと笑って過ごしてほしい。そう思うのだ。
「だったら、謝りに行かないとな」
「え、でも」
「私なんかが、とかもうなしだぞ。そんなことでまたなにもせずにいるのはそれこそまた相手に押し付け続けるということだ。それにお前の素直な気持ちなんだ。自己満足の行為だとしてもきちんとけじめをつけた方がいいと私は思う」
 ほら、と撫でてくれていた背中をぽん、と押す。穏やかな笑みを浮かべ、私を応援してくれる姿に、いつも見る彼の、フッチーの姿が重なる。
 少し驚いたけど、私は軽く首を振って、エリュに微笑んだ。
「エリュ、優しいのね」
「私はリーダーだからな。それにケイが落ち込んでいる姿を見るのは、正直身にこたえる」
「そう…。あの、あのね、エリュ。一つお願いがあるの」
「なんだ? 私に出来ることならなんでもしよう」
「そこまで大袈裟なことじゃないのよ。実は──」



 フッチーがいてくれれば、じゃない。
 私は今までフッチーに頼りすぎてた。すがりすぎてきた。
 でもこれじゃ駄目なんだ。私が見るのはフッチーじゃない。相手を見て、自分を見て。なにかに頼ってばかりじゃ、駄目。依存しているこの状況から、抜け出さなければ。
 抜け出して、相手に押し付けて生きていくのはもうやめる。
 もう自分のことから逃げたりしない。
 私は、私から目をそらさない。



2018/09/06



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